2023年1月19日木曜日

「灯台守の話」




鋳鉄製のストーブでピューがソーセージを焼いた。
 台所の真上にあるのが光の本体、
キュクロプスのまなざしのような
巨大なガラスの一つ眼だった。
光が仕事なのに、わたしたちの暮らしは闇の中だった。
光はけっして絶やしてはならなかったけれど、
それ以外のものを照らす必要はなかった。
あらゆるものに闇がつきまとっていた。
闇は基本だった。

「灯台守の話」

 






   *


「とうだいもとくらしだな」

と父が笑った。
小学生の時の話。
なにか探し物をして見つけたかどうかした、そんなとき。

とうだいもとくらし。

意味はすぐに理解したんだと思う。
でも耳で聞いた音に当てた漢字が違ってた。

灯台元暮らし。

灯台で、元、暮らしてたのに灯台のことを知らない、だか見てない、だか。
そんな風に無理やりこじつけて理解してた。何年もね。


灯台が夜の海に光りを灯すあの塔のことではなく
部屋で油や蠟燭に火を燈す燭台のことだと
「灯台下暗し」にどうやって辿り着いたかは覚えてないし
いま、間違えて使うことはないけれど
灯台と聞くと条件反射的に、灯台で元暮らしていた、という
なんだか間抜けなフレーズが浮かんで笑ってしまう。いまだに。





   *

閑話休題。

岬にすっくと立つ灯台という建造物の凛々しい健気さに惹かれるんだよなぁと思っていたけど。
訳者の岸本佐和子が教えてくれた。

「ひとを導くもの、確固として揺るぎないもの、人々が見るために外界を明るく照らしながら、自らの内に闇を宿すもの。暗い記憶の海を照らし出すもの、そして命を救うもの」


そしてジャネット・ウィンターソンの言葉。
「自分自身をつねにフィクションとして語り、読むことができれば、人は自分を押しつぶしにかかるものを変えることができるのです」




自らの内に闇を宿すもの。
物語ることは闇に沈みそうな魂に光をあてること。
物語には、言葉には力があると信じようか。






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