―――坂本さん亡くなったね
という一行をなんだかまじまじと見てしまって、それにうまく反応できなかった。
ネットに坂本龍一死去のニュースがあふれ始めてた。
今朝は目が覚めた瞬間に、坂本龍一死んじゃったんだなぁと思ったし。
涙にくれるってほどじゃないけど、なんだか地味に動揺してたんだな。
悲しいかっていうとそれほど思い入れがあるわけじゃないけど、自分の10代の終わりくらいからずっといたひとがいなくなってしまったことを寂しいなとは思う。こうやってみんないなくなってゆくんだな、人生って寂しいなっていう、そういうサビシサ。
YMOは聴いていた。
ソリッド・ステイト・サヴァイヴァーは誰かがダビングしてくれたカセットテープで持ってた。街中で流れてたしね。
坂本龍一の音楽を個人的に選んで聴いてたわけではないけれど、それとは知らずに彼の作品をいっぱい耳にしてきてるはず。友人がつくるMIXにもよく登場するし、ここ何年かは身近な存在だったかも。
坂本さんの音楽以外で記憶に残ってるのは、2015年8月30日の国会前。
あの日、私が出遅れたせいであの国会前を埋めた群衆の潮は引き始めていたのだけれど、正門前をぶらぶら歩いていると、ちいさなひとの塊のなかに坂本龍一の姿があった。雨の中、レインコートを着て普通にそこにいた。
ただそこに見かけたというだけなんだけど、そっか、一緒に路上に立つひとなんだな、おなじ地平に立ってるんだな、とほっとするような気持だった。
そのころは最初の癌の療養中だったはずで、雨の日にスタンディングなんかして大丈夫なのかなって思ったの覚えてる。その日はスピーチしたり、SEALDsとコールしたりもしてたらしい。
SNSのタイムラインの中で、坂本龍一の反原発や政府への異議申し立てについては「すかすか」と言っている人がいて、そのひとの発言はいつも感心しつつ読んでるので「え、そうなの?」とちょっとびっくりしつつ、「そんなことないですよ」と言えるほど坂本龍一を全方位から知ってるわけじゃないし「そうなのかぁ」と思ったり。
傑出した表現者だからと言って、社会への洞察力や政治的アプローチまでも深く優れているとは限らないし、それでも発言しない行動しない表現者ばかりの日本であの日あそこにいてくれて、なにかのアイコンになってくれたことには感謝しかない。私はね。
なんにしろ、訃報というのはふいに来て心に波風たててゆく。
R.I.P