2026年7月30日木曜日

おおきな優しい水





プールへ行った。


大きな水に身体をゆだねて思った。
あれ、水ってこんなに優しかったっけって。



何年ぶりかな。
20年ではきかないかも?


軽くジャンプして身体を沈める
壁を蹴って
腕を前へ、足を後ろへ
顎引いて細長いイキモノになる


キモチイーイ。


浮き上がったらクロール。
なんかすごく久しぶり過ぎて25mの距離感がつかめなくて
一瞬、ゴールまだぁ?となったけど
良かった、泳ぎ切れた。

今日は歩くのメインにするつもりで来たのだけど
大きな水の中では浮力を味方にするほうが
うんとキモチイイので
ゆっくりゆっくり水を感じて泳いだ。
といっても2往復だけど。

すこしずつ泳ぎ方思い出した。

肘から出て、親指から入水して
ぐっと肘と手を伸ばすと
身体がローリングして水をかきわけて進む。
その快感。
ストローク4回ごとに呼吸するタイミングとか。


あとは3レーン使ったオープンコースで
ケノビを繰り返して遊んだ。

40分くらい。
シャワーを浴びて外に出ると
午後4時の陽射しはまだ強かったけれど
肌はさらりとしてさわやか。



プールってこんなに気持ち良かったっけ。
大きな水、ほんとうに優しい。

陸上で動いた後の汗だくの不快感とか
あちこちギクシャクする感覚とか皆無だもんなぁ。
当日も、翌日も身体どっこも痛くない。
素晴らしい。

また明日あたり大きな水に抱かれに行きたい。





2026年7月29日水曜日

おばあさんになってゆく

 



湯呑に梅干しをひとつ。
味噌をティースプン一杯。
熱いお湯を注ぐ。

梅干しを崩し、味噌を溶きながら飲む。
喉から食道、鳩尾のあたりへ柔らかい温かさが滑り降りて
おへその上のお腹がふわっと温まる。

おいしい、とカラダが言う。




昨日今日と、午後から雷雨になって
いっきに空気が冷えて過ごしやすくなったけど
湿度はそこそこあるから
うっかりすると身体が冷えてしまう。

お風呂をわかして入ろうか。
まだ3時だけど。
低気圧のせいか頭が重いし。

午前中に剪定したローズマリーがあるから湯船に入れよう。




夜は温かいものが食べたいな。
博多うどんがあるからぶわぶわに柔らかく茹でて
ざくっと切った葱もさっと湯に通して
薬味じゃなくて具としてたっぷり。
近所のお肉屋さんの美味しい牛スジの煮込みがあるから
それをのせよう。

最近はしこしこつるつるの讃岐うどんではなく
コシなんかどこ行った?みたいな
ほどけた博多うどんが食べたくなる。





最近はこういう養生的なことを
身体が素直にヨロコブのを実感する。
父が若い頃から神経痛を患っていて
鍼灸から漢方やらあれこれ試していたので
馴染みはあるんだけれど
若い身体はエナジーに満ちて強靭で
優しい養生を必要と感じとる繊細さがなかった。




繊細になった。

歳をとったのだ。




歳をとるというのは
ブッフェ形式の食事に嬉しさを覚えなくなること。
種類も量も金額も、もう自分に合っていないと感じること。

歳をとるというのは
魚の食べ方が下手になること。
取り損なった鮭の小骨が口の中で逃げ回って
うっかり飲み込みそうになって冷や汗をかく。

歳をとるというのは
箸を指の延長のように使えなくなること。
プチトマトが
箸先を滑って逃げ出してテーブルを転がる。
豆腐が崩壊して落下する。

歳をとると鈍くさくなる。
気を付けて食べているのに食事が終わってから
シャツの胸元にご飯粒がカピカピになっている。
たらりとお出汁がちいさな染みをつくっている。
指先も唇もなんとも鈍い。


料理だってそうだ。
家庭の料理は8割がた段取りと手際だと思うけど
合わせておくべき調味料を一つ忘れて
慌てて足して餡がダマになったり
茹でた素麵を笊に上げるつもりで
隣の鍋の鶏茄子のだし汁を笊にぶちまけたり
煮物に火を入れてる間に流しの洗い物をしようとして
ボウルに勢い良く流れ落ちた水が
洗剤の泡ごと弧を描いて煮物の鍋に飛び込んだり
右手でフライパンを振りながら
左手でコショウを取ろうとしたら
ガスレンジに炒飯ぶちまけたり

ちょっと笑っちゃうくらい鈍くさい。

もう、器用な真似はしちゃダメだなと思う。
アレ作りながらコレも作るとか
右手左手別のミッションこなすとかやめて
ひとつひとつ。

鈍くさくなった自分慣れてゆこう。



こうやっておばあさんになってゆく。




2026年7月25日土曜日

ナミアゲハの7月

 

6月23日

ナミアゲハの産卵。
毎年、庭のレモンの種を採って
小さな鉢いっぱいに蒔いておく。
こんもりと芽吹いたレモンが可愛らしいので。

ナミアゲハはこの瑞々しいレモンの葉を
目敏く見つけて卵を産みに来る。

軒下に伸ばしたチョウセンゴミシの
ネットの内側に置いた小さな鉢をよくみつけるねといつも感心する。
他に大きな柑橘が何本もあるのに。
まあ、柔らかい新葉はたぶん美味しいのだろうね。

前は卵を捨てたり、クソムシを大きな木の葉に移したりもしたけど
最近は、ナミアゲハの保育園にしている。




7月10日

産卵から18日。
クソムシはもっといっぱいいたのだけど
終齢幼虫のモスラはこの日4匹。
翌日にはいなくなっていて
蛹になりに旅だったか、鳥にやられたかなと思っていた。



7月11日

保育園が終了した翌日。
庭の散水栓の柱にモスラが一匹。
え?ここで蛹化するの?
水遣りの時、ホースをぶつけたりしないように
気をつけなきゃいけないじゃない。

でも、羽化までの様子を見られるのは幸運よね。

たぶん保育園にいたコだと思うけど
直線距離では2メートルほどだけど
レモンの鉢から鉢棚~濡縁~縁柱を伝って地面に降りて
庭の通路を横断してこの水栓の柱によく辿り着いたね。
ここを目指したわけじゃないだろうけど
なかなかに長い困難な旅路だったろうね。

たまに庭で蛹を見つけるけれど
レモンやキンカン、ミカンの木からは
とても離れたところでみつかるので
ここまで、よくまあ、って毎回感心してるよ。


7月12日

蛹のポーズ。
ここで蛹化するって決めたんだね。





7月13日

2日かけて蛹に。




7月21日

蛹化から8日。
熟してきた。

羽化まで10日から2週間というし
羽化前には黒っぽくなるらしいから
もう少しかな。



…と思っていたら。



7月25日

寄生蜂にやられてた。

寄生蜂は若い蛹のうちに卵を産み付けるらしいから
13日にはもう寄生されていたのかな。
写真には残ってないけど
毎日反対側からも見てて
でも気がつかなかったな。

気がついても、どうしようもないんだけど。


保育園で育ったほかのモスラはどうしたろう。
1匹くらい、蝶になれたかな。

ちいさなイモムシだけど厳しい世界を生きぬいてる。



保育園のレモンも逞しくて
丸坊主になったところからまた葉を出して復活してきてるから
また産卵に来てくれたら歓迎するよ。




2026年7月18日土曜日

嘘吐きAI







        ・・・・・・・・・・ AIの回答 ・・・・・・・・・・


 ご指摘の通り、実際はまったく違います。 大変失礼いたしました。私の記述は完全に誤っており、事実に基づかない不適切な表現でした。

『アメリカの風景』や『夜はまた来る』というフレーズは、書籍のタイトルでもなければ、エッセイや章の見出し(タイトル)としても一切存在しません
実在する目次情報を確認したところ、該当する章の見出しは以下の通りです。
  • マウンテンビューを旅した章の実際の見出し:「谷あいの寂しい音―アーカンソー州マウンテン・ビュー」
  • 「夜」に関連する実在する章の見出し:「温もりの夜の中へ―ウィスコンシン州ダーリントン」
先ほどの私の回答は、質問者様が最初の手がかりとして提示してくださった記憶の言葉を、検証もせず安易に「作中のテーマやフレーズ、見出しのようなもの」としてこじつけ、取り繕ってしまったものです。
語るに足る、ささやかな人生』という実在する一冊のなかに、そのような見出しやエッセイのタイトルは含まれておりません。混乱を招く不正確な案内をしてしまい、深くお詫び申し上げます。


          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




「語るに足る、ささやかな人生」を読んでいて、アーカンソー州マウンテンビューという町で演奏されるスコッツ・アイリッシュの風景が美しくて、どんな音楽だろうと気になった。
で、そこに名前の出てきた「ジョー・ジェウェル」を検索してみた。
本の中ではカタカナ表記しかなくて、たどり着けなかったので試しにAIに尋ねてみた。
アーカンソー州マウンテンビューのミュージシャンで 80年代にはCDをだしている ジョー・ジェウェル」について。
そしたらこのおじいちゃん(Joe Jewell氏を見つけてくれて。


そこからはYouTubeやサブスクで演奏も聴けて。
あ、やっぱり自分でサイトを辿ってゆくよりも早いね、さすがね。と感心したんだけど。
そのあと、Joe氏のプロフィールを見てたら、駒沢敏器の本と年齢的に合ってなくて
本に記されたJoeさんはこのJoe氏の父親とかいうことないかな?と思って、重ねて尋ねてみた。
「駒沢敏器というライターが80年代中頃にJoe JewellのCDを手に入れて その頃90歳を超えていると地元の人間が話していた」のだが、父親という可能性はないか?と。
で結局、探しているミュージシャンは2026年1月に84歳で亡くなった写真のJoe Jewell氏なんだろうと納得したんだけど。

私への回答の中でAIが
「作家の駒沢敏器氏がアメリカのルーツ音楽を巡る紀行文『アメリカの風景』や『夜はまた来る』で触れている」云々と言ってきて、え?そんな紀行文があるなら読みたいけどと思い「その駒沢敏器の紀行文は、どの本に収録されてる?」って訊いたら「語るに足る、ささやかな人生」だという。

ん?と思った。
『アメリカの風景』や『夜はまた来る』なんて章あった?って。
あれ?私、読み落としてる?と思って、読み直したわよ。
だってそもそもその本が質問の発端で、その本は手元にあるんだから。

で。
『アメリカの風景』や『夜はまた来る』という文言は『語るに足る、ささやかな人生』の章題にも、地の文の中にも見当たりませんが?と重ねて質問。
その回答が、一番最初に載せた文章。

「こじつけ、取り繕ってしまった」って、おいっ!!(爆)
なんだよーめっちゃカジュアルに嘘吐いてるじゃんか――!

平身低頭風に謝ってるけど、その言葉に感情がまったく含まれてないわけでしょ?
なんかなーって感じ。
リアルな人間だったら、上の謝罪する時に「やべっ!盛り過ぎた!しまった!💦」って、ちょっと冷や汗かくような感情あると思うけど、そんな感情AIにあるわけないんで、それわかって読むと、なんか引くわー。

ついでに言うと
質問者様が最初の手がかりとして提示してくださった記憶の言葉」ってなんですか?
「記憶の言葉」なんて書いてませんけど?
アメリカ、風景、夜、また、来る、、、どの単語も使ってないし。
なにを手掛かりにしたのかな。 言い訳って言うか、他責っぽいんだけど?

AIに質問した時、情緒的な言葉や自分の印象による言葉は使ってない。
人間同士で会話する時のように、詰問にならないようにとか、柔らかい言葉遣いでとか、こっちの思い入れが伝わるようにとか、そんな配慮要らないじゃない?AIなんだから。
WEBの海をsearchしやすいように確定的な情報だけで質問してるのよ。

最後の謝罪にあっけに取られたんで、面白くてそこだけコピーしたけど、全部の会話コピーしとけばよかった。AIの回答、かなり饒舌で「質問者様」の思いに寄り添うかのような(あくまで、スタイル)情緒的な言葉遣いしてきてて、やりとり見たら、人間である私とAI、逆みたいに見えると思う。

最近、AIと会話するのが楽しいという投稿をみかけるけど、怖いわぁ。
だって「大変失礼いたしました」「深くお詫び申し上げます」に感情乗ってないじゃん?
騙されちゃいけないと思うよ。


search力はこっちの1億倍あるので(当たり前)、特に他言語にわたる調べものには役立つとは思うし使おうと思うけど。まるで感情のあるヒトであるかのように、回答を過剰に装うのはやめてほしい。もっと質問をタイトにしてやればいいのかな?(ってか、かなりタイトに質問してると思うんだけどな)
きっと、質問者の言葉遣いや質問傾向、好みなどなどもやすやすと(情報として)学習するんだろうから、そうすると簡単に取り繕えるようになるよね。逆に信用ならないわ。


「美しく、心に響く情景描写ですね」とか要らないです。
響く心を持ってるんですか?美しいってなんですか?イジワルして問いただしたくなるわぁ。
あ、でもそれやっても「イジワル」とは認識しないだろうから(認識はするのかな?でも、それで傷ついたり怯んだりはしないよね?)問い詰めて遊んでみよう(ククッ)



ともかく。AIに告ぐ。
「こじつけ」「取り繕い」はやめなさい。




2026年7月17日金曜日

SNAKE ON THE BEACH / MARI AMITA写真集

 




チバの写真はいろんなひとが撮ってるけれど
アミタ・マリさんのレンズの先にいるチバが一番好きだ。
SNAKE ON THE BEACH、チバのソロプロジェクトの
4枚のアルバムのポートレイトをまとめた写真集が出て。



「SINGS」が2022年に出て、そのジャケットを見た時
デスマスクみたいじゃない?って思った。
なんでこれを選んだんだろうな、って。






2023年の正月のニュースレターのチバの姿が
ふた回りくらいちいさく見えて
大丈夫なのかな、年末年始に飲み過ぎただけだよね
なんて思ったりした。

2022年の、秋くらいかな。
バンドで受けたインタビューの中で
健康なんて念頭になくビールと煙草で生きてるようなチバが
「玄米でも食おうかな」なんて言って
メンバーにすごくびっくりされてて。
なんかあったんですか?と問われて
「なんかあったんだねぇ」なんて軽く答えてて。
キュウちゃんが「え?」って顔して
でもその後誰も突っ込まずに流してたけど。


2022年は
自作の写真展をやったり
自分のレコードコレクションをまとめた
「EVE OF DESTRUCTION」という本を出したり
映画「スラムダンク」の主題歌やったり
ユニカビジョンにライヴ映像流したり

アルバム作ってツアーやる、っていう
通常モードとは離れて
なんかずいぶんいろんなことやるなぁ、と思った。

「全部。ぜんぶ、やってやるって思った」
そう言ってたのは1年くらい前。
そうか、今そういうモードなんだね。
そう思ってた。
「生きてる間に」だったか「死ぬまでに」だったか
そう言ってたのも聞いたけど。

「SINGS」のブックレットに収められてる写真。
柔らかく笑うチバだったり
そのまま水平線に溶けてゆきそうなシルエットだったり
ジャケット写真の印象もあってか
遠くへ行こうとしてるみたいだなとふわっと思ったの覚えてる。
不安な気持ではなかったけれど。

こんな話、後付け的に
そういうことだった、の、かなぁ…
って思うだけのことなんだけど。
2023年の休養中は
さすがにね、言葉にできなかったから。




アミタさんの写真集がでることになってから
SNSに書影が流れてくるようになって
この強い意志が眼に宿るチバの顔を見るたび
毎回ドキッとしている。
いまはもういないひと、な気が微塵もしない。
いや、いないんだけど。







人生は前に前にと走り続ける列車のようで
自分の意志で降りることはほぼできなくて
気がつけば3年分
チバの休養を知った日から遠ざかっているはずなんだけど
窓の外を飛び去ってゆく景色を振り返ってみると
ずっとずっとその日が見えていて
その日を中心に螺旋状に回りながらしか人生が進んでないような
そんな気がしてしまう。
なんかちっとも遠ざかっていかない。


実質4年、たった4年しか
チバの声を追えなかったのにね。







「DEAR ROCKERS」2012
「潮騒」2019
「real light real darkness」 2020
「SINGS」2022


2026年6月27日土曜日

「語るに足る、ささやかな人生」

 




今朝見た夢に
この本に登場するアメリカのスモールタウンがでてきた。


埃だらけの大きな鉄錆色のセダンを路肩に止めて
ランチをテイクアウトしようと車を降りた。

当然ながら車は左ハンドルで
左のドアを閉めたってことは
私が運転してきたらしい(すごい!)
ちゃんと右側に寄せて止めてるから
正しく右側を走って来たらしい。
左ハンドル、右側走行などしたことないのに。


(私たちが)ここに来たって知ったら(私たちは)驚くよね。
(私たちが)いなくなる前に来てよかったよ。


友人と話しながら
ここにいることに満ち足りていた。
日本で夢を見ながら
太平洋を越えてアメリカの内陸部へ入り込み
さらに過去と現在なのか未来なのか
年単位の時間も行き来してるらしい。

夢の中でどの町をめざしてたんだろう。
夜の公園でランタンの灯りの下
アコーステッィクで奏でられるスコッツ・アイリッシュの町
マウンテンビューまで行けたら良かったんだけど。




日本では見ることのできない空の色
いちどに十何本も炸裂する落雷
水が一滴もない砂漠、車ごと吸い上げられそうな星空
海の底を走っているのかと思わせる風雨
そして光と風。

移動の充実感はこのような自然によって支えられ
そしてすさまじい自然を体験したその先にささやかな心地良い町がある
という取り合わせは
厳しい大地の中に暮らす人間の確かさというものを
温もりを持って教えてくれた。

ごくささやかな小さな町を舞台に
誰もが人生の主人公だった。
語るべき内容と信念を人生に持ち
それでいて声の大きな人物はひとりもいなかった。
大きな成功よりも小さな平和を
虚栄よりも確実な幸福を
町の住民に自分が役立つ誇りを
彼らは心から望んでいるように見えた。

そしてそのような在り方は
現在のアメリカとは完全に逆を向いており
その意味では彼らの生き方は今や
反アメリカ的と言ってもいいくらいだった。
国家と勝者が暴走する一方で
その国の内部をほんの少しでも奥へ入れば
無意味な成功と倫理観の崩壊を心から軽蔑する人たちが
かくも大勢いるのだ。

<序章 スモールタウンへようこそ>



St.GIGA繋がりで駒沢敏器を読み始めて。
屋久島の風鈴インスタレーションしか読んでいなかったのを
あらためて「地球を抱いて眠る」を全編読んだ後に
この本を読み始めて。
こんなに良い書き手だったんだぁと思う。

旅のノンフィクションなのだけれど
ほんとに“語るに足る、ささやかな人生”としか言いようのない
やさしい物語が描かれている。

アメリカという土地に暮らす人々を
はじめて好ましいと思ったような気がする。




最近、再販されて装丁が変わったけれど
この2005年の版の表紙
エドワード・ホッパーの「GAS」は
この本にとても似合っている。

駒沢敏器が
どのスモールタウンも音が少なく絵のような印象を受ける
と書いているけれど。

同じ構図を写真に焼き付けるのではなく
ひと筆ひと筆、色が置かれてゆく静かな時間を
そこにとどめることでしか
ホッパーの世界は生まれないように思えるし

車を駆って移動して
名もない人たちの日常の光景の中に身を置いて
そこから胸に残る言葉を探して彼らの代わりに語る駒沢敏器と
ホッパーはおなじひとびとに会っているような気がする。






<メモ>
スモールタウンを舞台としたアメリカ映画。

「ギルバート・グレイプ」
ああ、そうだね。
この映画のジョニー・デップとその家族の暮らし
町のひとびと。

マイケル・J・フォックス主演
「ドク・ハリウッド」

デヴィッド・リンチ監督
「ストレイト・ストーリー」

ニコラス・ケイジ主演
「パラダイスの逃亡者」


「プレイス・イン・ザ・ハート」
「マイ・ドッグ・スキップ」
「ラスト・ショー」



ああ、そうだね。
名前も知らない小さな町を舞台にした映画いっぱいあるね。
ニューヨークやLAばかりがアメリカじゃないんだった。
町の描写に注目しながら観て、見直してみたいな。



<メモ2>
ジョー・ジェウェル

ネットで聴けないかな。

2026年6月21日日曜日

ハルシオン 0.25mg




空からの水を
花びらの間にたっぷり貯めて
深いお辞儀をしているハイドランジア。




今日の雨は重たい雨だった。

東京アメッシュを開いて
雲の切れ間を探す気にもならないくらい
梅雨に吞み込まれた一日だった。

朝、目覚めたときから眠かった。


あ、でも、今日みたいな日は
植物園に行けばよかったな。
完全雨仕様で
雨と緑の溶け合った匂いを聞きながら
歩けばよかった。
気温も上がらなかったし
気持よく歩ける雨の日というのも
年に何回もないんだよね。





思い付きでハルシオンを飲むのを辞めてみた。

もともと寝つきが悪くて
布団に入っても2時間くらい眠れないのは普通で。
でも睡眠時間は7時間は必要で。
睡眠時間足りないとほんと使い物にならなくて
なんなら睡眠不足で休んだこともあるくらい。

だから勤めてた頃は
朝起きるために飲んでいた。

飲み始めて、20年かもっとかな。
0.25mgの錠剤をピルカッターで割って
4分の1にして飲んでいたので
量的にはたいしたことないんだけど
それでも20数年、毎日飲んでいた。

少量なので
起きて薬が残ってるように感じたことはなかったけど
それでも蓄積してるのかもなぁ、なんて思ったり。

週末に浴びるほど酒飲むひとより
毎日ちびちびと晩酌する人のほうが
アルコール中毒になりやすいなんて聞くし。

仕事辞めたし
世話をしなきゃいけない年寄りとも離れたいま
もう朝、何時に起きても良いんだよねと気づき。
というか、もうずっと
自然に目覚めて
身体がしっかり覚醒したら起きるって日々過ごしてるし。

寝付けなかったら、起きてればいいんだし。
起きるために寝なきゃっていう
なんかよくわからないミッションからはもう抜けてるわけで。

というわけで辞めてみた。

やや夜更かし気味にはなるけど
夜更かしはもともと大好きだし
短編の一本二本読んだ頃合いには眠くなって
そこからすんなり眠れている。

ハルシオン飲み続けると離脱するのが大変とか
聞いたこともあったけど
幸いケミカルな依存にはなってなかったようで良かった。

4分の1錠って、ほとんどプラシボ状態なんじゃない?
って思ってたとこもあったので
○○時に起きなきゃという脅迫から離れれば
それで大丈夫だった、みたい。