2025年6月8日日曜日

502 Bad Gateway

 





一時的なサーバーの不具合といっても
サーバーメンテナンスが終了して、もう3年経つので
このまま
Not Found になってしまうのかなと、思ったけど
ちゃんと表示されてて、良かった。


DiaryNote。



あそこは、私の記憶の外付けメモリーみたいなもんだから。













上巻650ページ終わって
話がほとんど進んでないのだが…。
毎度まいど迷路のような病院の中を歩き回って
誰かを探し回ったり逃げ回ったりしているのは
なにかの暗喩なのかとも思わなくはないけど。
650ページ全部、伏線なの?










認知症の進行具合をトレースした音楽作品。
6枚組、6時間超。

とても気になるし
聴いてみたい気もするのだけれど怖いよね。
聴きながら
共鳴して認知を持っていかれてしまったらどうしよう
なんて考えてしまう。



たぶん、近々、聴くと思う。






この音楽のことを教えてもらったあと
思い出したブログがあって、久しぶりに訪ねてみた。

若年性アルツハイマーになった奥様を介護している方のブログ。
数年ぶりに訪ねたら、昨年、奥様が亡くなられていた。
発症から20年。
まだご自宅にいて、奥様の人生のいろいろが失われつつある頃の記事を
ご本人はどれほどの恐怖だろうか、と慄きながら読ませてもらっていた。

右手に持つモノがコップだということも
それが水を飲むモノだということも
水を飲むというコトさえも
思い出すことができなくなってゆく。

家を出て街をさまよい歩き
部屋で叫び、窓を破り、暴れて泣く。
怖かったんだろうな、逃げたかったんだろうなと思う。
消えてゆく自分自身が、まだ見えて、わかる状態にあるひとの
恐怖は想像を絶する。


The Caretakerはそれを
どんな“美しい”音楽にしえたんだろうか。






 "Everywhere At The End Of Time" がたどり着く空白は
『航路』が描いたあの極致にも似ている。<引用元不明>


「Everywhere At The End Of Time」のレビューの中で
触れられていた小説「航路」を読んでいる。
ものすごい遠巻きなアプローチだな。






Lifeって、記憶のことだよ。

出来事やそれにまつわる感情といった“思い出”だけではなく
立ち上がること、歩くこと、飲み込むこと
排泄すること
生物に備わったそれらの生理的な動作でさえも
“記憶”が支えている。


Lifeが消えてゆく日々の
呼吸することさえ忘れてしまうまで続く“人生”

波打ち際に築き上げた城を侵食する波にあらがうように生きても
勝ち目はまったくないのに。





言葉に残してきたような“記憶”だけで
生物としての わたくし は生きているわけではない。
Lifeのすべてをバックアップできる日もくるんだろうか?
できたとして、それは誰の、どういう人生だってことなんだろう。

人生のページを開こうとして
Not Found と表示される日もあるのかな。
自分の記憶がNot Found と認識してしまうって
矛盾してる?成立不能か。

なんかサイバーパンクSFの世界みたいだ。



とりあえず「航路」の続きを読もう。








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