2022年6月30日木曜日

MidnightBankrobbers 20220408

 


4月8日 MidnightBankrobbers ライヴ





キネマ倶楽部は2017年の旅人、2019年の折坂悠太で来ている。
もとがグランドキャバレーで昭和レトロな会場。バンクロのふたりにも似合いそうで楽しみだった。
2階バルコニーの指定席を申し込んだ。指定席なら開演ぎりぎりに入れば良いから、閉鎖空間で開演待ちするストレスがないし。「9番」というすごく良い席番引いた。バルコニー席のまんなか、最高の席。写真では遠く見えるけど、キャバレーの上客向けの席なのかひとり掛けのソファから見下ろすステージはかなり近くて。









セットリスト、どこにメモしたっけな。みつからない。
この日嬉しかったのは「シリウス」が聴けたこと。

イマイさんとだからROSSOの曲が演れる。生でこの曲が聴けるとは思ってなかった。ギター2本の「シリウス」も良かった。


ROSSOとThe Birthdayでギタリストだったイマイさんとヴォーカリストだったチバ。
バンクロでのふたりを見てると、イマイさんは歌が歌いたかったし、チバはギターが弾きたかったということなのかなぁと思う。

このギターデュオ、大好きだ。



ツアーの直後に配信されたライブ。

MIDNIGHT BANKROBBERS   フェスTV 音楽ライブ<前編>

MIDNIGHT BANKROBBERS   フェスTV 音楽ライブ<後編>





2022年6月27日月曜日

真島昌利

 


マーシー弾き語り

「青空」
「こんなはずじゃなかっただろ?歴史が僕を問い詰める」

「青空」 歌詞違いVer
「安っぽい神様たちが君をめくらにするだろう」
 

マーシーの声は優しい。
声が震えているのはマーシーが優しすぎるから。




 *

ビコマナ/AOZORA The Blue Hearts Africa Cover (BIKO'S MANNA)



 *

今日、梅雨が明けたらしい。
まだ6月なのに。
長靴を買って下ろしたばかりなのに。


暑くて、ベランダと庭の水遣りに朝と夕方出た以外、部屋で音楽を聴いていた。



山下達郎のインタビューの音源がSNSにあがっていて、「最近聞いてる若手アーティストは?」という質問に「easternyouth、THE BLUE HEARTS、ミッシェル・ガン、その流れでROSSO、TheBirthday……」と答えてたの聴いてへぇ~ほぉ~ふふふ、、、と。

で、タツローやらシュガーベイブやら、ナイアガラやら大瀧詠一などなどを聴いてからeasternyouth、チバのMixへ。 それからTHE BLUE HEARTSを掘っててマーシーの弾き語りを見つける。マーシーの曲、マーシーの歌に惹かれる。






2022年6月25日土曜日

ヒツジ飯とボランティア







ふう、また選挙だねぇ。
なんかね、選挙疲れしてるなぁと思うんだよ。
なにほどのこともしちゃいないんだけど。

メンドクサイがすぐ口ついて出るような人間は政治には向かないんだけど、そういって過ごした30年があったからこんなことになってるんだし、、、と思い直し、太郎さんのボランティアへ。




🐑ボラセンターが新宿なので
あ、そうだひつじやでランチしてそれから行こう♪
と、鼻先に人参ならぬ羊ぶら下げる。




HPに地図があったから場所はすぐわかったんだけど、ビルの入り口のどこにも案内がない。
フロアを9階まで上がってもどの扉にも案内がない。れいわのれの字も、太郎のたの字も。
扉が開いてひとが出てきたので声かけてそこがボラセンターとわかる。
受付しながら、案内が何にもないんですね、分かりにくかったですと話す。事務局の方が「案内をだしてはいけないことになってるんですよぉ」とおっしゃる。
え?そうなの?三宅さんの時や都知事選の時はビルの入り口に表示出てたけど、ルールがかわったのかな?なんか選挙のルールはいつもまったく分からない。

長テーブルについて、ポスターに証紙を貼る作業をする。
先に来てた年配の方々の政治談議を聴きながら。暮らしの身近に、政治の話できる人がいなくてと、ここぞとばかり話に花が咲いている。そうだよねぇ、と思いながら、なんだかテンションあがらなくて会話には加わらず黙々と証紙を貼る。





🐑大根のカレーが美味しかった。
ラムも、ケバブももちろん。


太郎さんが衆議院議員辞任した時は驚いたけど、納得はしてる。
衆院は比例区で当選してるから櫛渕万里さんに議席譲ることに問題はないんだよね。
選挙区で当選してたらそれはできないし、いまとなっては杉並の吉田はるみさんに感謝?

参院選、太郎さん出なかったら、面子地味過ぎるもんね。
それじゃなくても、たぶんみ~んなが選挙疲れたなぁって感じてるんだろうから、うかうかしてるとほんとうにアドバルーンの一個もあげられないまま野党は萎んでしまいそうだもん。





🐑次からはライス抜いてもらおう。
食べきれず残したけどお腹一杯。




ボラ登録してる山本太郎事務所からDMが届いて、それを渡してくれた家人が「比例はれいわに入れてあげるからね」というので流れで「ありがとう」って答えたんだけど。

この会話おかしくないか?「入れてあげる」も「ありがとう」も、なんか違う気がする。
メンドクサイからなにも言わないでスルーしたけど。





🐑もう一回くらいひつじやへ食べに行こうかな。


あんまり差し迫ってから行くと電話かけになるから早めに。
って、ん~~~~この気力のなさ。ダメじゃんね。
だって選挙疲れしてるんだもん(うじうじ


太郎、どれだけ疲れてるだろう。証紙貼りしかしないくせに疲れたとか、ごめん。
太郎にばっかり頑張らせてごめん。






2022年6月21日火曜日

野生の庭

 





買い物をして住宅街を歩いていたら、路地の奥に素敵な庭をみつけた。

梅の木と、右はホオノキかな?その下に青いアジサイ。奥には柘榴がたくさん花をつけていた。そしていちめんのヒメジョオン。

ここを素敵な庭と思うのは私が通りすがりだからで、隣家のひとが見たら放棄されて荒れた庭ということなんだろうけど。




この“庭”の敷地内に建っているお家は空き家になっているようだった。駅から数分のところでけっこうな広さがあるからすぐにこの庭も消し去られてしまいそうだけど、旗竿地なので住人が去った後しばし生き延びているのかもしれない。

初夏で植物の生命力がもっとも旺盛な時期というのもあるけれど、人の手を離れた植物というのは凶暴なほど荒々しい。ちょっと圧倒される。庭を庭として、植物が野生を目覚めさせる手前で手懐けるって大変なんだなぁと思う。


ここ、いつまであるだろう。また覗きに行きたいけど、ちょっとどきどきする。20年後の私の庭の運命を見るようで。 





2022年6月20日月曜日

梅仕事








よく熟れた南高梅。
毎年同じこと言ってしまうけど。
ほんとうにうっとりする良い匂い。




 

うっかりした。

梅500g・烏龍茶500ml・甜菜糖300gで覚えてて。
梅、ひと袋1Kgじゃん。お茶は鍋に梅がかぶるくらいに入れてるから問題ないんだけど砂糖、足りなかった。
シロップの方はさっぱりで飲めるし、料理に使えるからいいけど。
梅の実、すこし梅のエグ味がきついのは砂糖少ないせい?崩してジャムにしちゃおうか。

次は間違えないように。
でもコワいくらいの砂糖の量だから倍量じゃなくてもいいかな。



梅の匂いって、嫋やかに強い。
買ってきたその夜。
水に浸けておいた翌日の夜。
鍋で火を入れた昨日。
ずうっと匂っている。

ガラスの密閉容器に入れてる冷蔵庫でさえ扉をあけると匂う。



雨の日に植物園の梅園を歩いた時。
もう実も採りそこなったものがいくつか落ちてるだけだったんだけど、歩いてるだけで食べたことのあるお菓子の味が口の中に蘇ってきた。
なんだっけ、これはナニかを食べた時に口に広がる匂いなんだよなぁ、と梅林を抜けながら考えてて。

そうそう、茨城のお菓子「水戸の梅」の白餡と求肥の匂いなのだった。
餡を包んである梅漬けの紫蘇の香りではなくて、餡と梅の混じった匂い。
もう15年かそれ以上口にしていない、父の郷里のお菓子の味。

これほど確実に味覚と思い出に浸透する梅の匂い、すごいな。





2022年6月16日木曜日

雨の日の植物園

 



ゴム長を買った。レインブーツとかコジャレたんじゃなくて、農作業用ゴム長靴。北海道民御用達のミツウマ。がしがし歩ける。



雨の日に雑木林を歩きたかった。

初夏の雑木林は虫が生まれる時期で、ちいさな毛虫がブナの木からぷらーんとぶらさがって降りてきてたりするので油断できないのだけれど、レインジャケットにゴム長、傘の雨装備だと安心して歩ける。傘は透明ビニール傘。頭上のカエデやサルスベリの雨に濡れた葉を眺められるし、ニシキギやエゴノキの枝を傘でかき分けて歩ける。



自生種ムラサキシキブ
樹高3mくらい。とても良い匂いがしていた。
秋に紫の実を鑑賞するのは園芸種のコムラサキ。


いかにも雑草であるといわんばかりの悪茄子。
別名「ソドムのリンゴ」「悪魔のトマト」ってさんざんな。
雨に濡れて透明感のある白がキレイだった。



なんとなく漢字で書きたい。







花の中心から光。
これも漢字の花。



蜂巣に雨。



大きなバラ園が有名な植物園なんだけれど、いつも、ああ、咲いてるなぁと横眼で見ながら雑木林に入ってしまう。この日は誰もいなかったのでぐるっと周ってみたのだけど、整然と並んだ苗木は“展示品”という感じで、ぜんぜん心が動かない。花は綺麗なんだけどね。

フランス式庭園ってどこが面白いんだろう?幾何学的に管理されているところ?

直線的に刈り込まれた柘植やイチイの枝の隙間から、手懐けられない蔓性の植物が這い出してきていた。日本の植物は生命力強くて植相も濃いからフランス式の管理は無理かもね。浸食されて廃墟感、敗北感が漂ってた。






蜘蛛の巣に雨。




降ったりやんだりの火曜日は雑木林を歩くのにちょうどよい雨だった。

とにかくいろんな花の匂い、葉や樹皮の匂いが雨の匂いと混じって満ち満ちていた。呼吸することが快感。






2022年6月13日月曜日

ベリーショート



 


わさわさ伸びて鬱陶しいし、なんだか枝毛もできてるし、切っちゃおうかなぁ。夏だし、短く。よし!と思い定めて美容院へ行き、家へ帰る道すがら、あぁ切らなきゃよかったかなぁ、切りすぎたよなぁ、早く伸びないかなぁ、、、とすこしばかり哀しい気持ちになってる、、、という。庭のモミジの話ね。


剪定から4日経って、ようやく見慣れてきて、うん、まあいいか、カッコいいじゃないとなってきた。それが今。





玄関の前がめっちゃ明るい。

これから夏に向かうしもうすこし木陰があっても良かったなぁとも思うけれど、頭頂部の瘤を伐って枝を抜いて、それにバランス合わせたのでまあ仕方ない。

ああ、スカスカになっちゃったなぁというのを「すっきりしましたねぇ」と言ったんだけど、「秋までに伸びてくるからね」と親方に慰められた? ははは、バレてる(笑)



 *


庭師さん、木登り上手い。

三本立ちのモミジの、左右2本の幹に両足をかけてすすすっと登っていった。

ずっと見ていたかったけど、樹上の作業の気を散らしてはいけないと部屋に戻る。ときどきベランダの鉢植えをいじるふりして覗くと、樹冠の真ん中に頭を出してチョキチョキ。ああ、そうそう、その場所からの眺めが見たいんだぁ。いいなぁ。


この日はずうっと鋼の剪定鋏の音が鳴っていた。小気味いい粋な音。大好きな音。






2022年6月10日金曜日

Patrick Watson

 





Film | LOST MIND | L.A. Contemporary Dance x Sara Silkin

https://www.youtube.com/watch?v=9CLl3EafSHc



Je te laisserai des mots              <Moonset>

https://www.youtube.com/watch?v=mcdO9UP0hp8


Lighthouse          <Blue Roar>

https://www.youtube.com/watch?v=R23bifAbWWs



Cinematic Orchestra feat. Patrick Watson - To Build A Home (Live)   <Flow>

https://www.youtube.com/watch?v=bjjc59FgUpg



Patrick Watson - Here Comes The River (Official Video)

https://www.youtube.com/watch?v=A5nb3zOciTU



Broken (Official Video)

https://www.youtube.com/watch?v=kdjELYZ5GbQ





渋谷の路上ライブは2010年。

コロナ前、311前。これがまた日常になる日はあるのかな?


Patrick Watson / Beijing<路上ライブ映像>

https://www.youtube.com/watch?v=6j8GEEXA7u4


Patrick Watson / Travelling Salesman<路上ライブ映像>

https://www.youtube.com/watch?v=4wnXEeQjI3s





2022年6月6日月曜日

「植物園で樹に登る」

 




「植物園で樹に登る」 二階堂太郎



植物園で?樹に登る!

書名が魅力的過ぎる。これは絶対好きと確信してタイトル買い。
大学の農学部を出てから「樹木に体当たりで関わる仕事」に就きたいと、年齢的には遅いと言われながら造園会社に入り6年修業し、現在は植物園の育成管理をしているという二階堂さん。
植物園のメタセコイアはじめ高さ20mを超す樹にツリークライミングの技術で登りながら剪定・管理をして過ごす日々のエッセイ。


樹に登る
光りを取り合う
水が上がる音を聴く
樹木は動かない
クロマツと潮風と木バサミの音
香る木々
蜂の季節
樹の重さ
森の音を探す
……


章のタイトル読むだけで、うんうんと前のめりに共感しつつ、読めば現場のひとにしか気づき得ないひとことをみつけてはっとする。

私も樹に登りたいとずっと思っている。
樹に登るって、樹の懐に包まれることだから。

庭のモミジの夏の剪定でさえ、梯子を掛けて樹の内側に入り込むとほんの1mかそこら登るだけで空気が一変する。最近の流行の言い方だと、世界線が変わる、みたいな。
屋根に上がって樹冠の徒長枝を伐るときも、モミジのつむじに視線を合わせるとなんだか人懐こくなってるような気がする。


二階堂さんの言葉は文章書きの言葉ではないけれど、樹木と関わる喜びと平安を感じている人の言葉だなぁと思う。樹木がなによりも好きで畏怖の念も持っていて、五感を開いて樹木と関わる仕事をなにものにも代えがたい時間と感じてるんだろうなぁと、羨ましく思う。



 *

庭のモミジの剪定を、地元の造園業者に依頼した。
私が繰り返した素人剪定が樹形を壊してるんだよなってわかってたけど、楽しみを手放したくなくて続けてた。でももういまの私の運動能力では木登りは辞めたほうが良いと、諦めることにした。

依頼した翌日に見に来てくれた親方は、庭師歴50年だって。
他の現場からの帰りに現れたいでたちは、藍染めの股引きに脚絆と地下足袋。
70代だろうな。150㎝台?小柄だけどきびきびした動きに物言い。惚れました。


 *

急がないし親方の都合のいい時でとお願いしたので、まだいつと決まってないけど、梅雨の晴れ間のいつか。
中途半端な枝落としで枝数が増えてしまった樹冠部を切り詰めることになるので、かなりさっぱりしてしまうかも。強い樹だし大丈夫。一昨年のシルバー人材センターのおじさんの剪定にも耐えたんだし…と思っても、私以外の人が切るのかと思うとなんだか不安になる。気を入れ過ぎだよね私…とは思うけど、自分ができないことがとても悲しい。


 *

樹木の剪定の教科書にはたいてい「夏の強剪定は控えるように」と書いてある。
二階堂さんも植物園で真夏にノコギリを挽いていて「この時期にそんな大きな枝落として大丈夫なんですか?」と質問されるらしい。

そこで私は「樹の顔色を見て、どこまで強く剪定できるのかを判断しているので大丈夫です」と続けます。しかし、自宅の庭をたまに手入れしている経験しかないならばわかりにくいでしょう。なので「もし夏に強い剪定を必要としましたら、必ず造園屋さんに頼んでくださいね」と申し添えます。


「剪定で最も重要なのは、その個体がどの程度まで枝葉を失っても耐えられるか」を見極められるかどうかだから。 親方、どうぞよろしくお願いします。



 *

二階堂さんが育成管理を担当している植物園は、国立科学博物館筑波実験植物園

2時間ちょっとで行けるんだな。よし♪


 

2022年6月5日日曜日

シャクヤク

 






芍薬を一輪買う。


 *


牡丹は、一気に、そして豪快に散る。

芍薬は、最後までしがみつきながら、少しずつ散る。


芍薬の散るのを見たいと思った。


 *






芍薬を咲かすために、ということでメモをもらった。


余分な蜜を拭き取るとか、つぼみをほぐすとか。エロティックすぎないか?

立てば芍薬、座れば牡丹……うーん、さすが妍を競う豪奢な花の筆頭。お手入れ。必要なのね、切り花なのに。なんというか後宮感?花街感?堅気の花じゃない感がすごい(笑)




 *


6月1日 午後5時






6月1日 夜




6月2日 朝


愛らしいまあるい蕾が、刻々とほどけてゆくのはドキドキするものがある。翌朝のほころぶ姿はさぞかしベッピンさんになるやろなぁ(なぜかなんちゃって京ことば 笑)と思わせるウブな艶やかさだし。


しかし、植物というより動物っぽいんだけど?





6月5日


3日に満開になってから今日。
ぶわっと開いて、そのまま微動だにしない。
両掌で包むくらいの大きさで、オブジェ化している。
わしゃわしゃっと撫でても散る気配なく。
大きな花びらは触れるとひんやりして。
この花びら敷き詰めてシーツにしたら夏の夜に気持良さそう。などと。
エロティックだ。




最後までしがみつきながら、少しずつ散るというのを見たいと思って連れ帰ったのだけど、しぶとい。さすがだ。コワい。



 *

散るのを待っている。



シャクヤク:ユキノシタ目ボタン科


低血圧

 





血圧があがらない。


土曜日。

朝起きて頭がふわぁっとしている。気分は悪くないので動き出せばクリアになるだろうと支度をして外出する。ふあふあしたまんまで、人混みを歩ける気がしない。用を済ませて帰宅。血圧計ったら、90ー50。外出て動いてるのに血圧これ?意識ふわんふわんするよね。


高血圧ほど緊急性もないので低血圧の数字って定義もないみたいだし、90ー50なら正常血圧のギリ範囲内だけど。

血圧計って横になったらそのまま眠ってしまった。疲れてたわけでも寝不足なわけでもないのに、意識薄れるみたいに。


前の日、金曜日。

午後、地下で仕事していたら急に頭が重くなった。脳に真綿が詰まったみたいな感じ。しばらくして外周りから帰ってきた同僚が大荒れの天気を教えてくれた。雷、土砂降り。仕事終わって地下からあがったら、青空。 なるほど。



 *


もうね、ほんと「圧」に弱くなった。外圧にはやられっぱなし。内なる圧は一向にあげられない。本当に体質変わったんだなと思う。40代のうちは、天気で体調左右されるなんてことなかった。結構ニブイので、自覚できなかっただけかもしれないけど、自覚せずに済むくらいにはカラダの内側にエネルギーが満ちてたんだな。

空気の抜けてきた風船みたいになってるのかな。高く浮かび上がることはできなくなって、せいぜいヒトの背の高さくらいをふらふらする程度。



 *


この体質は、父から受け継いでるんだなぁと思う。

父も血圧あがらない質で、晩年はほんとふらふらしてた。骨組みがしっかりしていると褒められる(?)人体標本向けの骨格も父からもらってるし。

最期はやっぱり癌かなぁ。


それはそれで良いので、やっぱりこれからの10年、好きに生きよう。たぶん2、3年で10年過ぎ去ると思うので。

好きに生きようというよりは、嫌なことからは逃げまくろうって感じかもしれないけど。








2022年6月2日木曜日

「眠りの航路」









「眠りの航路」 呉明益




台北で暮らすフリーライターの「ぼく」は、数十年に一度と言われる竹の開花を見るために陽明山に登るが、その日から睡眠のリズムに異常が起きていることに気づく。睡眠の異常に悩む「ぼく」の意識は、やがて太平洋戦争末期に神奈川県の高座海軍工廠に少年工として十三歳で渡り、日本軍の戦闘機製造に従事した父・三郎の人生を追憶していく。戦後の三郎は、海軍工廠で働いた影響から難聴を患いながらも、台北に建設された中華商場で修理工として寡黙に生活を送っていた。中華商場での思い出やそこでの父の姿を振り返りながら「ぼく」は睡眠の異常の原因を探るために日本へ行くことを決意し、沈黙の下に埋もれた三郎の過去を掘り起こしていく。三郎が暮らした海軍工廠の宿舎には、勤労動員された平岡君(三島由紀夫)もいて、三郎たちにギリシア神話や自作の物語を話して聞かせるなど兄のように慕われていたが、やがて彼らは玉音放送を聴くことになるのだった――。       白水社HPより






どんな話?と尋ねられて、こういう話と答えにくい。
本の裏表紙から引用した“あらすじ”通りではあるのだけれども。



最初のページを開いたのは3月だった。
ずいぶんとゆっくりゆっくり読み継いだ。
長い長い夢を夜ごと繋いでゆくような読書だった。
5章あるなかの1節を読んで本を閉じて、また開いて数段落だけ読んでみたり。
ジェットコースター・ストーリーではないから先へ先へと急ぐような物語ではなくて。
目覚めて意識に残る夢を反芻したり、うつらうつらと夢に戻ったりしながら長い夢をゆっくりと航海した。
「ぼく」や「ぼく」の父・三郎、亀の「石ころ」、菩薩までが語るのは、“生きとし生けるもの”あるいは“かつて生きたもの”に見せられる“時の夢“のようで、読み終えてうっすら夢酔いが残っているような感覚。

……と書いても書いても、3か月かけた読書体験のなにひとつ言い表してないなぁ。
霧の中を泳ぐ夢を見てるみたいだ。





夜よ、安らかに眠れ。
この静かに眠る者たちの中に
明日目覚めぬ者がいるであろう。

F・ホドラー「夜」1889年 銘文