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2026年3月10日火曜日

イチゴの美味

 




ベッドでスマホは見ないようにしようと
毎日思っているのに
眠る前に更新だけ確認しようと
手に取ったが最後
気がつくとSNSを追って2時間くらい経ってしまう。

なんにも良いニュースなんてないのに。



中東で起きている戦争の先行きが
状況を知れば知るほど怖くなる。
戦況だけではなく
石油にすべてを依存している日本は
ひと月後、どうなっているんだろうと。
スペインやバチカンからも非難され
中立国で紛争にはかかわらないスイスにまで批判されてる米国に
尻尾ふって出かけてゆこうとしてる史上最悪総理に
なんかもう具合悪くなりそうだ。

健康損ねるわけにはいかないよ。
高額医療費も薬も負担を大幅に増やされそうなんだから。

アメリカとイスラエル、なんなの?
トランプ、常軌を逸してる。
終末時計残り85秒、過去最短ってなに?マンガの話?

そして、なんでこんなタイミングで
あんなのが総理大臣なの?

中国にケンカ売って
アメリカに愛想振ってるのばれてる時点でもう
ホルムズ海峡も通行禁止にされそうだし。


世界に先駆けて日本終了の鐘が鳴り響きそう。
ああ、そうだ2008年のリーマンショックを上回る
金融危機も起こりそうだってさ。
世界中どこ見ても不穏極まりないもんね。

世界の終わりが始まりそうですよ。
紅茶でも飲むか。





今朝は

友達に会いに行かなくちゃ
早く、はやく会いに行かなくちゃ
早く支度をしなくちゃ
もう間に合わない、もう会えない

そんな夢を見て目が醒めた。


だからね、私が世界を憂いたところで
なんの救いにもならないし
悪夢を見てどんより目覚めるだけなんだから。
スマホは枕元に置くな。






午後買い物に出て
旬のホタルイカを買う。
ワンパック500円。特売なのに。
例年より高いと思う。
この量なら398円だったよ。
こんなに美味しいのにホタルイカは安いなぁって
毎年思ってたんだから。

まあまあキレイなイチゴが390円。
普段イチゴには触手伸びないんだけど、買った。

ビニールハウスの温度を25度くらいに保って
栽培されるこの時期のイチゴ。
ハウスを覆うフィルムを作るエチレンも
ハウス内の温度を上げるガスも
いま燃えている中東に依存してる。
もう、こんな値段では買えなくなるかもしれない。

甘くて美味しかった。




2026年1月26日月曜日

Tokyoの夜を歩く






ニール・ヤングの昔の曲を聴いていたら
ああ、これ聴きながら夜の街をほっつき歩きたいなぁ、と
なんともダルイ衝動に駆られて

もうお風呂入っちゃって
寝るだけって体勢でベッドに転がってたんだけど

午後11時をまわったとこだったけど
芝公園から3分ほどのホテルにいて
いま出ればまだ東京タワーは点灯してるな
どうしよう

馬鹿みたいだよな
この一曲聴くためにこんな夜中に出ていくなんて

一昨日、夜に友達と話しながら歩いてて
縁石につまずいて転びそうになって
「年寄り、夜中に外歩いちゃダメ」
なんて話してたのに

衝動に従うかオトナの判断をするか

なんて逡巡するのもどうかと思うくらい
どうでもいいような馬鹿みたいな想いなんだけど

そもそも自宅に居たら
郊外の住宅街を夜歩くために出ていくなんて
もっと馬鹿げてるし

つまりは
今夜ここにいることが酔狂そのものなんだから
もひとつ馬鹿々々しいことプラスするくらい
したほうが良い

まあ、着替えるのが面倒臭いってのが
ただひとつのハードルなわけだけど
幸運にも季節は真冬

寝巻の上にジーンズ履いて
コート羽織ればいいだけじゃん








思いだした
夜を歩くのが好きだった
夜更かしでもなく夜遊びでもなく
夜を静かに生きてる感覚、ずっと好きだった

オトナになると
やらなくなること、いっぱいある
衝動のそのほとんどは
一瞬の火花のようなもので
そこからどこへも燃え広がらないってわかってしまったから

くだらないことはしないの
オトナだから

だから
くだらないことしたらいいじゃん
今夜はそういう夜だよ


ニール・ヤングの声を聴きながら歩いた

人通りの途絶えた日比谷通り
暗く沈むクスノキの並木道
夜空とビルの灰色のグラデーション
消灯30分まえの東京タワー

東京の夜は
あんがい清潔だな








2025年12月10日水曜日

ある日のSNS




葉の落ちたコブシがつくる影。












ちょっと面白かったので記録。

Threadsもインスタも
いまいちどういう使い方しようか定まってないのもあって
ほぼ見るだけでたいした投稿はしてないんだけど。



一昨日、何の気なしに上の投稿をしたら
1,000超えのイイネがついてて驚いた。
コメントもけっこうついてて
ほぼほぼ好意的な「同意します」な内容なんだけど
スクロールしてゆくと

お前は日本人じゃない、とか
高市早苗下げバイトは幾ら?とか
共産党乙、とか

同意いただけない方々の書き込みがあって
おお、これが噂のクソリプというやつかぁと
思ったのだった。

アイコンに画像もなくぞんざいなアカウント名の
あからさまなクラウドワークス案件には
哀れみしか感じないけれども
なかには投稿数も多く
その内容もその人となりが見えるようなトピックで
知らずに会ったら
ほんと普通のおじさんなんだろうなぁと思うアカウントもあって
会話はできても話は通じないだろう感じに
無駄に徒労感を覚えてしまった。

いろんなひとがいるよね。
普通の顔した普通に生きてる隣のエイリアン。









2025年9月12日金曜日

声が強すぎて

 



この写真好きなんだけど
雑誌の表紙とはいえ面出しで飾ると
祭壇みたいね。




ひさしぶりにチバのこと。

私はチバを聴くとき
ミッシェルの最後期くらいからTheBirthdayの初期
イマイさんがいた頃くらいの曲を聴くことが多い。
特に意識して選んでる気はなかったんだけど。


Youtubeで音楽雑誌の編集者とライターが
チバのキャリアの話をしていて面白かった。

ミッシェル時代は
もちろんチバの声ありきだし
楽曲作りはチバの持つイメージが大きいのだけれど
バンドを牽引したのはアベフトシだった、という話。
ミッシェル後期でリズム隊が力をつけて存在感を増し
チバもギターが上手くなって
バンドのバランスが変化したこと。

前期ROSSOは3ピースバンドだったので
ここでチバがギターを開花させただろうこと。
後期ROSSOで歌うことの比重を上げて
前期TheBirthdayへ向かうこと。

後期TheBirthdayでは
若かったベースのハルキ君が力つけて
ギター巧者のフジケンが入って
チバがボーカリストであることを自覚して
バンドとして洗練された、ということ。

その話の中で
ROSSO真ん中にしてその前後の楽曲は
「チバの声があまりに強くて」
ということを言っていて。

ああ、なるほどなぁ、と
なにかすとんと腑に落ちた感じだった。


そうそう、だから私はこの頃の曲を好んで聴いてるんだなと。
なにしろ、「ACACIA」でチバに出会ってしまったので。
ミッシェルでも、TheBirthdayでもないし
ROSSO期のチバではあるんだけどバンドの声ですらない。

この強い、強いチバの声が好きなんだな。
まあ、これまで何度も書いてるけど
またまた改めてチバの声が、声だけが、好きと思い知る。


私は音楽の解像度が低いので
バンドの楽器がどう鳴ってるかとかイマイチよくわかってない。
ライヴで対バンの音なんか聴けば
違いも感じるしTheBirthdayの音はカッコいいなと
思ったりもしたけど
基本チバの声さえ聴ければ良かった。

もちろんTheBirthdayの音にのるチバの声は
最高だったけど。




この間、ソノさんに
TheBirthdayのツアー行きますか?」ってきかれたけど
もうそこに私の聴きたい音、声は轟いてこないからなぁ。
行く理由がないんですよ。







2025年8月9日土曜日

誰かの日記





NHKでたまたま観た
「誰かの日記を開くとき」という番組が面白かった。

この日記は、なぜ、ここにあるんだろう?
NHKの番組の中で、開かれて読まれて感想を語られる
無名の、たぶん健在の、一個人の、手書きの日記。

手帳類図書室という私設図書室があって
そこに2,000冊の日記が寄贈されて保存されていると知る。
日記を書いた本人が持ち込んだものが多いようなんだけど
書き続けた日記を手放そうと思ったのはなぜなんだろう
その動機が気になるなぁ、と考えながら観てた。



日記というなら、私も「花風」というダイアリーを
20年書いてるわけだけど、でも番組内でも触れてたけれど
誰かに読まれるのを前提のSNSと紙の日記はやっぱり別物で。
手書きの日記の赤裸々感はSNSとは比べものにならなさそうだしな
とか、つらつら考えてて
あ、これは「日記供養」みたいな感じなのかなと思った。

お札とか人形とか、とても濃く近しい感情を持って
ある時間を過ごして捨てるに忍びないものを
供養するみたいに手放す。
大事に大事に握りしめて向き合ってきたものでも
ふっと、フェーズが変わって役目を終えるものってあるじゃない。

SNSやブログだってそうだけど
ネット上にあるものはそのまま放置してもいいし
サクッと削除するのも簡単だけど
あんがい紙の手帳とかノートとか質量の実体のあるものって
処分に困るものね。
生ごみと混ぜて燃えるゴミに出すのもなぁ、って。
引き出しの奥に10年分くらいのスケジュール帳があって
めくってみると断片的に記された日付や場所からでさえ
ある日の記憶が呼び覚まされるようなこともあって
なんとなく捨てそびれてたりするし。

捨てるかわりに供養するんだね。



あと、岸政彦がやってる聞き書きの生活史のことも
連想的に思い出して。
自分以外の誰かに語る言葉と
自分だけに記す言葉と。
そこに立ち現れる「自分」はきっと別の者だろうとも思ったり。
ひとひとりの人生って多面的、重層的、あんがい複雑よね。
どんなに平凡な人生でも。
なんか「鬱陶しいもんだな」ともチラと思ったりも。


2000年代を生きている無名の日本人の日記も
数百年経てば文化資料になるんだろう。
万葉集の詠み人知らずのように。
手帳類図書室の主催者の仕事は文化事業だよね。







なんだか人が生きているって、ふと
キモチワルイね。












NHKオンデマンドで観ていたので、流れで
坂本龍一「Last Days」を続けて観る。
ここにも日記が。
有名な、名前と顔のわかる日記。









世の中には
言葉を記そうなどと考えることもなく生きる人もいっぱいいるよね。
私のお父さんがそうだったように。
不思議だよね。なにが違うんだろう。
別に違わないか。どうだっていいことだね。



2025年6月8日日曜日

502 Bad Gateway

 





一時的なサーバーの不具合といっても
サーバーメンテナンスが終了して、もう3年経つので
このまま
Not Found になってしまうのかなと、思ったけど
ちゃんと表示されてて、良かった。


DiaryNote。



あそこは、私の記憶の外付けメモリーみたいなもんだから。













上巻650ページ終わって
話がほとんど進んでないのだが…。
毎度まいど迷路のような病院の中を歩き回って
誰かを探し回ったり逃げ回ったりしているのは
なにかの暗喩なのかとも思わなくはないけど。
650ページ全部、伏線なの?










認知症の進行具合をトレースした音楽作品。
6枚組、6時間超。

とても気になるし
聴いてみたい気もするのだけれど怖いよね。
聴きながら
共鳴して認知を持っていかれてしまったらどうしよう
なんて考えてしまう。



たぶん、近々、聴くと思う。






この音楽のことを教えてもらったあと
思い出したブログがあって、久しぶりに訪ねてみた。

若年性アルツハイマーになった奥様を介護している方のブログ。
数年ぶりに訪ねたら、昨年、奥様が亡くなられていた。
発症から20年。
まだご自宅にいて、奥様の人生のいろいろが失われつつある頃の記事を
ご本人はどれほどの恐怖だろうか、と慄きながら読ませてもらっていた。

右手に持つモノがコップだということも
それが水を飲むモノだということも
水を飲むというコトさえも
思い出すことができなくなってゆく。

家を出て街をさまよい歩き
部屋で叫び、窓を破り、暴れて泣く。
怖かったんだろうな、逃げたかったんだろうなと思う。
消えてゆく自分自身が、まだ見えて、わかる状態にあるひとの
恐怖は想像を絶する。


The Caretakerはそれを
どんな“美しい”音楽にしえたんだろうか。






 "Everywhere At The End Of Time" がたどり着く空白は
『航路』が描いたあの極致にも似ている。<引用元不明>


「Everywhere At The End Of Time」のレビューの中で
触れられていた小説「航路」を読んでいる。
ものすごい遠巻きなアプローチだな。






Lifeって、記憶のことだよ。

出来事やそれにまつわる感情といった“思い出”だけではなく
立ち上がること、歩くこと、飲み込むこと
排泄すること
生物に備わったそれらの生理的な動作でさえも
“記憶”が支えている。


Lifeが消えてゆく日々の
呼吸することさえ忘れてしまうまで続く“人生”

波打ち際に築き上げた城を侵食する波にあらがうように生きても
勝ち目はまったくないのに。





言葉に残してきたような“記憶”だけで
生物としての わたくし は生きているわけではない。
Lifeのすべてをバックアップできる日もくるんだろうか?
できたとして、それは誰の、どういう人生だってことなんだろう。

人生のページを開こうとして
Not Found と表示される日もあるのかな。
自分の記憶がNot Found と認識してしまうって
矛盾してる?成立不能か。

なんかサイバーパンクSFの世界みたいだ。



とりあえず「航路」の続きを読もう。








2025年5月30日金曜日

ナンテンの葉の数

 




ナンテンの枝を眺めていて
わけもなく
葉の数を数えていたら

主枝から対生する小枝の葉の数が
素数だった。


3と5と11。
7はないけど、1はある。


世紀の大発見かと庭に出てほかの枝を数えてみたけど
結論は、「たまたま」ですかね?w

小枝の先が3で
その下につく対生葉が1と1
または3と3とか
そういうつき方の組み合わせで素数になりやすい、とか?

だけど
この枝の上から二番目の右側の葉が
ちゃんと3枚出てたら
この枝全体で47になるから
それも素数なのに、、、惜しい!!

つぎに枝切したら数えてみるかな。

……って、んなことにハマるなよw

年寄りは暇なのよ。
くっだらないわぁ、、、でも退屈はしないww


そういえば
このあいだ河原でクローバーの野原を
四つ葉探して歩いてるおばあちゃんがいたっけ。

なんか、似てるね。

ナンテンの小枝の葉が素数だって確認する遊びを
流行らせようか?(無理w




2025年5月27日火曜日

歩く、を始めました。

 


この道を。




一階の部屋を読書部屋として模様替えしたら
居心地が良すぎておやつも食べ放題で
ボクサーなら階級上げようかって感じになっており。
階段の上り下りがキツイなぁ歳かなぁと思ったけど
たぶんペットボトル2,3本背負って歩いてるからだと気づき。

人間、歩けなくなったらどうなるかは
去年のHを見ててゾッとしたくらいなので
「歩くの嫌い」とか言ってる場合ではないな、と。

危機感覚えて、歩く、を始めたという次第。

まぁ、普通は“ウォーキング”と言うのだろうけど
なんというか引き籠りが過ぎて
歩き方を忘れてしまったか、というほどの
足萎えぶりで。
いきなり張り切るとヤバそうなので
歩き方を思い出そうというレベルから。


川縁の道なんだけど、車は入れないので
まあ安心して歩ける道です。
なので爆音でチバを聴きながら
歩くことに集中している。

60分弱のプレイリストが今のところちょうどいい。
5曲くらい聴いたら折り返す。
ここ数日は気温も高くなく曇りがちなので
気持よく歩いた。






秘密の庭につづく扉、かも。





クサフジ





コメツブツメクサ


定点観測樹のカラタネオガタマは
今年はもう散ってしまって見れなかったけれど
河原はまだまだ花盛りで
足元を見てそぞろ歩くの楽しい。

でもなぁ、緑がキレイで
広い空があって、大きな水の流れがあって
気温21度、湿度58%薄曇り。
鳥は鳴き、チバが歌う…
気持ち良すぎておやつが欲しくなる、、けど我慢。



木陰のベンチで休んでたら
誰かの鼻歌が聞こえてきて、良く通る声だなぁって見たら
20mくらい離れたベンチでサックス吹いてる男性がいた。
サックスの音色って声帯に近いって聞いたけどほんとね。
誰かのスキャットだと思ったよ。
良い声の人だな、って。



引き籠るのも良いけど
もうしばらくは川縁をせっせと歩こう。
太陽が本気出す前に。