東京タワー。
正式名称は日本電波塔。
地上333メートル。
北緯35度39分31秒・ 東経139度44分44秒。
*
< 以下、横井宏「St.GIGA編成総論 夢の潮流」序より引用 >
昨年の夏の終わり
私はアメリカの作家カート・ヴォネガットから
直筆のポストカードを受け取った。
わずか七行の文面ながら、待ちに待った朗報であった。
数カ月前から彼の顧問弁護士を介し
一九五九年の作品『タイタンの妖女』に登場する
とあるキャラクターを独占的に使用したい、と申し出ていたのだ。
文章は簡潔で次のように書かれてあった。
「親愛なる横井宏様。
この度は、私の小さな恥ずかしがり屋のハーモニウムに
ご関心をお持ち頂き、大変嬉しく光栄に思います。
どうぞ、どうぞご自由に彼らをお使いください。
独占使用権に関わる費用
あるいは使い方についての事前のご連絡等、一切無用です。
ご健闘を祈ります。
カート・ヴォネガット拝」
長い間放送界にたつきを得て、海外との仕事も数多く重ねてきたが
これほどあっさりと受諾され
しかもこれほど温かく励まされたことは
いまだかつて一度もない。
胸を熱くして、この短い文章に何度目を落としたことか。
まさにハーモニウムを生み出した
まぎれもないその人の言葉であった。
ハーモニウム。
水星に棲む不思議な生物で
いくつかの美しい特徴を持っている。
その特徴と、間もなく開局する衛星系の音声放送局
セント・ギガの編成方針が添い
古い紙の中で永い眠りに耽っていたハーモニウム達が
突然たたき起こされる羽目に陥ってしまったのだ。
さぞや傍迷惑な、と思われようが
実はこのハーモニウムは決して人を恨まない。
恨まないどころか、怒り、妬み、野心、不安
といったものとは無縁の生き物である。
ヴォネガットはこの宗教性を帯びた性格に
更により精緻なデザインを施す。
まず彼らの食べ物を音楽と断じた。
つまり音を食べる生き物なのだ。
しかも、美しい音だけを。
その美しい音を食べ続ける限り、彼らは老いることがない。
不死の身体は、光を受けるとアクアマリンに染まり
目もあやな輝きを放つのだ。
そして深遠な光の中、体を震動させながら流麗な絵模様を作って
互いに並び合うという。
それにしても、ヴォネガットの真骨頂は
彼らに授けた言葉だ。
「わたしはここにいます。I'm here.」
「あなたがそこにいてよかった。I'm glad you're there.」
ハーモニウムはこの二つのメッセージだけで交信し合う。
凡百の言葉で装うよりも、しかし
これらの言葉はどれほどひとの心を打つことか。
東経110度。
赤道上空36,000㎞の静止軌道に浮かぶ放送衛星ゆり3号a。
この小さな星の一隅に
ハーモニウム達が水星から移り住むこと。
そこに届く水の惑星からのくさぐさの音を選りすぐり
美しい響きのみを束ねること。
それを音の潮流に編み上げ
地上に再び送り返すこと。
セント・ギガは、これらの願いをカート・ヴォネガットに託し
そして快諾を得た。
セント・ギガの開局まで、あと数日。
深い夜空の果てに、青緑のほさきが飛流していたなら
それは引っ越しのさ中のハーモニウム達だ。
ほどなく彼らの耳には
風の音、潮騒、鳥の声、歌声、楽の調べ
怒声と罵声、銃声と砲声、人や獣たちの悲鳴など
ガイアの様々な音が届こう。
朝な夕なこれらの音から
彼らは生命の輝きと濁りを峻別した音の潮流を
生み出してくれるはずだ。
それは地球の新しい歌だ。生命の歌だ。
その歌をエネルギーにし、彼らは光り輝く体を震わせ
「わたしはここにいます」の声と共に
はるかな高みから地球めがけて音の波を送り返す。
音の波が地上に届き始めるのが
三月三十日の、満潮時午後四時十七分。
耳を澄まして頂けないだろうか。
とりどりの音楽、自然の音、水と星だけを語るひとの声に。
これらが幾層にも折り重なったセント・ギガの音の潮流に。
そして受けとめて頂けないだろうか。
彼らのあの声を。
「あなたがそこにいてよかった」を。
それは何故なら
ハーモニウムがあなたに初めて心を通わせようとしている
唯一無二の証なのだから。
開局を目前にして
1991年3月末日
< 引用おわり >
*
< 以下メモ >
上田三四二「この世この生」
立花隆「宇宙からの帰還」
西行 月への祈り
坂本龍一「TAINAI KAIKI」
ライアル・ワトソン「生命潮流」
細野晴臣「QUIET STORM」
レイチェル・カーソン「われらをめぐる海」
Non Commercial
Non DJ
Nonstop Music
カート・ヴォネガット「タイタンの妖女」
セント・ギガのステーションコールは
「I'm here. I'm glad you're there. We are St.GIGA」
「タイタンの妖女」での原文は「Here I'm. So glad you're.」
原作者の了解を得て日本人の耳に馴染みやすい言い回しに変えた。
*
< 以下、寮美千子「水の時間」あとがきより一部引用 >
日の出から日の入りまでの「Water line(水の時)」と
日の入りから日の出までまでの「Ster line(星の時)」
CMもDJもない音楽と自然音の純粋な「音の潮流」だ。
日の出と言っても時間差がある。
日本で最初に日が昇る南東海上の南鳥島から
日本最西端の与那国島へと光は進みその差は2時間を超える。
日の出の時間帯を「Sunrise zone」と呼び
「いま〇〇に太陽が昇りました」と
リアルタイムで各地の日の出を報じる。
日の入りの時間帯は「Sunset zone」。
これにより、地球がダイナミックに回っていることが実感できた。
日が昇りきると「日本列島はすべて、光の中です」と宣言され
「星の時」が始まる。
当然、いわゆるグリニッジ標準時の時刻とは無関係だ。
だから、時報はない。
代わりに満潮と干潮の報せがある。
といっても日の出・日の入りと同じように
潮汐も各地で時間差がある。
だから各地の満潮・干潮に合わせて
「Hightide call (満潮)」「 Lowtide call(干潮)」を行った。
波の音とともにこんなふうに。
月に導かれて 水が満ちてきます
いま海は もっとも 空に 近づいています
東京芝浦は 満潮を迎えました
月に導かれて 水が引いていきます
いま海は もっとも 空から 遠ざかっています
東京芝浦は 干潮を迎えました
さらには月の満ち欠けも告知した。
< 引用おわり >
*
St.GIGA。
これほど美しい、祈りと言ってもいいような理念をもって
開局した放送局があった。
1991年。バブル景気は終焉を迎えていたけれども
それでも、まだ、日本に余力があったころ。
あると思われていたころ。
でもここから長いながい景気の低迷が始まり今に至る。
失われた30年。
St.GIGAも1993年には潮流を維持できなくなる。
ゆり3号aの運用も1998年で終了する。
坂本慎太郎の「ひとりぼっちの人工衛星」を思い出して切ない。
実際にはスペースデブリになっているのかな。
ハーモニウム達は、どうしたかな。
St.GIGA。
日没の間際に稀に現れるGreen Flashのように
沈む日本国の最後の煌めきを放った放送局だったのだな。
「夢の潮流」に記述があった。
「メディアには一つの大切な義務がある」と。
それは「WITNESS」であると。
「メディア人とは時代を目撃し、証を立てなければならないひと」
であると。
ほんとうに。メディアの矜持というものも
失われてしまったね。