「眠りの航路」 呉明益
台北で暮らすフリーライターの「ぼく」は、数十年に一度と言われる竹の開花を見るために陽明山に登るが、その日から睡眠のリズムに異常が起きていることに気づく。睡眠の異常に悩む「ぼく」の意識は、やがて太平洋戦争末期に神奈川県の高座海軍工廠に少年工として十三歳で渡り、日本軍の戦闘機製造に従事した父・三郎の人生を追憶していく。戦後の三郎は、海軍工廠で働いた影響から難聴を患いながらも、台北に建設された中華商場で修理工として寡黙に生活を送っていた。中華商場での思い出やそこでの父の姿を振り返りながら「ぼく」は睡眠の異常の原因を探るために日本へ行くことを決意し、沈黙の下に埋もれた三郎の過去を掘り起こしていく。三郎が暮らした海軍工廠の宿舎には、勤労動員された平岡君(三島由紀夫)もいて、三郎たちにギリシア神話や自作の物語を話して聞かせるなど兄のように慕われていたが、やがて彼らは玉音放送を聴くことになるのだった――。 白水社HPより
どんな話?と尋ねられて、こういう話と答えにくい。
本の裏表紙から引用した“あらすじ”通りではあるのだけれども。
最初のページを開いたのは3月だった。
ずいぶんとゆっくりゆっくり読み継いだ。
長い長い夢を夜ごと繋いでゆくような読書だった。
5章あるなかの1節を読んで本を閉じて、また開いて数段落だけ読んでみたり。
ジェットコースター・ストーリーではないから先へ先へと急ぐような物語ではなくて。
目覚めて意識に残る夢を反芻したり、うつらうつらと夢に戻ったりしながら長い夢をゆっくりと航海した。
「ぼく」や「ぼく」の父・三郎、亀の「石ころ」、菩薩までが語るのは、“生きとし生けるもの”あるいは“かつて生きたもの”に見せられる“時の夢“のようで、読み終えてうっすら夢酔いが残っているような感覚。
……と書いても書いても、3か月かけた読書体験のなにひとつ言い表してないなぁ。
霧の中を泳ぐ夢を見てるみたいだ。
夜よ、安らかに眠れ。
この静かに眠る者たちの中に
明日目覚めぬ者がいるであろう。
F・ホドラー「夜」1889年 銘文
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