高村薫を読んでいると
事件がミステリーなんじゃなくて
生きて蠢く人、ひとりひとりが
なんならこの世界そのものがミステリーなんだなと思える。
「我らが少女 A」は未解決のままだった12年前の事件に
新たな光が当たって再捜査される、という話なんだけど
再捜査されても冷え切った事件は溶けだしては来ない。
当時の捜査担当者、被害者の交友関係、遺族
事件の周辺にたまたま居合わせたひとたちの心にさざ波立てながら
その波はうねりにも怒涛にも育つことはない。
ただ、12年前の出来事を思い出すそれぞれの脳内のシナプスが反応して
浮かんでくる想念を読者は読むことになる。
事件を解決して大団円!というカタルシスはない。
手に汗握る展開を求めるミステリ読者は
イライラするだろうな。
それが高村薫なんだよねぇ。
私は好きだけど。
エンタメではなくて人間小説なんだよね。
少女Aの舞台は、おもいきり私の地元と言っていい場所で
武蔵野公園や野川、是政線沿線の風景、中央線沿線
事件のあった2017年、私はどこかで朱美や忍を見かけてたかも
とまで思えた。
描かれる風景が匂いまでも思い出せるようで
土地勘のアドバンテージはあったかな。
そしてそして、我らが合田雄一郎が
その風景の中を歩いているというのが嬉しい。
しかし、合田が57歳になっているとは!
いまや捜査官でもなく、警察大学校の教授だし。
加納さんは榊原病院に入院してるし。
「マークスの山」が1993年だから、そりゃそうか。
ラストで合田は本庁に呼び戻されることになってるし
もう一作くらい白いスニーカーで捜査に当たったりするかな。

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