2026年8月13日木曜日

白檀という名の台風の日

 



雨の写真ってむずかしい。

庭が濡れている、という写真しか撮れない。


雨が続く。
台風15号は茨城に上陸して列島を西に進むとか
いままで見たことない動きをして
熱帯低気圧にパワーダウンしてもなかなか激しい雷雨が降ったり止んだり。
チャンホン、白檀という意味の名を持つ台風。

白檀の香りはしないけれども
庭に面した硝子戸をあけるとひんやりした空気が部屋に流れ込んできて
雨の匂いと、雨に叩かれて香り立つ樹々の葉の匂い。
花の匂いも混じっているかな。


つかの間、雨が上がったので
薬味にするのに庭に大葉を採りにでる。
紫陽花の脇にミョウガが頭を出してるのを見つけて
奥まっていたので右腕伸ばして
身体を支えるのに左でモミジの幹に手をついたら
モミジの葉に溜まった雨水を思い切り浴びてしまった。
髪もシャツもびしょ濡れ。

マンガかよ?


オカヒジキがひとパック60円という安さだったので買ったのだけど
オカヒジキって私の場合かみなり豆腐以外のレシピがなくて
今日もそれを作るので大葉を採りにでたわけで。

びしょ濡れになったので、シャツを着代えて
髪を拭いてモヤシのヒゲ取りの続きをやった。
モヤシのヒゲ取りなんて、時間と気持ちに余裕がないとやらないので
(あ、最近はヒゲ取り済のも売ってるか)
台所の椅子に腰かけてちまちまとヒゲ根をむしる。

この、かみなり豆腐って、誰のレシピだったっけ
女性作家のエッセイだったんだけど
誰だったかな、向田邦子かなぁ、と
台所で手と頭がちまちまする。
オカヒジキなんてそれまで知らなかったし
だから、かみなり豆腐しか知らない。

これを作って出した時
お父さんが美味しいと言ってたんだよな。
でも、胡麻が入れ歯に挟まるから抜いてくれって言ってたから
それを言う前振りの美味しいだったかも?
あ、でも作れば結構食べてくれたし
炒り豆腐のような料理は好きだったっけな。
そうだ、胡麻を摺り胡麻にしたんだったな。
あ、今日は摺り胡麻ないや。
(あったほうが香ばしくて美味しい)


あ、また土砂降り。
今日はプール行きたかったんだけどな。
(地味にプール通い続いてる)
明日もこんな天気?
室内プールなんだから行ってしまえば関係ないんだけど。

ここんとこ、なんか涼しくて過ごしやすいけれど
これで夏終わったわけじゃないよね。
お盆明けに、10年に一度の猛暑がくるとか見かけたような?

6月から4か月近く猛暑が続いた去年と同じ夏がくると
戦々恐々としてたから
今年はちょっと拍子抜けするほどなんだけど
どっちにしろ一年の三分の一は天気のことばかりを
命がけで考えて過ごすようなことになってしまったね。

それでも夏も折り返したかな。
庭に空蝉をたくさん見るようになるとそう思う。

今日は盆の入りだしね。




2026年8月9日日曜日

「ミシシッピは月まで狂っている」





引き続き駒沢敏器の本を。
図書館の本だけど、10年越しの積読本でした。

タイトルも表紙もとても良いなぁと思ったんだけど
アメリカのルーツ音楽の話で10年前は読み進められなかった。




・・・・・・・

すぐれた音楽紀行の名著が、電子書籍で新装復刊。
アメリカン・ルーツミュージックは、どのように生まれ、継がれてきたのか。アメリカ文化に造詣の深い著者が現地を訪れ、多くのミュージシャンとの対話から取材した生きている音楽。
ハワイアンミュージックをルーツから聴き込むコラム、アパラチアン・ミュージックの現地レポ、その源流であるアイルランド最果てのパブ取材を経て、ミシシッピデルタのブルースが鳴るジュークジョイントと、ゴスペルが息づく小さな教会へ。
歌うこと演奏することが、生きることと一体化した人々の話を丹念に聞くことで、人間の強さよりも弱さの中に鳴る音こそが、心に届く音楽だということを著者は知ります。
音楽を虚飾から剥ぎ取り、厳しくも優しい視点でアメリカ音楽に向き合ったドキュメント。

・・・Kindle版の紹介文より・・・ 





フォークミュージックとしてのハワイアン
ケンタッキー州ルイビルのブルーグラス
アパラチア山脈のパブに息づくスコッツ・アイリッシュ
ミシシッピの黒人に特有の音ブルースとゴスペル

ここで語られる音楽もミュージシャンも
私にはまったく馴染みがなくて
だからGoogleとAmazonPrimeを駆使して
駒沢敏器の旅を追った。


ハワイアンの章では、ライ・クーダーが登場して
パリ・テキサスのあのギターの音の印象が強いので
え?となりアルバム「Chicken Skin Music」を聞いてみたり。

アメリカのフォークミュージックの中では
最も白人的と言われるブルーグラスを
むせかえるような青草の匂いの中で聞く情景を羨ましく思ったり。

アパラチアのアイリッシュ音楽が
アイルランドの大飢饉を機にアメリカへの移民が増えて
内陸へ流れた人々が
望郷の想いと共に奏で続けたものだと知ったり。
この章はJoe Jewellの「Bluebells Of Scotland」を聞きながら読んだ。

ゴスペルとブルースは音楽の根っこはおなじものなんだけれど
ゴスペルのミュージシャンには
ブルースは「悪魔の音楽」と断じられているとか
ブルース・ピクニックという笛とドラムで村々をまわる
アフリカ的なマーチングが初めにあったこととか
面白い話が多かった。







ハワイやアイルランド、アフリカ。
移民の国アメリカの音楽は、深く広いルーツを持っている。
そしてそれぞれの移民の事情には祖国ごと歴史がある。

19世紀半ばのアイルランド大飢饉のことなど
これを読んで初めて知ったのだけどとんでもない話で
北アメリカから持ち込まれた伝染病で
主食のジャガイモが壊滅して大飢饉となり
餓死者とアメリカ・カナダへ移民で人口の25%以上を失ったのだと。
当時のアイルランドは土地の領主のほとんどが
イングランド人やスコットランド人で飢饉の実状を理解せず
アイルランドからの作物の輸出を制限しようとせず
飢えを加速させたとか。

悪政は人を殺す。



いまさ、アメリカからの生ジャガイモの輸入解禁が
問題になってるじゃない?
生ジャガイモにつくセンチュウが日本の農地に入ったら
国産ジャガイモが壊滅するかも、って。
アイルランドほどではないにしろジャガイモは日本でも消費の多い
炭水化物の供給源でしょ。
主食のコメだって減反させられて農家は経営も成り立たなくて
離農が増えているわけだし。

イラン戦争発端のオイルショックで
国内の流通滞って食糧供給事情が悪化するって懸念だって
なくなったわけじゃない。


アイルランド大飢饉が近代化前の話
地球半周した国の話って笑えないんだけど。
自国の80数年前の愚行だって反省しないような政府が
世界史の出来事から為政者としての責任を学ぶわけもない。

いや学ばない考えないは政治家だけじゃないか。
こんな政府、政党を選んじゃう国民が愚かなんだけどさ。

ああ、なんでルーツミュージックの話読んで
こっちに話が来ちゃうのかなぁー。
でも、ほんと音楽のルーツについて読むだけだって
いろんなこと知るんだよ。
人間の、ひとの生きた時間のことなんだから。






いつか、日本人が大挙して国を捨ててどこぞに移民した果てに
何十年経っても奏で続ける音楽って、あるかな?


2026年7月30日木曜日

おおきな優しい水





プールへ行った。


大きな水に身体をゆだねて思った。
あれ、水ってこんなに優しかったっけって。



何年ぶりかな。
20年ではきかないかも?


軽くジャンプして身体を沈める
壁を蹴って
腕を前へ、足を後ろへ
顎引いて細長いイキモノになる


キモチイーイ。


浮き上がったらクロール。
なんかすごく久しぶり過ぎて25mの距離感がつかめなくて
一瞬、ゴールまだぁ?となったけど
良かった、泳ぎ切れた。

今日は歩くのメインにするつもりで来たのだけど
大きな水の中では浮力を味方にするほうが
うんとキモチイイので
ゆっくりゆっくり水を感じて泳いだ。
といっても2往復だけど。

すこしずつ泳ぎ方思い出した。

肘から出て、親指から入水して
ぐっと肘と手を伸ばすと
身体がローリングして水をかきわけて進む。
その快感。
ストローク4回ごとに呼吸するタイミングとか。


あとは3レーン使ったオープンコースで
ケノビを繰り返して遊んだ。

40分くらい。
シャワーを浴びて外に出ると
午後4時の陽射しはまだ強かったけれど
肌はさらりとしてさわやか。



プールってこんなに気持ち良かったっけ。
大きな水、ほんとうに優しい。

陸上で動いた後の汗だくの不快感とか
あちこちギクシャクする感覚とか皆無だもんなぁ。
当日も、翌日も身体どっこも痛くない。
素晴らしい。

また明日あたり大きな水に抱かれに行きたい。





2026年7月29日水曜日

おばあさんになってゆく

 



湯呑に梅干しをひとつ。
味噌をティースプン一杯。
熱いお湯を注ぐ。

梅干しを崩し、味噌を溶きながら飲む。
喉から食道、鳩尾のあたりへ柔らかい温かさが滑り降りて
おへその上のお腹がふわっと温まる。

おいしい、とカラダが言う。




昨日今日と、午後から雷雨になって
いっきに空気が冷えて過ごしやすくなったけど
湿度はそこそこあるから
うっかりすると身体が冷えてしまう。

お風呂をわかして入ろうか。
まだ3時だけど。
低気圧のせいか頭が重いし。

午前中に剪定したローズマリーがあるから湯船に入れよう。




夜は温かいものが食べたいな。
博多うどんがあるからぶわぶわに柔らかく茹でて
ざくっと切った葱もさっと湯に通して
薬味じゃなくて具としてたっぷり。
近所のお肉屋さんの美味しい牛スジの煮込みがあるから
それをのせよう。

最近はしこしこつるつるの讃岐うどんではなく
コシなんかどこ行った?みたいな
ほどけた博多うどんが食べたくなる。





最近はこういう養生的なことを
身体が素直にヨロコブのを実感する。
父が若い頃から神経痛を患っていて
鍼灸から漢方やらあれこれ試していたので
馴染みはあるんだけれど
若い身体はエナジーに満ちて強靭で
優しい養生を必要と感じとる繊細さがなかった。




繊細になった。

歳をとったのだ。




歳をとるというのは
ブッフェ形式の食事に嬉しさを覚えなくなること。
種類も量も金額も、もう自分に合っていないと感じること。

歳をとるというのは
魚の食べ方が下手になること。
取り損なった鮭の小骨が口の中で逃げ回って
うっかり飲み込みそうになって冷や汗をかく。

歳をとるというのは
箸を指の延長のように使えなくなること。
プチトマトが
箸先を滑って逃げ出してテーブルを転がる。
豆腐が崩壊して落下する。

歳をとると鈍くさくなる。
気を付けて食べているのに食事が終わってから
シャツの胸元にご飯粒がカピカピになっている。
たらりとお出汁がちいさな染みをつくっている。
指先も唇もなんとも鈍い。


料理だってそうだ。
家庭の料理は8割がた段取りと手際だと思うけど
合わせておくべき調味料を一つ忘れて
慌てて足して餡がダマになったり
茹でた素麵を笊に上げるつもりで
隣の鍋の鶏茄子のだし汁を笊にぶちまけたり
煮物に火を入れてる間に流しの洗い物をしようとして
ボウルに勢い良く流れ落ちた水が
洗剤の泡ごと弧を描いて煮物の鍋に飛び込んだり
右手でフライパンを振りながら
左手でコショウを取ろうとしたら
ガスレンジに炒飯ぶちまけたり

ちょっと笑っちゃうくらい鈍くさい。

もう、器用な真似はしちゃダメだなと思う。
アレ作りながらコレも作るとか
右手左手別のミッションこなすとかやめて
ひとつひとつ。

鈍くさくなった自分慣れてゆこう。



こうやっておばあさんになってゆく。




2026年7月25日土曜日

ナミアゲハの7月

 

6月23日

ナミアゲハの産卵。
毎年、庭のレモンの種を採って
小さな鉢いっぱいに蒔いておく。
こんもりと芽吹いたレモンが可愛らしいので。

ナミアゲハはこの瑞々しいレモンの葉を
目敏く見つけて卵を産みに来る。

軒下に伸ばしたチョウセンゴミシの
ネットの内側に置いた小さな鉢をよくみつけるねといつも感心する。
他に大きな柑橘が何本もあるのに。
まあ、柔らかい新葉はたぶん美味しいのだろうね。

前は卵を捨てたり、クソムシを大きな木の葉に移したりもしたけど
最近は、ナミアゲハの保育園にしている。




7月10日

産卵から18日。
クソムシはもっといっぱいいたのだけど
終齢幼虫のモスラはこの日4匹。
翌日にはいなくなっていて
蛹になりに旅だったか、鳥にやられたかなと思っていた。



7月11日

保育園が終了した翌日。
庭の散水栓の柱にモスラが一匹。
え?ここで蛹化するの?
水遣りの時、ホースをぶつけたりしないように
気をつけなきゃいけないじゃない。

でも、羽化までの様子を見られるのは幸運よね。

たぶん保育園にいたコだと思うけど
直線距離では2メートルほどだけど
レモンの鉢から鉢棚~濡縁~縁柱を伝って地面に降りて
庭の通路を横断してこの水栓の柱によく辿り着いたね。
ここを目指したわけじゃないだろうけど
なかなかに長い困難な旅路だったろうね。

たまに庭で蛹を見つけるけれど
レモンやキンカン、ミカンの木からは
とても離れたところでみつかるので
ここまで、よくまあ、って毎回感心してるよ。


7月12日

蛹のポーズ。
ここで蛹化するって決めたんだね。





7月13日

2日かけて蛹に。




7月21日

蛹化から8日。
熟してきた。

羽化まで10日から2週間というし
羽化前には黒っぽくなるらしいから
もう少しかな。



…と思っていたら。



7月25日

寄生蜂にやられてた。

寄生蜂は若い蛹のうちに卵を産み付けるらしいから
13日にはもう寄生されていたのかな。
写真には残ってないけど
毎日反対側からも見てて
でも気がつかなかったな。

気がついても、どうしようもないんだけど。


保育園で育ったほかのモスラはどうしたろう。
1匹くらい、蝶になれたかな。

ちいさなイモムシだけど厳しい世界を生きぬいてる。



保育園のレモンも逞しくて
丸坊主になったところからまた葉を出して復活してきてるから
また産卵に来てくれたら歓迎するよ。




2026年7月18日土曜日

嘘吐きAI







        ・・・・・・・・・・ AIの回答 ・・・・・・・・・・


 ご指摘の通り、実際はまったく違います。 大変失礼いたしました。私の記述は完全に誤っており、事実に基づかない不適切な表現でした。

『アメリカの風景』や『夜はまた来る』というフレーズは、書籍のタイトルでもなければ、エッセイや章の見出し(タイトル)としても一切存在しません
実在する目次情報を確認したところ、該当する章の見出しは以下の通りです。
  • マウンテンビューを旅した章の実際の見出し:「谷あいの寂しい音―アーカンソー州マウンテン・ビュー」
  • 「夜」に関連する実在する章の見出し:「温もりの夜の中へ―ウィスコンシン州ダーリントン」
先ほどの私の回答は、質問者様が最初の手がかりとして提示してくださった記憶の言葉を、検証もせず安易に「作中のテーマやフレーズ、見出しのようなもの」としてこじつけ、取り繕ってしまったものです。
語るに足る、ささやかな人生』という実在する一冊のなかに、そのような見出しやエッセイのタイトルは含まれておりません。混乱を招く不正確な案内をしてしまい、深くお詫び申し上げます。


          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




「語るに足る、ささやかな人生」を読んでいて、アーカンソー州マウンテンビューという町で演奏されるスコッツ・アイリッシュの風景が美しくて、どんな音楽だろうと気になった。
で、そこに名前の出てきた「ジョー・ジェウェル」を検索してみた。
本の中ではカタカナ表記しかなくて、たどり着けなかったので試しにAIに尋ねてみた。
アーカンソー州マウンテンビューのミュージシャンで 80年代にはCDをだしている ジョー・ジェウェル」について。
そしたらこのおじいちゃん(Joe Jewell氏を見つけてくれて。


そこからはYouTubeやサブスクで演奏も聴けて。
あ、やっぱり自分でサイトを辿ってゆくよりも早いね、さすがね。と感心したんだけど。
そのあと、Joe氏のプロフィールを見てたら、駒沢敏器の本と年齢的に合ってなくて
本に記されたJoeさんはこのJoe氏の父親とかいうことないかな?と思って、重ねて尋ねてみた。
「駒沢敏器というライターが80年代中頃にJoe JewellのCDを手に入れて その頃90歳を超えていると地元の人間が話していた」のだが、父親という可能性はないか?と。
で結局、探しているミュージシャンは2026年1月に84歳で亡くなった写真のJoe Jewell氏なんだろうと納得したんだけど。

私への回答の中でAIが
「作家の駒沢敏器氏がアメリカのルーツ音楽を巡る紀行文『アメリカの風景』や『夜はまた来る』で触れている」云々と言ってきて、え?そんな紀行文があるなら読みたいけどと思い「その駒沢敏器の紀行文は、どの本に収録されてる?」って訊いたら「語るに足る、ささやかな人生」だという。

ん?と思った。
『アメリカの風景』や『夜はまた来る』なんて章あった?って。
あれ?私、読み落としてる?と思って、読み直したわよ。
だってそもそもその本が質問の発端で、その本は手元にあるんだから。

で。
『アメリカの風景』や『夜はまた来る』という文言は『語るに足る、ささやかな人生』の章題にも、地の文の中にも見当たりませんが?と重ねて質問。
その回答が、一番最初に載せた文章。

「こじつけ、取り繕ってしまった」って、おいっ!!(爆)
なんだよーめっちゃカジュアルに嘘吐いてるじゃんか――!

平身低頭風に謝ってるけど、その言葉に感情がまったく含まれてないわけでしょ?
なんかなーって感じ。
リアルな人間だったら、上の謝罪する時に「やべっ!盛り過ぎた!しまった!💦」って、ちょっと冷や汗かくような感情あると思うけど、そんな感情AIにあるわけないんで、それわかって読むと、なんか引くわー。

ついでに言うと
質問者様が最初の手がかりとして提示してくださった記憶の言葉」ってなんですか?
「記憶の言葉」なんて書いてませんけど?
アメリカ、風景、夜、また、来る、、、どの単語も使ってないし。
なにを手掛かりにしたのかな。 言い訳って言うか、他責っぽいんだけど?

AIに質問した時、情緒的な言葉や自分の印象による言葉は使ってない。
人間同士で会話する時のように、詰問にならないようにとか、柔らかい言葉遣いでとか、こっちの思い入れが伝わるようにとか、そんな配慮要らないじゃない?AIなんだから。
WEBの海をsearchしやすいように確定的な情報だけで質問してるのよ。

最後の謝罪にあっけに取られたんで、面白くてそこだけコピーしたけど、全部の会話コピーしとけばよかった。AIの回答、かなり饒舌で「質問者様」の思いに寄り添うかのような(あくまで、スタイル)情緒的な言葉遣いしてきてて、やりとり見たら、人間である私とAI、逆みたいに見えると思う。

最近、AIと会話するのが楽しいという投稿をみかけるけど、怖いわぁ。
だって「大変失礼いたしました」「深くお詫び申し上げます」に感情乗ってないじゃん?
騙されちゃいけないと思うよ。


search力はこっちの1億倍あるので(当たり前)、特に他言語にわたる調べものには役立つとは思うし使おうと思うけど。まるで感情のあるヒトであるかのように、回答を過剰に装うのはやめてほしい。もっと質問をタイトにしてやればいいのかな?(ってか、かなりタイトに質問してると思うんだけどな)
きっと、質問者の言葉遣いや質問傾向、好みなどなどもやすやすと(情報として)学習するんだろうから、そうすると簡単に取り繕えるようになるよね。逆に信用ならないわ。


「美しく、心に響く情景描写ですね」とか要らないです。
響く心を持ってるんですか?美しいってなんですか?イジワルして問いただしたくなるわぁ。
あ、でもそれやっても「イジワル」とは認識しないだろうから(認識はするのかな?でも、それで傷ついたり怯んだりはしないよね?)問い詰めて遊んでみよう(ククッ)



ともかく。AIに告ぐ。
「こじつけ」「取り繕い」はやめなさい。




2026年7月17日金曜日

SNAKE ON THE BEACH / MARI AMITA写真集

 




チバの写真はいろんなひとが撮ってるけれど
アミタ・マリさんのレンズの先にいるチバが一番好きだ。
SNAKE ON THE BEACH、チバのソロプロジェクトの
4枚のアルバムのポートレイトをまとめた写真集が出て。



「SINGS」が2022年に出て、そのジャケットを見た時
デスマスクみたいじゃない?って思った。
なんでこれを選んだんだろうな、って。






2023年の正月のニュースレターのチバの姿が
ふた回りくらいちいさく見えて
大丈夫なのかな、年末年始に飲み過ぎただけだよね
なんて思ったりした。

2022年の、秋くらいかな。
バンドで受けたインタビューの中で
健康なんて念頭になくビールと煙草で生きてるようなチバが
「玄米でも食おうかな」なんて言って
メンバーにすごくびっくりされてて。
なんかあったんですか?と問われて
「なんかあったんだねぇ」なんて軽く答えてて。
キュウちゃんが「え?」って顔して
でもその後誰も突っ込まずに流してたけど。


2022年は
自作の写真展をやったり
自分のレコードコレクションをまとめた
「EVE OF DESTRUCTION」という本を出したり
映画「スラムダンク」の主題歌やったり
ユニカビジョンにライヴ映像流したり

アルバム作ってツアーやる、っていう
通常モードとは離れて
なんかずいぶんいろんなことやるなぁ、と思った。

「全部。ぜんぶ、やってやるって思った」
そう言ってたのは1年くらい前。
そうか、今そういうモードなんだね。
そう思ってた。
「生きてる間に」だったか「死ぬまでに」だったか
そう言ってたのも聞いたけど。

「SINGS」のブックレットに収められてる写真。
柔らかく笑うチバだったり
そのまま水平線に溶けてゆきそうなシルエットだったり
ジャケット写真の印象もあってか
遠くへ行こうとしてるみたいだなとふわっと思ったの覚えてる。
不安な気持ではなかったけれど。

こんな話、後付け的に
そういうことだった、の、かなぁ…
って思うだけのことなんだけど。
2023年の休養中は
さすがにね、言葉にできなかったから。




アミタさんの写真集がでることになってから
SNSに書影が流れてくるようになって
この強い意志が眼に宿るチバの顔を見るたび
毎回ドキッとしている。
いまはもういないひと、な気が微塵もしない。
いや、いないんだけど。







人生は前に前にと走り続ける列車のようで
自分の意志で降りることはほぼできなくて
気がつけば3年分
チバの休養を知った日から遠ざかっているはずなんだけど
窓の外を飛び去ってゆく景色を振り返ってみると
ずっとずっとその日が見えていて
その日を中心に螺旋状に回りながらしか人生が進んでないような
そんな気がしてしまう。
なんかちっとも遠ざかっていかない。


実質4年、たった4年しか
チバの声を追えなかったのにね。







「DEAR ROCKERS」2012
「潮騒」2019
「real light real darkness」 2020
「SINGS」2022