植物園で?樹に登る!
書名が魅力的過ぎる。これは絶対好きと確信してタイトル買い。
大学の農学部を出てから「樹木に体当たりで関わる仕事」に就きたいと、年齢的には遅いと言われながら造園会社に入り6年修業し、現在は植物園の育成管理をしているという二階堂さん。
植物園のメタセコイアはじめ高さ20mを超す樹にツリークライミングの技術で登りながら剪定・管理をして過ごす日々のエッセイ。
樹に登る
光りを取り合う
水が上がる音を聴く
樹木は動かない
クロマツと潮風と木バサミの音
香る木々
蜂の季節
樹の重さ
森の音を探す
……
章のタイトル読むだけで、うんうんと前のめりに共感しつつ、読めば現場のひとにしか気づき得ないひとことをみつけてはっとする。
私も樹に登りたいとずっと思っている。
樹に登るって、樹の懐に包まれることだから。
庭のモミジの夏の剪定でさえ、梯子を掛けて樹の内側に入り込むとほんの1mかそこら登るだけで空気が一変する。最近の流行の言い方だと、世界線が変わる、みたいな。
屋根に上がって樹冠の徒長枝を伐るときも、モミジのつむじに視線を合わせるとなんだか人懐こくなってるような気がする。
二階堂さんの言葉は文章書きの言葉ではないけれど、樹木と関わる喜びと平安を感じている人の言葉だなぁと思う。樹木がなによりも好きで畏怖の念も持っていて、五感を開いて樹木と関わる仕事をなにものにも代えがたい時間と感じてるんだろうなぁと、羨ましく思う。
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庭のモミジの剪定を、地元の造園業者に依頼した。
私が繰り返した素人剪定が樹形を壊してるんだよなってわかってたけど、楽しみを手放したくなくて続けてた。でももういまの私の運動能力では木登りは辞めたほうが良いと、諦めることにした。
依頼した翌日に見に来てくれた親方は、庭師歴50年だって。
他の現場からの帰りに現れたいでたちは、藍染めの股引きに脚絆と地下足袋。
70代だろうな。150㎝台?小柄だけどきびきびした動きに物言い。惚れました。
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急がないし親方の都合のいい時でとお願いしたので、まだいつと決まってないけど、梅雨の晴れ間のいつか。
中途半端な枝落としで枝数が増えてしまった樹冠部を切り詰めることになるので、かなりさっぱりしてしまうかも。強い樹だし大丈夫。一昨年のシルバー人材センターのおじさんの剪定にも耐えたんだし…と思っても、私以外の人が切るのかと思うとなんだか不安になる。気を入れ過ぎだよね私…とは思うけど、自分ができないことがとても悲しい。
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樹木の剪定の教科書にはたいてい「夏の強剪定は控えるように」と書いてある。
二階堂さんも植物園で真夏にノコギリを挽いていて「この時期にそんな大きな枝落として大丈夫なんですか?」と質問されるらしい。
そこで私は「樹の顔色を見て、どこまで強く剪定できるのかを判断しているので大丈夫です」と続けます。しかし、自宅の庭をたまに手入れしている経験しかないならばわかりにくいでしょう。なので「もし夏に強い剪定を必要としましたら、必ず造園屋さんに頼んでくださいね」と申し添えます。
「剪定で最も重要なのは、その個体がどの程度まで枝葉を失っても耐えられるか」を見極められるかどうかだから。 親方、どうぞよろしくお願いします。
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二階堂さんが育成管理を担当している植物園は、国立科学博物館筑波実験植物園。
2時間ちょっとで行けるんだな。よし♪
単純に、「良いね」ってつけたい気分。『樹の顔色を見て』っていいなぁ。
返信削除ところで、「世界線」という言葉。何となく馴染めなくてねぇ。自分で使うと違和感ががが・・・。世界観とニュアンス違うのかなぁといつも思いながら聞いているw
ククク、「世界線」今回はじめて使ってみました(笑)
削除元は相対性理論だか零次元幾何学(←なんだそれ?w)の用語らしい(と知っても意味不明)
まぁSNS上ではオタク用語だもんね、そうそう使うシチュエーションはない/使えない(笑)
「世界線」について。思ったこと。
削除SNSで使われてるの見ると、異世界転生もの?勇者もの?のマンガオタクさんたちの言葉みたいで、自分が使うことはないなぁと思ってたんだけど。
この日記書きながら、モミジの緑のドームの内側に潜り込んだ時の感覚が、日常と異なった世界(異世界?)にひょいと頭突っ込んだような感覚で、「あ、これって世界線を踏み越えた感として使って合うかも?」と思ったんだよね。「世界観」ではないし「風景」でもないしなぁ、って考えて。
オタクさんたちの用法を理解してるわけじゃないし、もちろん相対性理論は理解不能なので、自分で納得してるだけの使い方なんだけど。
聞きかじりの外来語を使ってみた、に近いけど、こんなふうにおずおずとでも使うことで、新しい言葉って定着していったりするのかな。日本語にとって良いのか悪いのか判らないけど。