2023年9月28日木曜日

彼女たちの人魚姫



エドマンド・デュラック



「ポリティカル・コレクトネス」に関する話にふれるとなんだか居心地が悪いのは、自分がどれだけ「正しい」か自信がないので、なんだか言い訳がましい述べ方になってしまうからなんだけど。



今年公開されてるディズニーの実写版「リトルマーメイド」のこと。






ヘレン・ストラトン





主役のアリエル姫を黒人のハリー・ベイリーがキャスティングされて話題になってるけど。
原作のあるおはなしで、ここまでするんだなぁ、時代だなぁくらいに他人事な感想を抱いてスルーしてた。

はにゃ。さんが小説を映像化した時のキャスティングの話で「あぁやっぱり無意識にはっきりそれを描かれていない限り白人を主人公に想像している」と書いてたのを読んで、ちょっとハッとした。
1837年に書かれたお伽話のお姫様はこの挿絵のような姿でしかイメージしてなかったから。

これが私の「ポリティカル・コレクトネス」の限界だったんだって気づかされたというか。






ハリー・クラーク





2023年のアリエルが公開されていろんな意見がSNSを賑わせてた時に流れてきた動画があって。

「リトルマーメイド」の予告を観た時の黒人の女の子たちの反応。

これ見たら、私の人魚姫のイメージは~とかポリコレって~とか言ってるオマエ(私)の話はどーでもいいんだよっ!って思った。

女の子たちの表情がぱっと弾けて笑顔になる。
「彼女、黒人だよ!マジ?」って。
女の子たちをこんなに笑顔にしたってだけで、ディズニーのやったことは正しいって思った。




アリエル ©Disney




2 件のコメント:

  1. >女の子たちの表情がぱっと弾けて笑顔になる。
    「彼女、黒人だよ!マジ?」って。
    女の子たちをこんなに笑顔にしたってだけで、ディズニーのやったことは正しいって思った。

    そうそう、本当にそうなんだよね。あの動画は見て泣けてしまったし、今までずっと「あり得ない」と虐げられてきたということをあそこまで雄弁に語る反応はなかったと思う。 

    ディズニーの功罪は色々あると思うけど、最近の古典を異なる切り口で描くというのは意味と意義があると思ってる。マジョリティがマイノリティがどう差別されてきたかを実感するのは困難だしね。

    ただ、それといつでもどんな場合でも複合的に人種を配してストーリーを描くのが正義という今の流れについて、自分が感じる違和感が自分の限界であり、乗り越えないといけないというのが、原作を知ってる場合になかなかシンドいということを感じるのも正直な気持ちで。

    これってディズニーの有色人種の採用に反対しているのと同じことじゃんと突きつけられる、とねぇ。自分もまだまだだよなぁ・・・と思ったりしとりやす。

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    1. そう、女の子たち。ちいさい子はせいぜい3歳くらい?彼女の驚きをみると、そんなに幼いのにもう「あり得ないこと」として思い込まされてたんだなって思った。
      それに比べたら自分のポリティカル・コレクトネスに関する違和感なんか取るに足らないことだとも思った。

      そして、そう思うにもかかわらず。たぶん、もう私はその違和感を完全にはアップデートすることはできない気がする(心がけようとは思うけど) 半世紀以上、この挿絵のようなイメージを(人魚姫に限らずだけど)とりこんで生きてきてるから。自分の中に培われた情操的環境はそっと抱えていくと思う。

      でも、だからこそ。これから先を生きる女の子たち・男の子たちの情操的環境が描き替えられて多様ななお姫様・王子様が「当たり前」になってゆくのを、自分のつまらない違和感を引き合いに出して邪魔することはだけはすまいと思った。

      旧いイメージを抱える老いた私が世界から退場することでしかアップデートされないものもあると思う。
      ハリー・ベイリーのアリエルのなにがそんな話題になったの?って時代がくるのを邪魔しないしできることはするから、ごめん違和感は大目に見てね、許してね、って感じかな(いや、甘いか💦)

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