2023年4月28日金曜日

向井秀徳アコースティック&エレクトリック

 



TOKYO春爛漫・有楽町I'M A SHOW



オープンしたばかりの新しい劇場でワンマン。
元映画館かな、傾斜のあるつくりで着席して見やすくて良かった。
いやぁ、もう座って聴けるの最高。
キャパ400、なんかちょうどいい。



セットリスト、SNSから拝借。

This is 向井秀徳、25回?(笑)
「はあとぶれいく」はアコースティックギターで。



向井さんのギターは気持が良い。
心にも鼓膜にも、体感も。
すこーしアルコールが入ったような加減で
ふんわり眠くなるんだよね。
なんでかな。
ZAZEN BOYSの時もそうだった。
あれはスタンディングだったのに。
なんでだろ。




2023年4月26日水曜日

「善き人のためのソナタ」

 



公開:2007 年  時間:137分  
製作国:ドイツ



―――レーニンは、ベートーベンの「熱情ソナタ」を批判した。これを聴くと革命が達成できない。この曲を聴いた者は、本気で聴いた者は悪人になれない。

この言葉が映画の底流にある。
タイトルになってる「善き人のためのソナタ」は、作中で一度だけピアノで演奏される曲で、作曲はカブリエル・ヤレド。あ、ベティ・ブルーの作曲者だ。


秘密警察シュタージによる反体制派への監視が行われていた冷戦時代の旧・東ドイツ。秘密警察局員のヴィースラー大尉は、1984年のある日<反体制派>と目される劇作家ドライマンを監視することになる。
映画の冒頭、当時の監視社会の状況と、冷徹で有能な尋問者としてのヴィースラーの姿が描かれる。ドライマンの部屋の盗聴を始めるまでの流れも無駄がない。
東ドイツで7年芸術活動を禁止されてきた友人が自殺し、それを知ったドライマンが友人から贈られた楽譜「善き人のためのソナタ」を演奏する。それを聴くヴィースラー。

権力者と監視下で暮らす市民。盗聴する者と盗聴される者たち。監視され、拘束され、尋問される者。決して暴力的な映像ではないし、むしろ緩やかな空気感さえあるのだけれど、それでも追いつめられてゆく者はいて、シュタージから逃れることはできない。そして、代償も描かれている。そこで終わっても不思議ではない映画なのだけど。その後がとても良かった。

1984年のこの出来事から、5年後。ベルリンの壁は崩壊する。
シュタージ博物館。
さらに2年後。二人の男が交差する。

ラストのセリフの素晴らしさ。


面白かった。
AmazonPrime




   *


ガっちゃんのレコメンドは良いなぁ。
この映画もとても良かった。

ガっちゃん。「クーリンチェ少年殺人事件」のDVDを貸してくれた元同僚。
彼女がくれた手書きのお気に入りリストにあった作品。
彼女が退職して3年か。早いなぁ。
リストにあるほかの作品も観てみよう。きっとはずれない。




2023年4月24日

 



チバの未来を愛してる




***



毎朝PCを立ち上げたら最初にキュウちゃんのブログを開く。
暦ネタとか読みながら、キュウちゃんの日常が平和に続いてることに安堵する。
キュウちゃんの向こうにはチバがいるから。

早起きキュウちゃんの更新が遅いと「なした?」って思う。
コロナの時も遅い更新だった。
今日は?なした?




飛行機とホテルの予約をキャンセルした。
大阪へ行く理由がなくなった。




どうしよう。
じわじわ苦しい。




何年も
チバユウスケの声に
助けられてきたから

一番辛いのはチバで
ご家族でメンバーでスタッフで

私が苦しいとか言ったって
何ほどのものかって
思うけど

息ができない




病名で検索はしない

検索したって
チバの様子がわかる訳じゃない
無駄に落ち込むだけ

って思ってたのに
TLに別方向からばんばん流れてくるので

喰らって
むしろちょっと笑った




この2時間ほどで
すごい疲れた

家族のご飯とか
やらざるを得ない
日常
がある

それはきっと
いいことなんだろう

So it Goes.
(そう言っとこう)




統一地方選挙も
クッ◯カルト政府も
終わってないコロナ禍も
今夜の家族のご飯も
明日の出勤も

なんかもうどーでもいいって
感じになってきている

やばい
世界が終わりそう
(私の狭い世界が)




カッコいいよなぁ。

カッコいいは、最強だから。
だから。





父の病名告知された時の衝撃思い出す‥‥

父は生還したぞ。
生還して10年生きて別の病で亡くなった。
だから、(大丈夫)

ただ病名のインパクトがキツいんだよ。
聞かされる家族がたぶん一番しんどい。




曲を、チバの声を聴くの、ちょっと怖かったけど。 
こんなときでも助けてくれるのは、やっぱりチバの声。  

花の咲く季節にそれはよく似てる





今日はさすがに不安に心がざわついたけど
明日は日常に戻るよ。それしかない。
というか、考えたくない。

私のスマホのロック画面。 
Baby I love you.






花が咲き始めて
庭がレモンの匂いに満ちてる。

あのレモンかじってた






各メディアの写真に、なぜそのチョイス?
と、お陰でちょっと笑えてよかった😅

チバユウスケって
いわゆる世間一般の「芸能人」枠ではないんだなぁと
あらためて(それで良い!✨)



ドーナッツの穴なんで空いてんの とか 団子屋でお茶してこ とか
あのひずんだ声で歌う?
でも、だから、良いんだよね。

普段、選んで聴く曲じゃないんだけど。シャッフルで流れてきて。
なんだよ、辛いのはチバなのに、、って
助けられて、クスッとして、泣く。





***




祈る、とか、待ってる、ってなぜそう素直に言えないんだろう。
祈ってるし、想ってるし、待ってるし、待つしかないし。
でもそれは私の気持じゃない。

きっと大丈夫、とかも全然言えない。なんで?なんで大丈夫って言えるの?
いや、怖いから、そう言い聞かせてるだけだってわかってるけど。
祈る、待つ、大丈夫……文字を目にしてクラクラする。

みんなが手を取り合って励まし合ってる輪にはいってゆけない。

私以外の誰かが、どんなにチバを好きでも、どれほどたくさんの人が快復を祈っててもこれっぽっちも励まされない。相変わらずのはぐれ者。

「励ます」って?
「気持ちが奮いたつようにしてやる。元気づける。力づける。激励する」
奮い立ちたくないし、元気出したくない。ひとり暗くしんねりと沼に沈んでいたい。


私が奮い立ったところでチバの体調に1ミリも影響はない。
関係ない。

たぶんそれが悲しいんだねぇ。
チバに限らないけど。できることなどなにもない。
そういうものです。






2023年4月22日土曜日

「チベット・ガール 翼を求めて」

 



原題:The Tibetan Girl
2016年製作/作品時間31分
撮影地:中国
製作国:中国

音楽を通じてチベット文化を広めようと、念願の北京にやってきて8カ月。ドルマは漢民族の生活習慣や文化になじめず、生きづらさを感じている。故郷のアバには両親と妹が暮らし、妹もまた進学でアバを離れて海外留学することを夢見ている。ドルマは海外公演のチャンスを得るが、当局がチベット人にかけた制限により、パスポート取得は難航する。運命に翻弄されながらも、一歩ずつ前に進む姿に胸を打たれる。高原の美しい風景と、人々の厚い信仰心をとらえた映像により、ドルマの故郷への思いが一層強く伝わってくる作品だ。



この女の子、とても良い。
常盤貴子に似た面差し。大柄でロングショットに魅力がある。
北京のステージで歌う姿と、故郷のチベットでヤクの世話をし馬を駆る姿がぶれない。
都会でも草原でも常に数珠を繰り、マニ車を回す。祈ることが強く生きることに真っ直ぐ繋がっている。

この撮影が2014年頃。今どうしているのかな。



ソメイヨシノの実

 



ソメイヨシノはクローン木の為、ソメイヨシノ同士で受粉することはあり得ません。ただ別品種の桜と自然交配した場合にはソメイヨシノでも実をつけていることがあるのです。もしソメイヨシノに実がなっているのを見つけた場合はその木の周りに必ず別の品種の桜があるはずですよ!しかし、この場合は厳密には純粋なソメイヨシノの実ではなく、交雑種の実ということになります。その為、純粋なソメイヨシノの実は存在しません。

 

(↑ごめんなさい、どこのサイトからもらってきたか忘れた)




ソメイヨシノは結実しないと思ってたので、ときどき見かけるサクランボをなんだろうなと思ってた。実がつく頃には花は散り切っているので、もしかしたらこの実のなってる木はソメイヨシノ以外の木なのかな?と、疑問は常に流れ去り。

小石川はさすがにいろいろ表示があるので確認しやすい。
桜の園にはいろんな種類の桜が植わっているのでなるほどと。
ソメイヨシノでも、品種はいくつもあるんだね。そうだ、衣通姫ソトオリヒメなんていうのも咲いてるの見たっけ。それは小金井公園。

2023年4月20日木曜日

山椒を飾るごはん




木の芽を飾りたいがために
炊く筍ご飯


 


裏庭にあった山椒の木が枯れて何年か経って、門扉脇に勝手に生えてきたサンショウ。
一昨年だったかアゲハの幼虫に丸坊主にされてたっけ。
今年、実生で3年目か4年目。大きくなった。1mくらい。






これはどこから来たサンショウなんだろうなぁ。裏庭のは花や実を見た記憶がないんだけど。和のハーブとしてはあまり出番は多くないけど筍の季節にはあると嬉しい。
出入りする門脇なので横に張りだして来たらすこし切ってやらないといけないけど、モスラズにまかせても良いかな。



   *

筍は土佐煮とか炊き込みご飯とかが家族にはあまり受けない。薄味で、筍だけを味わいたいというのないみたい。で、今回は鶏肉と筍は炒めてから炊飯器に入れ、地鶏のスープで炊いた。で、炊き上がってさっくり混ぜる時に、禁断の!バターをひとかけ投入。美味しくないわけないってヤツですね。よく売れましたw




2023年4月19日水曜日

ありふれた偶然/「ひとりのときに」




「私にとっては全てがひとり遊び。
もしかすると人生そのものも」



   *


あら?っと思って、へぇ…となる「ありふれた偶然」がやってきて嬉しくなる。
「スローターハウス5」や「草枕」や佐喜眞美術館。

今回はニコ・ピロスマニ。
高橋茅香子さんの、あなたは私ですか?と思うような日々の覚書のなかに、熱い筆致で語られるニコ・ピロスマニとジョージア。
イマイさんのインスタでピロスマニを知る前から、ジョージア滞在中の日本人と日本在住のジョージア大使のSNSを面白く読んでいて。ピロスマニとジョージアが集まってきてるみたいです。それ、を意識して探してはいないんだけど。知らないうちに、それ、が集まってきてて、あら?これも、あれも?となって面白い。

私がかなり狭量な指向性の高いアンテナ張って、そのレーダー網にかかってくる事柄なんだから奇跡というには及ばない必然なんだけども。ただタイミングはいつもちょっと不思議だなぁと思う。まあでも、ありふれた偶然。




   *


―――私にとっては全てがひとり遊び。もしかすると人生そのものも。
という引用をSNSで見かけて。流通にのらない少部数出版社の本で書店で手に取ることもできないので地元の図書館に頼んで取り寄せてもらった。何人もの手を借りてやってきた「ひとりのときに」

彼女の“ひとり遊び”あれもこれも、私もやってる/やりたいこと。
やりたいのに、私がやれてないことを、うんうんと読みながら、私の人生に足りなかったものを実感する。なににつけ、私は中途半端なのね。生き方が。ま、そんなもんだ、って思うだけだけど。凡人だからな。残念だけど。




「スローターハウス5」


2023年4月17日月曜日

ジャガタラ

 


Bacalao・バカラオもどき


生鱈が値引きになっていたので。
ジャガイモと鱈の組み合わせ好き。
私は勝手にジャガタラ・スープと呼んでる。

鱈の身を崩したくないので
ハーブソルトと小麦粉振ってフライパンで軽く焼いて
最後にスープの鍋にいれた。
オリーブの実を入れても美味しそうだけど
オリーブ、常備されてないしな。

本場のものは干し鱈でつくるようなんだけど。
干し鱈、結構な値段する。
それと一昼夜かけて水で戻すとかちょい面倒で。
日々の料理なんて、その日に
スーパーの棚見て、冷蔵庫にあるもの考えて
で、作りたいもの作るって感じなので。





料理って、段取りと手際だよね。
特に毎日の家庭のごはんなんて、主菜・副菜・汁物をぱぱっと作って、それに常備菜(昨日作った煮物とか、ぬか漬けとかね)合わせて一膳、小一時間で作る感じだけど、その時間内に8割がたの後片付けも含まれる。


そういうの得意だったんだけど、最近ほんとにドンクサくて。
たとえば料理中って包丁を洗って拭くという動作を何度もやると思うけど、鍋の火を見ながら、塩加減見ながら、レンジの下処理気にしながら当たり前にやってたのが、手がうろうろ迷って包丁の刃が手に当たりそうになったりとか、ちょくちょく。最初にすりおろしておくべきだった生姜を途中で慌てて下ろそうとして、指まですりおろしちゃうとか、、うわ、ドンクサイ。

料理に限らずだけど、いろんなコトの処理速度がどんどん低下してきている。
手先だけじゃなくて、脳の中も。これってブレインフォグか?コロナ罹ってないのに?って思うような、薄ぼんやりして立ち止まったままの脳を自覚する時ある。
時々認知症の兆し?って不安になることもあるけど、まあ、年齢相応なのかもね。
ゆっくりゆっくりに慣れてゆくしかない。


だけど、コロナ後遺症でブレインフォグ患ってる若い人が多いようだけど、20代~40代でこんな感覚になっちゃったひとがいっぱいいたら、ニッポンの“生産性”は低下する一方だよなぁ。





2023年4月10日月曜日

ミョウガとミミズ

 





一昨年の夏、裏庭に手を入れた時、ミョウガをかなり抜いた。

地下茎で増えるミョウガがかなりのスペースを占めていて、これを抜かないことには仕方なかった。
でもミョウガは夏から秋にかけて薬味としてとっても重宝するので惜しいなぁと思って、抜いた地下茎を植木鉢に埋めて水遣りだけはしていた。
地下茎の植物はほんとに強い。
去年の夏には葉芽を出してきて夏の終わりにはちっちゃな花芽――薬味にする部分――もいっこだけ顔出してた。しっかり生きていました。

そして4月。
4月は移植の月……と、カレル・チャペック先生もおっしゃってますので。

野菜用のプランターに植え替え。
地下茎であちこち遠出しかねないミョウガはプランターのほうが管理しやすいだろうし。






今年ももうしっかり葉芽が伸びてきていて、鉢から抜いたら根がこんなに回ってた。
裏庭に出ていたミョウガの芽もさらに引っこ抜いて植えました。
どうぞ、花芽をよろしくね。


  *


野菜用プランターの土はかなりの量が必要なので、裏庭の片隅の古土&枯葉コーナーから掘って半分使ったんだけど、そこにシャベルを入れたら肥えたミミズがにょろにょろでてきてビックリ!……はしたけど、ミミズのいる土は良い土というのを信じて、そのにょろにょろも2匹ほどプランターに入れときました。

実際、良い土ができてそうなんだよなぁ、そのコーナー。
ここ何年か、冬に大量に出るモミジの枯葉をビニール袋に入れて竹酢酸スプレーして放置、嵩が半分くらいになったらそのコーナーに放り込む、というめっちゃアバウトな土造りモドキをやってて。ほんとは時々掘り返して空気を入れてやるのが良いらしいんだけど、それ、かなりの重労働で。狭い場所で作業しにくいのもあるし、掘り返してなんか出てきたら怖いしなぁとほったらかしてたw
そこをミミズが耕してくれてたみたいです。


ほんとうの園芸家は花をつくるのではなくって、土をつくっているのだということを発見した。   ――カレル・チャペック


ミミズは園芸家のパートナーなんです。




2023年4月9日日曜日

「ニコ・ピロスマニ」画集





「ニコ・ピロスマニ」画集
  217点の絵が収録されている。




なぜニコ・ピロスマニの映画など観たかというときっかけはイマイさんのインスタ。



イマイさんが抱えている本の表紙の絵がイマイさんが描く絵とテイストが似ているなぁと思い、誰の本?ニコ・ピロスマニ?誰?…で図書館で探す。画集と一緒にDVDもみつけて視聴、という次第。




 だれのもとで学んだというのでもない。ニコ・ピロスマニは骨の髄まで、自分ひとりを相手に、本能で学び取った人だった。絵の具入りのカバンをさげて通りを歩く。主に居酒屋を巡ってゆく。独特の堂々とした風貌から、ひとびとはからかい半分に「伯爵」と呼んだ。
 ドアを押して中に入ると「伯爵!」の声がかかる。するとニコはカバンを開けて絵の具をとりだす。彼はブリキやボール紙やリノリウムに描いた。戸口や壁にも描いた。やがて画布として防水つきの黒い布を工夫した。店の亭主差し入れの酒のコップをかたわらに入念に画布のしわを伸ばすと手製の画架に立てかける。あるいは壁に貼る。絵の具はコバルトやクローム、黄色、赤、白色顔料。たいていは2,3色で足りた。彼はスケッチをとったり、エスキースを用意したりしなかった。ひと思案したのち、一気に絵筆を走らせる。 
「居酒屋の“伯爵”」 池内紀



画集はね、さすがに217点一気に観ると飽きる、かな?
ペンキ絵とか看板絵に近い絵なのかもしれない。街や店の風景に溶け込んで馴染み深く眺めて良い絵なのかな。映画の中でシーンの奥に存在しているピロスマニの絵は良かった。



プリミティヴィズム(原始主義)とも称され、奇を衒うでもなく、アンチリアリズムを標榜しているでもなく、むしろピロスマニの暮らしたトビリシの町や森の生活や伝説を実に無邪気に描いているのだが、悪意というものや、生活感というようなものを、全く感じさせないその子供の心のような画風に多くの人は忘れていたものを再発見したような思いだったろう。 
「20世紀に生きたピロスマニ」あがた森魚 

 

1980年代の中ごろに、池袋の西武美術館でピロスマニの展覧会があって、そこで出会ったというあがた森魚。
80年代中ごろ、西武美術館。どういう時代だったか判るよねぇ。広告の時代ど真ん中で、コマーシャリズムとは全く無縁な素朴なピロスマニの絵にみんななにかを“再発見“したんだろう。



この本には池内紀、あがた森魚の他にも山口昌夫、小栗康平、四方田犬彦の解説・エッセイが収められていて面白かった。
そのなかに堀内誠一がan,anに載せていた旅のエッセイが転載されていて、読めて良かった。



そして書籍化された「堀内誠一の空とぶ絨毯」購入♪









ニコ・ピロスマニの画集と
DVDの下に敷いてるのはイマイさんのイラストのバンダナ。
なんだろ、なんかいろいろとイマイさんが好き。






 

さいた さいた ♪




ダブルシュガー




チューリップ、好きです。

昔は黄色いチューリップを良く買っていた。
幼稚園児が描くみたいな、一重のカップ型のやつ。
30本くらいを同じ長さで切り揃えて密に束ねてそのままズボッと大きなポットに活けていた。部屋が明るくなった。
ただこのチューリップは花が開きだすと一気に乱れて散るので暖かい部屋では楽しみも短かった。


いまは球根を買って12月に植えて春の愉しみにする。
混植とか寄せ植えが好きではないので、ひと鉢に一種類の球根を密に植える。

最近は八重咲の品種も多くて、つぼみから開いてから散るまでの変化に富んでいて、長く楽しめる。赤花と白花。同じ日に植えたのだけど、つぼみが上がってくるのに10日くらい差があった。ながく愉しめて良い。赤花ダブルシュガーがいま見頃。

白花ホワイトバレーは一昨日の風雨でもう持たないだろうと思ったので切って部屋に。八重の、フリル様の花びらは咲き乱れる姿も美しいな。乳白色に浮くグリーンと滲むピンクに見惚れる。




ホワイトバレー





3月19日
つぼみが上がりはじめる。





3月28日
咲き初め。





4月3日
満開。






 ホワイトバレーは3月19日につぼみがふくらんでから3週間、ずいぶん長く咲いてくれてる。球根の見本の写真よりずっとキレイだった。

そうそう、ホワイトバレーは土からほんの少し芽を出したところでナニモノかに齧られてしまいちゃんと咲くか心配だったけど大丈夫だった。毎晩フェルトのカバーをかけて防御してお世話した甲斐があったわ。
ダブルシュガーはどんな変化を見せてくれるかな。



2023年4月3日月曜日

Ryuichi Sakamoto

 






―――坂本さん亡くなったね


という一行をなんだかまじまじと見てしまって、それにうまく反応できなかった。
ネットに坂本龍一死去のニュースがあふれ始めてた。
今朝は目が覚めた瞬間に、坂本龍一死んじゃったんだなぁと思ったし。

涙にくれるってほどじゃないけど、なんだか地味に動揺してたんだな。
悲しいかっていうとそれほど思い入れがあるわけじゃないけど、自分の10代の終わりくらいからずっといたひとがいなくなってしまったことを寂しいなとは思う。こうやってみんないなくなってゆくんだな、人生って寂しいなっていう、そういうサビシサ。



YMOは聴いていた。
ソリッド・ステイト・サヴァイヴァーは誰かがダビングしてくれたカセットテープで持ってた。街中で流れてたしね。
坂本龍一の音楽を個人的に選んで聴いてたわけではないけれど、それとは知らずに彼の作品をいっぱい耳にしてきてるはず。友人がつくるMIXにもよく登場するし、ここ何年かは身近な存在だったかも。


坂本さんの音楽以外で記憶に残ってるのは、2015年8月30日の国会前。
あの日、私が出遅れたせいであの国会前を埋めた群衆の潮は引き始めていたのだけれど、正門前をぶらぶら歩いていると、ちいさなひとの塊のなかに坂本龍一の姿があった。雨の中、レインコートを着て普通にそこにいた。
ただそこに見かけたというだけなんだけど、そっか、一緒に路上に立つひとなんだな、おなじ地平に立ってるんだな、とほっとするような気持だった。
そのころは最初の癌の療養中だったはずで、雨の日にスタンディングなんかして大丈夫なのかなって思ったの覚えてる。その日はスピーチしたり、SEALDsとコールしたりもしてたらしい。


SNSのタイムラインの中で、坂本龍一の反原発や政府への異議申し立てについては「すかすか」と言っている人がいて、そのひとの発言はいつも感心しつつ読んでるので「え、そうなの?」とちょっとびっくりしつつ、「そんなことないですよ」と言えるほど坂本龍一を全方位から知ってるわけじゃないし「そうなのかぁ」と思ったり。
傑出した表現者だからと言って、社会への洞察力や政治的アプローチまでも深く優れているとは限らないし、それでも発言しない行動しない表現者ばかりの日本であの日あそこにいてくれて、なにかのアイコンになってくれたことには感謝しかない。私はね。



なんにしろ、訃報というのはふいに来て心に波風たててゆく。




R.I.P






2023年4月2日日曜日

2023/04/02





一生は短いんですもの。
やりたくないことに時間を費やすなんて、もったいないわ。

―――ターシャ・テューダーの言葉




ほんとうにそのとおりだわねぇ。

だけど
やりたくないことは山ほどもあるけど
考えてみたら
やりたいことなどあんまりないのだが。