2023年1月31日火曜日

2023.1.15

 





結局、どこへいっても

ただぼんやりと過ごしている。





裸の冬木の梢にとまった鳥が飛び立つまで
眺めたり

西陽のつくる影が時計の長針のように動くのを
眺めたり。





2023年1月26日木曜日

「優雅な生活が最高の復讐である」





1920年代のフランスに
信じ難いほど素敵な生活を営むアメリカ人夫婦がいた。
ジェラルド・マーフィとサラ
二人はパリからアンティーブへ生活の舞台を移し
近郊に住むアーティストや作家
たとえばピカソ、レジェ、コール・ポーター、ヘミングウェイ
フィッツジェラルドとゼルダ夫妻など
時代を画する才能をもてなし、その創作活動に多大な影響を与えた。
そしてマーフィ自身も画家だった。
活動期間はたった8年間であったが
わずかな、しかし素晴らしい作品がMoMAに遺されている。

本書はこのマーフィ夫妻の生活を見事に掬い上げ、
ノンフィクションの分野に金字塔を立てたカルヴィン・トムキンズのテキストに
70点近くの家族アルバムとジェラルドの絵画を加えた。







「ニューヨーカー」掲載のノンフィクションで、翻訳が青山南というので読む。
さすがに上手い語り口で、さらさらさらと読めてしまう。「ニューヨーカー」誌スタッフライター恐るべし。内容的には、ふーーーーーーーーん、、、という感じなんだけども。

1920年代後半のパリ、ジャズエイジ、グレート・ギャツビーのあの世界の話。
マーフィー夫妻というのはきっと、たぶん、ホンモノで。フィッツジェラルド夫婦やヘミングウェイやピカソみたいな鼻持ちならない破滅したがりな芸術家をきちんともてなせた真に優雅な夫婦なんだけどね。

20年代後半のジャズエイジも、80年代後半の「レス・ザン・ゼロ」も、拗らせ散らしたアメリカ人のうざったさって変わんないなぁという読後感。

そっか、ヘミングウェイがLost Generationで、ブレット・イーストン・エリスがNew Lost Generationなんだから、読後感はあっているんだわね。

しかしなぜ私は、この大っ嫌いなロスジェネ・ピーポーの話に手を出してしまうのか?
ほんとに、なぜ?






「灯台守の話」*



ほら、光の筋が海を照らしだす。あなたの物語。わたしの。彼の。それは見られ信じられるためにある。耳を傾けられるためにある。絶え間なく垂れ流される筋書きの世界で、日常の雑音を越えて、物語は耳を傾けられるのを待っている。

最良の物語には言葉などない、という意見もある。それは灯台守として育てられなかった人たちのいうことだ。確かに言葉はぽろぽろこぼれ落ちるし、大切なことは往々にして言葉にされずに終わる。大切なことは顔つきや仕草で伝えられるのであって、不器用にもつれる舌によってではない。真実は大きすぎるか小さすぎるか、いずれにせよ、言語という鋳型には寸法が合わないものだ。

それはわたしだって知っている。でもわたしは他のことも知っている、なぜならわたしは灯台守として育てられたのだから。日々の雑音のスイッチを切れば、まず安らかな静寂がやってくる。そしてつぎに、とても静かに、光のように静かに、意味が戻ってくる。言葉とは、語ることのできる静寂の一部分なのだ。


     *


愛はどこから始まったのだろう?どんな人類が、他の誰かを見て、その顔のなかに森や海を見たのだろう?かつて遠い昔、精も根も尽きはてて、食料を家まで引きずっていく誰かが、黄色い花の咲いているのを見て、自分でもなぜかはわからず、傷だらけの腕を伸ばして、ただ愛する人のためにそれを摘み取った、そんな日があったのだろうか?

化石に記録されたわたしたちの歴史には、愛の痕跡はどこにもない。地殻の奥ふかく埋もれて見つけられるのを待っている愛などどこにもない。わたしたちの祖先の大腿骨や腕の骨は、彼らの心を物語ってはくれない。彼らの最後の食事がピート層や氷の中からそのままの形で見つかることはあっても、彼らの思いや喜怒哀楽は、どこにも跡をとどめていない。




「灯台守の話」ジャネット・ウィンターソン



2023年1月22日日曜日

アルデンテなんてお呼びじゃない。

 




頂き物のフランクフルトソーセージが
賞味期限間近だったので
ナポリタン。

あー写真は、出来立てを撮りそこなって
ピーマンが色褪せてしまってイマイチ。
というか料理写真って難しい。


でも味は自画自賛的に美味しかったので作り方メモ。
そうそう作らないと思うので。





今日使ったのは1.7mmのスパゲッティ。
太目が良いと思う。
しっかり茹でる。袋に記載されてる時間より2分くらい長めに。
アルデンテとか知ったこっちゃないです。

さきに茹でておいて、ザルに上げて放っておいても多分OK。
一晩冷蔵庫で寝かせるなんてレシピもあったけど
二日がかりで仕上げる料理でもないよね。



玉ねぎ、たっぷり。
ピーマン、必須。
ベーコン、ハム、ソーセージ、なんでも良いけど
フランクフルト美味しかった。
キノコ。今日は舞茸。
オリーブオイルにニンニク入れて具材を炒める。
軽く塩コショウ。
取り出しておく。


トマトケチャップを同じフライパンで炒める。
ふつふつ。ふつふつ。
水分を飛ばす。
塩コショウ。バターひとかけ。
普通はウスターソースなんだろうけど、醤油をひとたらし。
砂糖、牛乳を投入。

炒めた具材を戻してひと煮立ち。
麺の茹で汁で伸ばして
スパゲッティ投入。
絡める。焦げ付かない程度の火加減。



ワタシ的ポイントは
「麺は長めに茹でる」というのと
「ケチャップをしっかり煮立てる」のふたつかな。
あ、「砂糖と牛乳」は大事。



実はトマトソースがあんまり好きじゃない。
トマトケチャップも。
でもフライパンでしっかり煮立てると
酸味飛んで美味しく感じる。


最近試したトマトソースで
水煮トマトを煮詰めて
そこにイカの塩辛を加えるというのがあって。
結構濃厚な味わいになって美味しかった。
海老、タコと合わせた。
こっちも砂糖と牛乳は必須。
そうだバジル、ベランダで育てよう。
イカの塩辛じゃなくてアンチョビでもあうね。



トマトソースはしっかり煮立てる。
これやれば好きな味になる。



何年ぶり、いや何十年ぶりくらいに食べた
昭和なスパゲッティ・ナポリタンは
家族にも好評だった。






ヤドリギの骨




ヤドリギの骨。


12月20日に家にやってきて
ひと月。

ブーケをばらしてからはベランダに置いて
ずっと眺めていた。

さすがに乾燥が進んでか
節ごとにぽろぽろと外れて落ちていった。
ひろって並べてみる。

キレイに食べつくされた
鶏の骨みたいだ。

実はまだ瑞々しさを残している。
ちいさな皿に乗せてベランダの手摺の上に置いた。
鳥が食べにくるといいな。


家の木につけてみた種はまだ
静かに眠っている。






2023年1月19日木曜日

「灯台守の話」




鋳鉄製のストーブでピューがソーセージを焼いた。
 台所の真上にあるのが光の本体、
キュクロプスのまなざしのような
巨大なガラスの一つ眼だった。
光が仕事なのに、わたしたちの暮らしは闇の中だった。
光はけっして絶やしてはならなかったけれど、
それ以外のものを照らす必要はなかった。
あらゆるものに闇がつきまとっていた。
闇は基本だった。

「灯台守の話」

 






   *


「とうだいもとくらしだな」

と父が笑った。
小学生の時の話。
なにか探し物をして見つけたかどうかした、そんなとき。

とうだいもとくらし。

意味はすぐに理解したんだと思う。
でも耳で聞いた音に当てた漢字が違ってた。

灯台元暮らし。

灯台で、元、暮らしてたのに灯台のことを知らない、だか見てない、だか。
そんな風に無理やりこじつけて理解してた。何年もね。


灯台が夜の海に光りを灯すあの塔のことではなく
部屋で油や蠟燭に火を燈す燭台のことだと
「灯台下暗し」にどうやって辿り着いたかは覚えてないし
いま、間違えて使うことはないけれど
灯台と聞くと条件反射的に、灯台で元暮らしていた、という
なんだか間抜けなフレーズが浮かんで笑ってしまう。いまだに。





   *

閑話休題。

岬にすっくと立つ灯台という建造物の凛々しい健気さに惹かれるんだよなぁと思っていたけど。
訳者の岸本佐和子が教えてくれた。

「ひとを導くもの、確固として揺るぎないもの、人々が見るために外界を明るく照らしながら、自らの内に闇を宿すもの。暗い記憶の海を照らし出すもの、そして命を救うもの」


そしてジャネット・ウィンターソンの言葉。
「自分自身をつねにフィクションとして語り、読むことができれば、人は自分を押しつぶしにかかるものを変えることができるのです」




自らの内に闇を宿すもの。
物語ることは闇に沈みそうな魂に光をあてること。
物語には、言葉には力があると信じようか。






2023年1月8日日曜日

今年の七草は中華粥で。





午後5時。
まだほんのり空に光りが残っている。

太陽が復活してきてほっとする。
ほんとうにほっとする。



昨日、正月七日にお飾りをはずす。
ユーカリはしっかりドライになっていた。
南天の実もまだいっぱい残っていたので
べランダにつるして。
なんでもない日々のお飾り。





正月の台所がいつにもまして寒く感じて。
もともと寒いは寒い台所なんだけど。

なんでかなぁと思ったら
お雑煮くらいしか火を使わないからなんだ。
お煮しめや角煮は年末に作ってしまうし

かまぼこ、玉子焼き、きんとん、黒豆
べったら漬け、赤かぶ、なます
ハム、ミートローフ

サクで買ったマグロやタコ
数の子、酢ダコ

どれもこれも冷たい食べ物ばかり。
茶碗蒸しと
お雑煮の汁を作るのと
餅焼くだけじゃ
火が足りない。


父がいた頃は
父が用意してくれた牛肉で
すき焼したりシチュウを作ったりしたけど
いまは鍋を囲むということをしないし
まして目利きがいないと牛肉を買う気になれないし。


温まるわけがない。
三日には牛肉団子のボルシチにして
そうそうにお節は終わりにした。

来年は元旦だけでいいかなぁ。




2023年1月5日木曜日

「スラムダンク」




「スラムダンク」を観た。
劇場で。
12月の公開初日に。





こういうオカシナことするのは
まあ、アレです。



これ。



 



「スラムダンク」そういうマンガがあるのは聞いたことある。
読んだことない。登場人物、ひとりも知らない。
バスケットボールって何人でやるんだっけ?そっか5人か。



過去話から始まる。
小学生?のリョータ?が主人公なんだろうな。
ああ、このバスケ上手なお兄ちゃん、死んじゃうんだろうな。
兄貴のぶんまで…果たせなかった約束…なんだろうな。


…………やっぱり(ドヨン)





あまりにベタでチバ聴いたら帰ろうかなと思った。

あとで知ったんだけど、このリョータのエピソードは原作のマンガにもアニメにもないらしい。なくていいのに。
このプロローグの5年後?インターハイの試合が始まる。

チバの雄叫び。
ハルキ君の重いベースが鳴る。
キュウちゃんのトップハットが試合開始を告げるゴングのように響いてリズムが全開になる。
ギターが重なってチバが歌いだす。

「Love Rockets」に乗って、鉛筆のラフから作画されるアニメーションでチームメンバーひとりひとりの顔が描き出されてゆく。

カッコいいじゃん。
最初っからこれでいいのに。
その後は、登場人物たちのエピソードを挟みながら、最強チームとのゲームが白熱してゆく。
面白いじゃん。
せっかくバスケットのシーンがカッコよくて、リアルにスポーツを見るような臨場感で夢中になれるのに、「映画」ってなるとなんでああいう「ドラマ」をいれちゃうんだろうなぁ。

なぜバスケットをやる理由に兄貴の果たせなかった夢まで足さなきゃいけないんだろうなぁ。好きだから、バスケに夢中だからプレイする強くなる、でいいじゃんね。

主人公の動機付けに、家族や親友や恋人を殺す(下手人は作者ね)ドラマ作法が嫌い。
キャラクターの背景にハリボテのようにひとの死を足すなと思う。


メンバーがみんな、バスケド素人の天才・桜木花道みたいなキャラというわけにはいかないんだろうけど。

全編通して進行するゲームは面白かった。
ラスト、完全な無音になるシーンがあるんだけど、9割がた席の埋まった大きなスクリーンが静まりかえって、映画の観客がコートサイドにいて固唾をのんでるようだった。












初夢のはなし

  


 

隣の部屋のふたりに呼ばれていく。

……隣の部屋?どこ?

まあ、これ見てよ。あんたは見ててくれるだけでいい。と、男。

……誰?

コンクリ打ちっぱなしの部屋の床に絵本がひらいておいてある。

ブランケット版の新聞見開きほどの大きさ。

ポップアップ絵本?

ページを繰るごとに、リアルな料理や海や街がじわりじわりとふくらんで変化してゆく。

見ててもらうことが大事なの。と、女。

……誰?

……本の表紙を見たい。カバーをはがしてみたい。奥付が見たい。

あんたが見てれば大丈夫なんだ。

小さめの音でロックが流れてる。いろんな声。大好きな声も。

音小さいのに体の中に響いて聴こえて心地良い。

絵本の中の世界にも音楽が干渉してるってわかる。

こんなのずっと見てられる。

見ててくれ。

絵本に文字が浮いてくる。

名前。誰の?

今日はここまでだな。

絵本にサランラップがかけられる。

音楽は鳴っている。

もっと見たい。

また明日来て。

部屋を出る。手に豆本を持っている。

胸の中にわくわくと、名残惜しさと、また明日の愉しみを持っている。

そうだトモダチに話そう。

これを見せよう。

で、また明日。

隣の部屋へ。

振り返ると隣の部屋がどこだかわからない。

でも心配ない。明日になったらまた見に行く。



…………気分良く目覚める。

5日の朝の夢だけど、今年の初夢。






2023年1月1日日曜日

暦が一枚めくれて、2023年。






明けました。





新しい戦前。

永遠の戦前にするしかない。








お飾り。

やっぱりもうとび職さんの出す店はなくて。

手作りした。
ヤドリギのブーケに入っていた花材の
ヒノキとユーカリに
庭の南天をあわせた。
ちいさな注連縄は100均で。
水引は文房具店をのぞいたけどなくて
家にあったご祝儀袋から外してあわせた。


スーパーマーケットのお飾りよりは
ずっと良いかな。

ヒノキの匂いが清らかなお飾り。








どこにも、目出度いがみつけられない。
そんな、2023年1月1日。