2022年4月27日水曜日

「ナイル川を下ってみないか」






「ナイル川を下ってみないか」 野田知佑


野田知佑の追悼のような読書。ここ何年も消息を聞かなかったなぁと思いながら。

2016年のこの本が、最新刊になるのかな。1996年からの20年間に雑誌に連載されたエッセイをまとめたもの。するするすると読めて、読書停滞中だった私のリハビリにちょうどよかった。



誰かナイル川をくだってみないか。 

多分、君は死ぬだろうが それは青年にとって悪い死に方ではない、とぼくは考える。

ぼくやモンベルができるだけの応援はするよ。 

 




 今年の四月は雨が多い。

ソメイヨシノが終わってGWが始まる前までの3週間ぐらいがひとがいなくて萌えだす緑は美しくて、植物園や雑木林へ行くには最高なんだけどお天気とタイミングが合わなくて。夜に大雨が降って、明けた22日は素晴らしいお天気で空気も清浄で、今日行かなくてどうすると小石川植物園へ。






楽園感に満ち満ちていた。





一面のオオアマナ





出がけに、読み始めていた「搾取都市、ソウル」という本をバッグに入れようとして、いや、これじゃないよねと野田知佑と入れ替える。雨と土と花と、樹木の匂いに深く息を吸いながら読む。酸素と一緒に言葉が脳に流れ込んでゆく感覚がする。ユーコン川をカヌーで流れながら本を読むというのしてみたかったなぁ。

……してみたかった、、過去完結で書いてしまう残念さよ。




花風 深呼吸 




2022年4月25日月曜日

卯の花

 








       押しあうて 又卯の花の 咲きこぼれ    < 正岡子規 >     







優しく押し合って

ほろほろと咲きこぼれてゆく


ほんとにそんな風。




春の雨の似合う花。




ヒメウツギ:アジサイ科ウツギ属


ヒメウツギの剪定



2022年4月20日水曜日

シダ

 





シダ類は好きだ。

でも葉裏にできる胞子がコワイ(笑)


大昔に、おしゃれインテリアとして買ってきたアジアンタムの葉を何の気なしにめくって、びっしりと並んだ茶色のつぶつぶを見た時は悲鳴あげたもんなぁ。虫だと思って。

いまは胞子だと知っているから騒ぎはしないけれど、わかっててもあの存在はちょっとゾゾっとする。なのに、葉をめくって胞子がついてるかどうか確かめたくなる心理ってなに?


つぶつぶコワイがトライポフォビアというんだって知ったのは最近だけど。集合体恐怖症、なんかおどろおどろしいね。私のはモノによっては首筋ゾゾっとする程度で恐怖症というほど大袈裟なものではないけど。怖いもの見たさの好奇心と背中合わせな感じのする、奇妙な感覚。



シダ類は葉の規則的な並びと水との親和性のある緑色が美しい。


シダ類:羊歯

Wiki、並んでる単語がいちいちよくわからない(笑)なんか難しい植物なの?シダって?






2022年4月18日月曜日

春菊





 


昨年10月に撒いた春菊。

ひと冬、摘んで食べて、春、花を楽しむ。

野菜の花は思いのほかどれもキレイだけど、春菊は「菊」だけあって食用のオマケにはもったいない。色の出方もそれぞれで春爛漫な姿が可愛い。


ちいさな鉢に蒔いたのは2月下旬には葉が黄ばんできたので、収穫をやめて蕾はつくかなと眺めてた。大きめのフェルトポットに蒔いた分は、こまめに花芽を摘んでいるのでいまでも葉が収穫できる。サラダや付け合わせには十分の量が穫れる。豚バラ肉の脂と相性良くて美味しい。150円の種ひと袋で、半年舌と目を楽しませてくれる。素晴らしい。


春菊:キク科シュンギク属




12年も前の日記。自分の変わらなさに呆れ、植物の変わらなさに感心する。

花風 春菊の花





2022年4月17日日曜日

花を踏んだ思い出

  

 



草地をぼんやり歩いて気づくと足元に紫色の草叢が。

踏みそうになって右足宙ぶらりんのまま周りを見ると、キランソウが花盛り。


この草地の春には花を踏まずには歩けない。

草地で爪先にちいさな花を見つけるたび浮かんでくるフレーズが「花を踏んだ思い出」。

沖縄の佐喜眞美術館で草間彌生の初期のリトグラフを見てから、そのフレーズが心に残ってた。


花を踏んだ思い出…どんな思い出だろう。なにがあって花を踏んだんだろう。労しいような思い出だろうか。確かな意思をもって花を踏んだんだろうか。うっかり踏んだの?それともスキップしながら踏み散らしたの? あれこれ。


ピンクの水玉のハイヒールに踏まれた、花はなんだった?と思って「草間彌生 花を踏んだ思い出」で検索してみる。みつからない。タイトルを少し変えてみてもヒットしない。

佐喜眞美術館の所蔵リストを見る。みつけた。


「靴をはいて野にゆこう」 1979年

「靴をはいて野にゆこう」 1979年

                    

あら、花を、踏んだ、思い出、、、じゃない?? あららら??

「花を踏んだ思い出」このフレーズとどこで入れ替わってたんだろ?作品に添えられてた解説の言葉?そんな解説あったかなぁ?あそこで見た「沖縄戦の図」があまりに心に重くて、彌生ちゃんに助けを求めるみたいに眺めたからなぁ。

あらためてこの絵を見たら、「花を踏んだ思い出」では情緒的過ぎるね。

ピンクのアンクルブーツのシューレースをキュッと結んで、ずんずんずんと野原を行くアッケラカンとした感じに似合わないね。ふふ。


記憶ってどこでどうやって作られるんだろう?思い込み、勘違いで笑える話で良かったけど。



 *

キランソウ:シソ科キランソウ属

別名「ジゴクノカマノフタ」「イシャゴロシ」 凄い別名をお持ちですね(汗)


 *


でも、これからも草地を歩く時には「花を踏んだ思い出」って言葉がほわっと浮かんでくると思う。








2022年4月13日水曜日

秘密の裏庭とPCR検査







気温26℃、湿度60%、南の風。

久しぶりに秘密の裏庭へ。草地を渡る風がとても気持の良い午後。





ずっと練習してたウグイスが上手に歌えてた。 



 *

気温が上がって寝苦しかったせいか、寝違えてしまいここ3日ばかり家でぐだぐだしていたら、身体がギクシャクしてきてリハビリに。柔らかい草地を、そよ風に吹かれながら歩き回ったら身体がほぐれてきた。



PCR検査をしてみた。

1月に購入した木下のキットが使用期限切れになりそうだったので。

花風 PCR検査キット

「桜が咲く頃に思い出して、あ、ゴールデンウイークまでに使わなくてはって思え」て良かった。裏庭を歩いている時にメールで検査結果が届いた。


「陰性」良かった。


メール開く時、ちょっとドキドキした。 ま、さ、か、の無症状陽性でしたー!とかあったら嫌だな、と(笑)


11日に送って、翌々日に結果通知。期限切れるから使おうとか、旅行前に調べとこう、とかなら良いかもしれないけど、体調に不安感じてからだったら二日は時間かかりすぎだよね。なんか喉痛いなぁ程度で近所のクリニック行ってすぐ検査できるようになって欲しいな。インフル並みの検査治療体制、早く整って欲しい。




 *

ハルジオンが晴ればれと咲いていた。




人間界はあいかわらずパンデミックで右往左往してるけど、植物界はどこまでも平和で清明ですね。


ハルジオンとヒメジョオン 見分け方

どっちかなーといつも迷う、というかほぼほぼわかってなかったのだけど。今度見かけたら確かめてみよう。





2022年4月11日月曜日

あしもとの春



玄関脇のモミジの樹の下にある石臼の、これは穀類を入れる穴かしらね、そこから芽を出した実生のモミジ。

こういうのに弱いのです。ここから育つことはないけど、今年の春の記憶に。

横の五円玉は10年以上ここに雨ざらし。父が拾ってひょいと置いたんだろう。なんだかお賽銭のようになってるね。この石臼は花台がわりにここに置かれている。冬の終わりは盆栽の梅、夏はギボウシの鉢、秋は秋海棠を置く。






これはなにかなぁ。石の割れ目に。

実生が芽吹くこの時季が大好き。庭をぐるりとまわるだけで楽しい。

奥に見えるのは山椒。何年か前に、山椒の木が枯れてしまったのだけれど、その山椒の血筋なのかな?実が生ったのは見たことなかったけど。育つかな?






勝手に芽吹いた山椒が門脇に生えてふた冬越した。去年はひょろんとしたもやしっ子で、夏にアゲハに食べつくされてしまったのでどうなるかと思ったけど、葉が出てきた。素晴らしい。

筍、買って来よう。






2022年4月8日金曜日

3年前の日比谷Heaven



                     
 


Facebookが教えてくれた3年前の日比谷Heaven。


たった3年が過ぎただけなのに。

なんだかとてつもなく遠い。



花風 日比谷Heaven 20190408

花風 MAZRIの祭 2019





2022年4月7日木曜日

「青い春」

 





映画「青い春」 2002年

出演:松田龍平/新井浩文 
挿入曲:THEE MICHELLE GUN ELEPHANT



ミッシェルの曲使われてなければ観てない。
日本映画って観ないしなぁ。松田龍平すらちゃんと観たことないくらいで。

監督はROSSO「発光」のMV撮ってる豊田利晃なのでミッシェルのMVと思って観てみようかなと。










    水牛の角でつくられた街で
    焼かれた森の運命を知った
    Long red hair Kelly

    ケリーの赤毛が西風に浮かぶ
    湖の化粧して月の石をつける



撮影当時18歳。ああ、お父さんにもお母さんにも面差しが似ているね。
このキレイな顔に被せるようにチバの声。なかなか良い。

ラストライヴの「赤毛のケリー」 歌いだしを間違えているVersion(笑)





     
         
    モナリザ・リタ 
    泥まみれの俺のことが見えているか 
    染み込む夜 キレイだろ 
    あの日に帰る道どこにある
    モナリザ 知らないか モナリザ







     
    はりついたウルサイが
    音無しで回るんだ
    ただそれくらいだろ
 
    フラフラ咲いて
    カラカラ鳴いた
    続いてくんだろ



これも歌詞間違っちまったぜVersion。









    ぶらぶらと夜になる
    ぶらぶらと夜をゆく
 
    なめつくしたドロップの気持


映画のクライマックス・シーンに流れる。
ミッシェルのMVと思って観てたのに、瞬間、映画の方に感情持っていかれた。
アベくんのギターの不穏な響きとこのチバの歌詞。クライマックスには「ドロップ」を使おうと選曲した人の気持わかる気がする。映画化考えた最初から監督の頭にあったかもとも思えるくらい良い。



観てて楽しい映画じゃない。
いまなら“底辺校”と言われるんだろう男子校の、校舎の中からまったく外へ出ない80分。
いずれ出ていかざるえないんだけど、出てどこへ行ったらいいのかわからないし、出ていく先に希望もない18歳男子の群れ。
鍵のかかったフェンスも軽々と越えるエネルギーに満ち満ちてるのに。フェンスに閉じ込められてるのか守られてるのか。フェンスの中で、トイレに捨てられた唾液まみれの吸い殻みたいな雪男や青木たち。

青木役の新井浩文がなんともハマりすぎ。いまの新井浩文を知ってるから思うのではなくて。リアル18歳の松田龍平のキレイさがかすかな救い。いや、物語的には残酷なのかも。

松田龍平と新井浩文とミッシェル。
音楽が映画の主役に伍することもできるんだなと思った。贔屓の引き倒しではなく。
思ってたよりずっとちゃんと“映画”を観た。



クライマックス後の、エンドロールにも「ドロップ」が流れて。
エンドロールはこのライヴ版かもしれない。

体育館の天井と壁に反響してるみたいな少し乾いた平面的な音の感じがこの映画のエンドロールに似合ってる気がした。


ミッシェルの曲のなかでも好きなものばかりなので、映画をスキップ再生してスクショ撮ったりMV聴きした後は、当然ミッシェルのラストライヴのDVDを観てチバ味わい尽くすという流れになった。









2022年4月3日日曜日

「林檎とポラロイド」





映画「林檎とポラロイド」 ギリシャ/ポーランド/スロベニア



タイトルに惹かれて。

――記憶喪失をもたらす奇病が流行し、一人の男性も病気にかかって突然記憶を失ってしまう。彼は治療のためのプログラム「新しい自分」に参加し、毎日送られてくるカセットテープの指示に従いながらさまざまなミッションをクリアし、その体験をポラロイドカメラで撮影する。


ミッション:自転車に乗る 

 



ミッション:仮装パーティーではっちゃける




       
記憶喪失の病が蔓延している国では、みなパニックになることもない。

カセットテープで送られてくる思い出作りのためのmissionはどれもpossibleで淡々と遂行する姿はなんだかシュールだ。


主人公が名前で呼ばれることはない。

90分の映画の中で名前があるのはふたつだけ。


ひとは記憶によって生かされているんだ、とあらためて思う。

記憶に慰められ苦しみ愛おしむ。


音楽も良かった。

スカボロフェア以外は聴いたことあるな程度だったのだけど、観ている私の記憶、郷愁も搔き立てるようで。帰って調べてみる。この映画の主題に添う3曲。なるほどなぁ。

バックグラウンドに流れる音楽も良い。



* Scarborough Fair

* Let’s Twist Again

* Sealed with a Kiss


伏線もすぐに回収されるし小難しい仕掛けとかまったくないけど主人公の喪失感が静かに伝わってくる。

とても好きな映画でした。



 *

3月29日 月曜日 午後    

80席のスクリーンに観客4人。


2022年4月1日金曜日

April Come She Will 


  

 

DiaryNoteの新規書き込みが正午前に停止した。

終わりを見届けた、というより、見守ったという気分。


 *

Twitterのフォローを整理した。

Twitterがなぜあんなに草臥れるかっていうと、トピックの全体像がすぐに呑み込めないからというのが大きい。元Tweetから、何人もの人が引用したリツイートが流れてくるしトピックのどこからの引用なのかで話の前後が見えなくなるから。

長編小説の、いろんな章のどこかの一行に言及するTweetを100読んでも、主人公が何をやろうとしてるのか、生きてるのか死んでるのか、そもそも誰なのかさえわからない。

プーチンの戦争や終息しないコロナや斜陽の日本やあれこれ。ゾウのしっぽに触って「ゾウは細長い」としか認識できないのと同じ。なにひとつ真実なんて見えてこない。

「さっくり政治・社会・コロナ」括りのアカウントのフォロー外した。

残したのは。チバと植物、庭、植物園、虫、暗渠、地図、地学、本屋、詩人。かなりすっきり、心穏やかなタイムラインになった。


 *

4月1日から休職した。

いろいろと草臥れたので。

とりあえずひと月。


 *

野田知佑が死んだ。




 *

四月になったからってなにもはじまらない。







https://www.youtube.com/watch?v=ITXBjDTXS90