2023年12月28日木曜日

もういない。

 




歌は聴けるし
動画見て可愛くて笑ったりもする
親交のあった人たちの語る言葉も読む。

…のだけど
生没年の表記や享年という単語、追悼という言葉を心が拒否する。

誰かが書いてたけど
「死んでるのが似合わない」からなんだと思う。
こんな中途半端に逝っちゃうタイプ?

腑に落ちないのよ。






リアリティがなくてね。
実感なんて湧きようがない。

にもかかわらず
ダッタラ ワタシ ワ ナニ オ ナイテンノ?






しょんぼりして
時々メソメソしているジブンもまた
腑に落ちない。






10月にルード・ギャラリーでやっていた
チバの展示を観に行きたいと思ったのは
その時は口にできない予感があったから、かな。


4月末の病気療養に入るお知らせのあと
夏が過ぎて秋の気配が濃くなっても
何も動きがなくて。
5か月経ってもお知らせできるような
状況じゃないってことは
最初のワンクールの結果が
芳しくないのかもしれないと思った。


チバの歌以外のイベント関連には
あまり興味がなくて
足を向けたことないんだけど
チバのマイクを間近に見る機会は
もしかしたら、もう…
そんな風に思えて。

だからこの時は
見に行きたいのに気が進まなくて
(見たからなんだっていうの)

行きたくないのに行きたくて
(行ったからなんだっていうの)

友達につき合ってもらって行った。





チバのマイクのある
同じフロアに立って
チバの背の高さを自分の視線で測った。



私が知る
チバユウスケの唯一のリアル。





このマイクの前に立つひとは
もういない。






2023年12月27日水曜日

「枯れ葉」

 




フィンランドは
国民の幸福度が世界一の国
なのだった?

福祉が充実していても
日々を 生きている というだけでは
シアワセではないかもしれない。




みんな、あまり表情がない。
にこりともしない無表情。
でも、そうだよなと思う。

みんな、そんな喜怒哀楽全開で生きてないよね。
ハリウッドのミュージカル映画なんかの対極よね。
登場人物みんな通常モードのリアリティ。
言葉も少ない。
そりゃそうよね。

みんな幸福な国の楚々とした孤独を暮らしてる。

少ないセリフを補うみたいに
たくさんの歌が流れて
歌詞がそれぞれのシーンの
天の声のように降りてくる。

BGMとして流れているのではなく
ラジオやカラオケ、バンドのライヴだから
登場人物はそれを聞いているわけで
がっかりしたり身につまされたり
もしかしたら気まずかったり
してるかも。
表情ないからわからないけど、たぶん。

歌が姿のない登場人物みたいで
ひっそりとオカシミを感じてしまう。

もう一度かかってた音楽聴きたいな。
パンフレットに載ってたかな。
パンフって買ったことないんだけど。



熱い恋、狂おしい愛
ではなくて
朝方の湯たんぽの
あるかなきかの
体温プラス3℃
そのくらいの愛のおはなし、かな?




新宿シネマカリテ



2023年12月26日火曜日

「夜明けを待つ」

 




別れ際はたいてい

またね

と言う。


再会を疑うことはないから。

いまは。


いつか

また、はないかもしれないと

予感しながら

別れる日もくるのだろうか。

その時には

さよなら、ではなく

楽しかった

とだけ言って手を振ろう。




2023年12月22日金曜日

ワクチン5回目 / 墨繪

 



一年ほど空いたけど
5回目のワクチンを打ってきた。
ノババックスが打てるというので都庁へ。

今年はインフルエンザ・ワクチンも
10月末、早めに打った。





センタービルの「墨繪」でランチ。
めずらしく並んでなくて
すぐお席ご用意できますとのことだったので
真鯛のポアレ。
前菜の4点小鉢も美味しかったな。
写真撮り忘れた。




食後の珈琲は
ゆっくりしたかったので
野村ビルに移動してPaul Bassett。
オレンジの風味のチョコレートケーキが
美味しかった。


西新宿はひとの流れがゆるやかだし
空間が広いのでよい。
ちょっと腰を下ろすベンチやパティオもあるしね。



2023年12月14日木曜日

1968.7.10-2023.11.26

 




チバユウスケって
死んじゃったりするのかぁ。






いまは
なんだかとても
しょんぼりしている。











2023年11月30日木曜日

ポットマム






菊の花に惹かれることはなかった。

菊って、仏様にあげる花
野良仕事のとなりで咲いてる花
おじいちゃんの花
そんな印象だし
The園芸という感じの
大輪菊栽培とか菊人形とか
遠巻きに眺めてごちそうさまで。

だからこういう八重咲の小花が
密集して咲くポットマムとか
ぜんぜん欲しくないと思ってたんだけど。

農協の市場の片隅に
500円の値札つけて売れ残ってた一鉢を
買う気になったのはナゼなんだろう。

おとといの小春日和が一年の内でも五指に入る
美しい日だったからだと思う。

市場で
白菜やルッコラやカリフラワーや
下仁田ネギなんかをカゴに入れて
レジをすませて
一旦は自転車走らせて家に向かったんだけど
あんまり陽射しが透明できれいで
私、小春日和でしょ?って顔した
黄色いポットマムを思い出して可笑しくて
なんとわざわざUターンして買いに戻った。





自転車の前かごにいっぱい。
午後の光が集まってくるようで
自転車漕ぐのも楽しかった。

写真ぱっと見、巨大カリフラワーみたいだけど。
売れ残りポットマムです。
下からたくさんツボミが上がってきていて
まだまだ咲きそう。

淋しくなってきたベランダに
黄色の塊が視界に入るのも悪くないと思う。










すこし色の褪せて来た花を摘み取る。
穂先剪定したローズマリーと。

ホントはこのくらいの密度で咲く花が好き。
これ、水差しにしてないんだけど
萎れつつもそれなりに菊。


ベランダの鉢には
ちいさなハナアブが集まってきている。
冬至に向かうこの時季
陽だまりのような黄色が嬉しい。
虫も、私も。

 



2023年11月29日水曜日

「夢を見るとき脳は」






ゆうべ、夜を歩いた。




今朝。
目覚めたら悲しみがあった。

夢を見ていた。
どんな夢だったか、覚えていない。

夢が残した感情は
鬱々としたものではなくて
とても新鮮な、でも悲しみとしか言いようのない
キレイなものだった。

それも朝靄のように
すぐに消えてしまった。



2023年11月23日木曜日

シダーローズができるまで





シダーローズ。

ヒマラヤスギのマツボックリが
種を飛ばした後に残す花。




11月の雑木林の足もとでよく見つける。

今年は
枝ごと落ちていた青い球果を見つけて
拾って帰ったのが、10月23日。




これは借り物の写真。
球果の写真撮っておくの忘れた。

まだ固く閉じて松脂も滲んでいた。
青々としたシダーウッドの香りがした。
大好きな匂い。







10月29日
乾燥して球果の付け根から開き始める。




11月6日
すべて開いている。
イメージ通りのマツボックリ。





11月18日
そして崩壊。
サクサクのパイ生地を何層にも重ねた
ミルフィーユのよう。
香ばしい色味。






崩壊して種を飛ばし根元に花を落とす。

種には薄い羽がついていて
くるくる回りながら落下する。
樹高50メートルにもなるヒマラヤスギの梢から
降ってくるのを見てみたい。




 

そのうち
どこか高いところから
そっと飛ばしてみるつもり。


1枚目の写真の奥にあるのは
球果の芯で、種を飛ばした後
樹上に残るので
若い球果を手に入れてなければ
見られなかったね。



2023年11月20日月曜日

The Smiths




映画「ノマドランド」で
Amazonの倉庫で季節労働をするファーンに
同僚が腕のタトゥーを見せる。
The Smithsファンの彼女が
一番刺さった詞だという。

字幕では
「家とは、心の中にあるもの」
となってた。



Home is it just a word? 
Or is it something that you carry within you?
家 それって単なる言葉? 
それとも君の中にあるもの?






When you're dancing and laughing and finally living 
hear my voice in your head and think of me kindly

君が踊ったり笑ったり ついに君として生きる時、
頭の中で僕の声を聞いて 僕を優しく思って



      *

     


The Smiths - Asleep (Official Video)

The Smiths - Asleep (early version) [October/1985] 


Morrissey - Moon River.wmv



     *


ミッシェル時代の、それも初期の頃、まだ学生っぽさが残ってるチバがThe Smithsのレコードを抱えてジャケットのアートワークが大好きでというのをあの回らない舌で嬉しそーに語ってたのが面白くて。





だから聴こうと思ったわけじゃないけど、「Moon River」が去って「Asleep」がやってきたタイミングで映画の中にスミスの詞をみつけて、なんとなく気になっている。
…って、それだけなんだけどもね。



2023年11月14日火曜日

時短キッチン







 階下のひと宛てに東京都から家計の足しにと送られてきた。

お米30㎏か、お米15㎏+野菜か選択肢があって、うちは5㎏買えばふた月くらいはもってしまうので、15㎏と生野菜を希望して申し込んだ。でもその組み合わせは人気らしく、お米と下茹で野菜パックのセットで送られてきた。

カレーシチュー・肉じゃが用に人参ジャガイモ玉ねぎがパックになってるやつ。
それと同じ野菜を細かく切ったミネストローネ用、各3個。

こういうパックを使ったことなかったのだけど、これでカレー作ったらめっちゃくちゃ手間省けて楽ちんだった。お家カレーだから豚の薄切り肉使えば煮込む時間も要らないし、あっけにとられるくらいの時短。
ジャガイモの味とかどうなんだろうと思ったけど美味しかったし。

お家カレーなんて簡単料理の代表みたいなもんだけど、さらに簡単になるんだとちょっと目からウロコ気分。


野菜の皮を剥いて、料理にあわせて切り分けるって、案外手間だったんだな。
そういえば、ジャガイモってでこぼこしてるし皮剥くのちょっとメンドクサイね。芽かきしたり。人参なんかは皮剥かないでOKだから切るだけだけど。
それでも料理って、鍋に火が入ってしまえば時間勝負でゴールは見えるわけだけど、下拵えっていうのが一番地味で手間なんだなと、いまさら実感。
ニンニクや生姜もチューブのものがあれだけ棚にいっぱい並んでるのもそういうことね。

働いて子育て真っ最中のお母さんにはお助け食材だよね。
包丁覚束ない高齢世帯とかも。

スーパー行って同じもの見てみたら1パック310円。
うちのカレー用の鍋でいつもの分量作ると3パック使っちゃったので基本野菜の材料費で1,000円弱はどうなんだろうな、人参ジャガイモ玉ネギは常備野菜だし、よっぽど緊急で仕込まなきゃなんねーってことでもなきゃ(ないなそんなこと)買わないだろうけど。

野菜切るのってメンド―だったんだぁ、と変なこと実感してしまったわ。




あと台所の時短ということでいうとキッチングッズって充実してるのね。
私が持ってるのって、おろし器とピーラーくらいで。
ピーラーもアスパラの袴取るのに便利よ~と友達に聞いて使い始めたくらいでそれが15年くらい前だから台所歴考えたら遅いよな。
小学5年くらいから台所はやってるんだけど、プロの包丁使いの父の手を真似してやってきたから、なんでもかんでも包丁だったのね。

アメリカの料理番組とか見てると、ひとつの作業ごとにキッチングッズがあったりして、なるほど便利とはその瞬間は思うけど、その便利って年に何回あるかな?って感じでモノが増えるのもな。たぶん引き出しの中で忘れられて錆びるのが関の山だし。

そういえば去年、冷蔵庫買い替えの時に台所の片付けしてたら、開かずの引き出しから茹で卵を輪切りにする道具でてきて。あのワイヤーが何本か張ってあるヤツ。それと、エッグスタンドに立てて専用のナイフ?みたようなので花形に切る道具。昭和の食卓はなんでこんなに茹で卵の細工に一生懸命だったんだろ?
The昭和の台所っぽくて懐かしかった。捨てたけど(笑)



包丁使うのは嫌いじゃないし(千切りとかするの楽しい)、隠居で時間はたっぷりあるのでしばらくは時短便利グッズなしでやろうかな。
しかし、こういう普通の人は知ってる使ってる当たり前を素通りする事多いような気もするな私。 ま、いいけど。



2023年11月9日木曜日

「すべての見えない光」

 




読み始めたのは冬だった。
春と長い夏と、立冬を過ぎて読み終える。

数ページを読んで枕元に置く。
何日もそのままで。
続きを読む。

読み難いわけでも読みたくないわけでもない。
先を急ぎたくない物語ってあるのだ。

貸し出し期限が来て図書館に返す。
また借りる。
返して、借りる。
3回繰り返して少しづつ読む。


図書館で借りて読み切れず返した本は
たいていはそのまま縁が切れてしまうけど。

この本はゆうるりと
図書館の棚から連れて帰りたいと思い。
こういう読み方は初めてしたかな。



1ページか
長くても10ページないかな
短い断章が連なって語られる
少年と少女の
1934年から1944年。
それぞれの日々。


ひとの人生の記憶って
どれもこれも断片で
物語れるような冒険譚などなくて。

だから貝殻標本の冷たい感触や
短波に乗って流れてきた月の光や
渡る鳥を見上げたときの空気の匂いや
缶詰の桃の舌触りや
シロップの甘さが
記憶に降り積もってひとを満たしてゆく。


ちいさな幸運が訪れれば
その記憶を渡しあえるひとに
出会えるかもしれない。
ちいさな記憶が
誰かと出会わせてくれるかもしれない。



そんなふたりの断片を
標本箱を開けるように
フルカラーの鳥類図鑑を開くように
ながめていたくて
ゆっくりと読んだ。

ひとつひとつの断章が
133カラットのブルーダイヤの
精巧なカット面のようで
伝説のダイヤモンドを託されたような
気持になる。









2023年11月8日水曜日

Hermeto Pascoal 2023

 



2023.11.1
Hermeto Pascoal




1936年生まれ、87歳。南アメリカ大陸の東岸から太平洋を越える長いフライトに耐えて日本まで来てくれてありがとう。


4年前でさえすごいなぁと思ってたし、このあとコロナになって、ああもうあれが最後のパスコ爺さんだろうなぁと諦めてたので聴きに行けて良かった。
なんかもう生きながら妖精化してるね。音楽の現人神?




秋のおひとりさまホテル第2弾で、都内に2泊3日取ってる日程とたまたま被ったので、ライヴの後の余韻をゆっくり味わえた。ライヴの後、そこそこ混んで倦怠感に満ちた電車で郊外に向かうのも、ついつい明日の献立考えてしまい駅前のスーパー寄ってこうなんてなるのもイヤで。興醒めとはこれ。

今回は初日も友人と会う約束が入ってホテルの部屋でのんびりにはならなかったけど、滞在するというよりは拠点にして出かけるのが向いてるホテルだったのでちょうどよかった。



そうね。
ひとりの時間は、大切。


人生で悔やんでることって唯一、ちゃんと一人暮らしをしなかったことなんだよな。
25歳で実家を出て吉祥寺にアパート借りたんだけど。
家人がやっぱり吉祥寺に住んでて、結局私の部屋で一緒に暮らすようになってしまって。
まあ、それはそれでママゴトが楽しかったんだけど、それで結婚してしまったので「ひとり暮らし」の感覚がない。

静かにサビシクひとり暮らす歳月、味わい損ねたな。
贅沢言ってるけどさ。



2023年10月27日金曜日

Golden Rain Tree

 



フクロミモクゲンジの袋実。
裏庭で拾ってきた。






黄色い雄花が散るGoldenRainを
今年は見逃してしまった。

花はShowTimeの告知をしてはくれないから
受粉終わった頃合いで
あたたかな秋風が吹く日をみつけるのは
なかなか難しい。






そろそろかな?と見に行って
花雨の終わりに間に合って
花のベンチで過ごした日から
もう一年以上経つのか。
そう気が付くと愕然とする。

草樹を追いかけていると
ヒトの1年なんてあっというまに過ぎ去る。






あと何回、金色の雨の日を
私は過ごすことができるだろう。

せいぜい20回か。
時季を逃す年も、出かけてゆけない年も
うっかりしてしまう年もあるだろうから
見たいと思っていても
片手で数えるほどかもしれない。






すこし、焦るわね。
真実、ヒトの命は短い。
ひととして生きるには十分長い気もするけど
樹木と生きるには短すぎる。
樹皮や根に共生する菌類より短いかも。

ひとが、樹々や花の移ろいを見て
儚い、なんていうのは
なにか認識に誤りがあるかもしれない。






実生のフクロミモクゲンジ。

種を手に入れると蒔かずにいられないのだけど
この寿命の長い樹々を
ひとの(私の)寿命に
無理やり付き合わせてるんだね。


キミが花を降らす日は来ないと思うけど
束の間、そこにいてください。




2023年10月16日月曜日

匂いの記憶




陽が傾くのが早くなった。
午後3時半の影。

 




懐かしい匂いを嗅いだ。

どんな、と説明すればいいだろう。
生きているひと、から発する匂い、だ。
生きて、病を得て、適切な医療を受けて街に戻ってきた、ひと、の匂い。



図書館で本を選んでいた。
その匂いに気づいたとき、8人掛けの閲覧席には私ともうおひとり、年配の男性がいるだけだったから、たぶんその方。

父の匂いでもある。
亡くなってもう12年経つのに覚えていたのが不思議だけれど、匂いってそういうものだね。


父は70歳になった年に、最初の癌を患った。
膀胱癌。手術をして膀胱を全摘出して人口膀胱を作った。
右下腹部にストーマと呼ぶ尿をためておくパウチを常に装着して暮らした。
皮膚をケアする塗り薬やパウダー、消毒剤、それから飲み薬。それぞれ微量だけれども、知っている人にはわかるオストメイトの気配になっていた。

その匂いを私はイヤだとは思ってなかったので、図書館でその匂いに気づいて、あ、お父さんって思った。


父は足掛け8年、ストーマを使った。
器用だったので3日ごとの取り替えやケアも難なく覚えてやってた。
入院中でも自分でやらないと按配が悪いと言って看護師さんの交換を断って自分でやっていた。

父がもっと老いて手先がきかなくなったら私ができるように覚えておかないとなと思ったこともあったけど、結局私が手を出すことはなかった。
ハイデガーゼという医療用のガーゼの購入をネットでやって届けるのと、ストーマの購入に補助が出るのだけれど、購入に独特の点数があってそのわかりにくい計算を一緒にやったくらいか。それとストーマを着けて楽に穿ける下着のパンツやスラックスを探したり、外出先で利用できるオストメイトトイレを設置している施設や駅を探したり。それくらい。


父が亡くなって3か月ほど経った頃。
あ、ちょうど今ぐらいの時季だったかな、ストーマを購入していた代理店のひとから電話があった。定期的に購入していたのが発注が止まったので、在庫は余分にありますか?という電話だった。販売店を替えることはないし必ず必要なものだから、ね。
ひとが亡くなれば、あちらこちらに連絡してそれを伝えて手続きしてもらうのは当たり前で、あれこれ事務的に片づけ終わってたんだけど、ストーマのことは念頭になかったので、不意を突かれて電話口で絶句してしまったっけ。

その電話の後で、ストーマがふた月分くらい、20セットほど使わず仕舞いになってることに気が付いて、こちらから電話してどうすればよいか尋ねて、引き取ってもらうことになった。
お父さんの一部だったストーマを箱に詰めながら、死んじゃったんだなぁとしみじみ、思った。

………というようなあれこれを、図書館の閲覧席で思い出してた。

お父さんと同じストーマの方かな、一応断っておくと、決してひどく匂ったわけではないのです。ほんとにストーマを知らなければ、病院の匂いくらいにしか思わないと思います。
私は知ってるから気が付いて懐かしい気持になって、そうだこの建物にはオストメイトトイレが2階にありますね、ご存知かな、なんて思ったりしたのでした。



2023年10月11日水曜日

栗蒸し羊羹

 



お茶の時間です。
栗蒸し羊羹が美味しい。


練り羊羹も美味しいんだけど
口当たりが重たい。

蒸し羊羹は柔らかくて甘みも少ないのが良い。
新栗の甘露煮もいい味。

煎茶を濃い目、熱めに淹れてもらって
秋を満喫。

お茶は淹れてもらいます。
家人がお茶淹れるの上手なので。
私は湯冷ましの時間が待てないんだなぁ。





栃木県、那須の扇屋の
竹蒸し栗羊羹。
竹の皮の香りもほんのり。
よく行くマーケットの
秋の味覚フェアコーナーにあった。
思いがけず美味しかった。

ごちそうさまでした。





2023年10月10日火曜日

さざ波のたった日




クヌギの実。
ドングリの季節。

 



今朝は夢見が最悪。
いま私が一番嫌悪するコト。階下のひとが、「またですか?」というようなことをやらかしてくれていて……という夢。夢で良かったけど。目が覚めても、ムカムカ気分が悪かった。
2年前の今頃、リアル「また?」っていうのがあって、なんかなぁ、いつまでも忘れないんだなぁと思ってウンザリして。ふぅ。

そんな寝覚めの悪い今日、なんなんでしょうか、いろいろこまごまと気持削られる事柄が訪れるという、、なに?今日は厄日? 10月10日は晴れの特異日?(関係ない


決済し忘れていたモノがあり電話連絡が来て慌てたり。いやもう、完全に失念していて。これは私が悪いんだけど。ああ、いろいろとヤバイなぁと落ち込む。すぐに解決したんだけど、スマホに着信あるってだけでストレスになる社会人レベル低すぎ。わかってるけど。ヤなのっ!
ご縁は切れたかなぁ、残念な気もするけどそれでいいのかもなぁ、と思う電話番号からSMSでメッセージがあり…。これは開いた方が良いのか、スルーすべきかちょっと悩み。まぁ、読まずにスルーも削除もブロックもできやしないんだけど。哀しい話ではなく、うん、まあ和解といえることになるのだろうか。たださざ波がたつ。
私の知り合いではないけれど何度か会ったこともある家人の若い知人の訃報が届いたり。
裏の柚子の樹が伐られることになり(事情は面倒なので割愛)、今朝早くに切り倒された。嗚呼。。納得していることとはいえ地味~に打ちのめされるとか。


どれも、今朝の夢(が夢でなかった場合)に比べればなんてことないんだけど。
あ、そうだ。おまけのようにラスへブ上映のリセール争奪戦にも敗れたしw



私はパーソナルテリトリーが広大なので、とキレイな言い方したりするけれども。
荒野の果てでひとり暮らしている頑固なジジイが、近づいてくる訪問者に、なんならショットガンかなんか持って出てきて「ワシの庭に近づくんじゃない!」と問答無用に不機嫌炸裂させるみたいな、下手すりゃ私はそういうタイプかもしれません。


なんとも心が忙しかった日。
また逃亡しなくちゃ。




秋のホテル

 



9月24日の窓。
夏の名残りのような雲。

暑さが去って
鉢植えの水遣りを
心配しなくても大丈夫そうだったので
ひさしぶりにプチ旅。

東京ですけど。





コロナ禍になって、ああ、飛行機も新幹線も乗るのリスクあるなぁ、当分、旅行はないなぁ…と最初は思ったけど。

都内のホテルなら移動のリスク少なくて済むんじゃ?
と、この3年半で結構あちこちホテル泊りに行った。

考えてみたら。
私の旅行って地方の居心地良さそうなホテル取って街をぶらぶらするのがメインだから

だったら東京で良いじゃない?ホテルなら都内にいくらでもあるし。
都内、特に東側って知らないとこいっぱいあるじゃない?

千代田区の神田○○町という界隈
台東区の御徒町、蔵前、浅草橋あたり
中央区日本橋は人形町、浜町

皇居の東側、隅田川の西側。半七親分の江戸下町、お堀からこっち大川縁まで。

道はアスファルトで木陰はないし、大通りに面しては小奇麗なビルばっかりだけど、ひょっと一本裏に入ると看板建築や木造の仕舞屋が奇跡的に残っていたり、個人商店が暖簾を出して商ってたりと、地方都市へ行って歩き回るのと同じくらい楽しめる。
東京都下育ちは、あんがい東京を知らない。


ホテルもいろいろだけど、オリンピックにあわせて建てられた新しいホテルが、五輪延期になり緊急事態宣言で打撃受けてすごく安い値段設定でプランだしてたりして、都内宿泊を目当にしてみたらとても安く使えて、ある意味コロナ・ラッキー?

5類になりコロナ終わったことにされて、インバウンドが戻ったせいでしばらく値段が3~4倍になってたけど、夏が終わったら落ち着いてきてて。
都内観光業の値段設定眺めてるだけで色々面白い。






ここはオールドファッションなホテル。
最近のホテルはエントランス階に
ラウンジやティールームのないタイプも多いけど
やっぱり高い天井の下、ソファに身体沈めて
珈琲を飲めるのは良い。

カードキーではなくて持ち重りのする
真鍮の、鍵とルームナンバーの刻印のあるホルダー。
部屋のロケーションは期待してなかったんだけど
中庭に面した部屋ですぐそこに緑があって。

部屋もバスルームもゆったりとしていた。

そうそう。
ベッドサイドにラジオがついているのが
いかにもオールドファッション。
でも、なんだかそれ、良かったな。
落ち着いた男声のおしゃべりとjazz。
更けてゆく夜。いい時間。