2023年9月28日木曜日

彼女たちの人魚姫



エドマンド・デュラック



「ポリティカル・コレクトネス」に関する話にふれるとなんだか居心地が悪いのは、自分がどれだけ「正しい」か自信がないので、なんだか言い訳がましい述べ方になってしまうからなんだけど。



今年公開されてるディズニーの実写版「リトルマーメイド」のこと。






ヘレン・ストラトン





主役のアリエル姫を黒人のハリー・ベイリーがキャスティングされて話題になってるけど。
原作のあるおはなしで、ここまでするんだなぁ、時代だなぁくらいに他人事な感想を抱いてスルーしてた。

はにゃ。さんが小説を映像化した時のキャスティングの話で「あぁやっぱり無意識にはっきりそれを描かれていない限り白人を主人公に想像している」と書いてたのを読んで、ちょっとハッとした。
1837年に書かれたお伽話のお姫様はこの挿絵のような姿でしかイメージしてなかったから。

これが私の「ポリティカル・コレクトネス」の限界だったんだって気づかされたというか。






ハリー・クラーク





2023年のアリエルが公開されていろんな意見がSNSを賑わせてた時に流れてきた動画があって。

「リトルマーメイド」の予告を観た時の黒人の女の子たちの反応。

これ見たら、私の人魚姫のイメージは~とかポリコレって~とか言ってるオマエ(私)の話はどーでもいいんだよっ!って思った。

女の子たちの表情がぱっと弾けて笑顔になる。
「彼女、黒人だよ!マジ?」って。
女の子たちをこんなに笑顔にしたってだけで、ディズニーのやったことは正しいって思った。




アリエル ©Disney




2023年9月22日金曜日

夏、おわったなぁ。

 





昨日今日の過ごしやすいこと。

網戸にして
雨の匂いと樹々の匂いが空気の流れに乗って
そっと部屋に入り込んでくる。
カラダがよろこび和む。


いつまでも気温が高くて季節ごとズレてしまったかも
と思ったりしたけど
植物はちゃあんと暦の約束を守ってやってくる。

彼岸の入りに庭を見たら
曼殊沙華の茎があがってきていて
今日花ひらいていた。






そしてモスラ保育園が今年も。

この小さな実生レモンの鉢は
半月ほど前に3匹のモスラが巣立って
食べつくされて丸坊主になっていた。

だから今年は保育園はないかなと思っていたら
芽吹いてきたレモンの葉にまたチビクソたちが。

写真には写ってないけど
数えたら12匹。
さすがに葉っぱ足りないだろうと開園。


アゲハの食害にあって丸坊主になっても
(ほんとに、茎しか残ってなかった)
復活して葉を出すレモンもすごいけど
芽吹いた柔らかい芽を選んで産卵するアゲハもすごい。
(でも、もちょっと供給量を見極めて欲しい)


そんな秋の彼岸2023。




考える管





そのとき
わたしは一本の管に成り果てました。


 


ストレッチャーの上で横になっていると、廊下の奥から年配の男性の「痛い!痛い!」と荒い声が聞こえてきた。おじさん、コドモみたいだなぁと思いながら、え?もしかしてそんなに痛いの?だったっけ??とやっぱり少し不安になる。

大腸内視鏡は10年ぶりだし。

市の健康診断で便潜血がでて、検査をするようにと指示が出た。2回採ったうちの1回目だけで、その時サンプルの採り方ちょっと間違えたかなって思ってたので、内視鏡やってもたぶんなにも出ないと思ったんだけど、まあ、やっておきますかね、、ということで病院へ来ていた。

ルートの準備をしてくれる看護師さんと「さっき痛いって叫んでた人いましたね」 「大騒ぎでしたねw…いえいえ、痛みは個人差ありますからねw」「さすがにちょっと不安になりましたw」「心配いりませんよ。男の人は痛みに弱いですよねww」「www」などと話しつつ、順番が来てストレッチャーごと運ばれる。

施術の痛み無し。自分の身体に何かされてる感覚もあまりないままモニタに映る桃色の腸を眺める。
結果、ポリープ、憩室、潰瘍すべて認められず。キレイなものでございました。
切除などの処置もなにもしなかったので、今日の食事も制限なし、なに食べても大丈夫ですよと許可をいただき、麦とろ&牛タン定食食べて帰りました。お腹空いてたんだもん。
朝から腸を空っぽにして午後病院に移動する間、ああ、終わったら何食べようってそればっかり考えてた。ポリープ切除して2~3日お粥とか、そういう未来は一切想像してなかったw 元健康優良児の底ヂカラ、思い知ったかっ!



辛かったのは下剤飲んで腸を空っぽにする準備のほう。
前日に飲んだプルゼニドが効きすぎたのか夜中にお腹がキリキリと痛くて良く眠れなかったし、嘘っぽいぼんやりした梅味のモビプレップは200㎖一杯飲んだだけで、お代わりするのが苦痛になるし。トイレ、忙しいし。いちいちトイレ覗き込んで見るのイヤだし。
1,000㎖ちょっと飲んだところでほぼクリアにはなったんだけど、最後のほう、こんなにいきなり「トイレっ!」ってなるって、誰か教えておいて欲しかった。
私の部屋、トイレ遠いんだから。2階の廊下の突き当りから1階廊下の突き当りまで、キャアーって感じで小走り(走れない) 焦った~💦

入れたものが即出るって?? 人間の身体はただの管なんだって痛感しました。ミミズと一緒じゃん、と。

結論。人間は考える管である。





2023年9月17日日曜日

「ロバのスーコと旅をする」/「歩き旅の愉しみ」

 




歩くの嫌いなので
「愉しみ」が見晴るかす地平線まで
満ちてそこにあるんだろうことはわかる。
気がする。





2023年9月16日土曜日

Peace Piece

 



5種類のイチジク

神田淡路町のワテラス前の広場に
マルシェが出ていて
ひとパック1,000円。
手前の黒イチジクが濃厚。




ワテラスにあるカフェ104.5で流れてきた
ピアノの音に反応する。


話の途中で
「あ、これ!(なんだっけ?)」
と友人に助けを求める。
2回目だ。

そうだった、前回来た時も
はっと耳奪われて尋ねたんだった。

BLUE NOTEプロデュースの店なので
ずっとジャズが流れてるんだけど
どの曲も聴いてるようで聴こえてなくて
完全に背景に沈んでいるんだけれど
このピアノの音だけは
鼓膜から飛び込んで音の記憶を掘りおこす。

知ってる曲のせいでもあるんだけど
(でも曲名覚えない)
この演奏が
最初の1音から至高の領域を奏でてるから
なのだろうと思う。
こんなに音数少ないのにね。

最後の1音が空気に溶けてゆくところまで
大好き。


そして私の耳は
がピアノの余韻に被って鳴りだすを待ってしまう。
(けど鳴らない。そして会話に戻る)



2023年9月14日木曜日

ふたりぶん







2019年のオハラ・ブレイクで
SIONというひとの声を聴いた。

しゃがれた渋い声で。
その時は市子ちゃんのステージから
バンクロへ移動の途中だったので
ちょっとだけ足を止めて演ってた曲の
半分を聴いただけだったけど
なんとなく記憶には残ってて。

あとでネットで探してみたけど
1曲2曲聴いてそれきりになってた。
しゃがれ声、好きなんだけど
ずっと聴いてるとフラストレーションがたまる。


キュウちゃんがいま
SIONのバンドにサポートではいってて。
そこから関連で彼の
「SORRY BABY」という曲を聴く。

これは福山雅治がCoverしていて
一緒に歌ってる動画があった。



これを聴いて
なんでチバユウスケの声に惹かれるのか
わかった気がした。

このふたりぶんの声なんだよね。
チバの声は。


福山のよく伸びる声は
心地良くて好きだし
随分前、彼の声に慰められてた時もあった。
「初恋」歌ってた頃かな。

SIONのしゃがれた声に
福山の伸びやかさを足して
2で割らない。

それがチバユウスケの声。






贅沢な声。





2023年9月8日金曜日

鎮まる夏/蛇の夢




土砂降りだった雨が
午後には上がる。

千葉や北関東では雨が降り続いていたけれど
東京の上空は
ぽかっと穴が開いたように
雲が消えていた。

大雨で夏が鎮まったような。
ひさしぶりにエアコンを止めて過ごす午後。
カラダがとても楽だ。








夢を見た。

大理石の床のダイニングに
素足で立っていると
ちいさな緑色の蛇がきて
左足の甲の上に乗る。

床が冷たいんだね。
そこにいていいよ。
可愛い。
でも動けないなぁ、と思う。

ちいさな舌でちろちろと舐められる。



目覚めて、嫌な感情がまったくなかったので
悪い夢ではないと思う。

健康面の回復と
暖かな感情の訪れ
創造力の充実

うん、穏やかに良い状況。







 

2023年9月5日火曜日

「追燈」






9月1日、東京大震災の日にネットに上がってきた。
読んだ。食道になにか詰まったような気分。
100年前になにが起きたのか。なにを、どんなことをしたのか。日本人が。
薄っすら知っていた。そう、薄っすら。ちゃんと知ろうとしてこなかった。
怖くて。

世田谷の土地勘のある場所でも虐殺が起こっていたこともSNSで知る。
慰霊碑が建てられているのだけれど、“慰霊”の内容と、近隣に住むひとびとの“語り”に、なにかが身体の中をひゅぅと抜けてゆく空恐ろしさがあって。。

隣の佐藤さんの爺さんが自分の祖父が、人殺しだとは考えたくなくて、語りはひそひそ声になり沈黙になる。それは、わかる、んだ。私も、咎められるのを恐れている。だから薄っすら以上には知ろうとしてこなかった。知らずにいることが潔白の証であるかのように思えるから。日本の、多くの人がそれなんだと思う。

だけど朝鮮人虐殺の追悼式の会場を取り巻いてヘイトスピーチする日本人を見てると恐怖がこみ上げてくる。災害時に、混乱に乗じて襲ってくるのは外国籍のひとたちじゃない、そこでおぞましい言葉を投げつける日本人たちだってよくわかる。私は、あなたたちが怖ろしい。
なぜ日本では、こんな明らかなヘイトすら違法行為として問答無用で裁けないのだろう。





100年前に東京で日本人がやったことは、80年前に中国大陸で日本軍がやったこととおんなじで、そのどっちも“なかったこと”にしたい。政府が「資料がない」と嘯くのも、私が知らずに済むならと思うのも同じことかもしれない。

なんで70年前に、まともな謝罪を行わなかったんだろう。なんで毎年毎年、なかったと言い張るの。おかげで(祖父の世代のせいにする)孫の代の私たちも顔を上げて近隣諸国の友人の目を見られない。どう謝ればいいかわからない。

ドイツの戦後教育を受けたひとびとが
「戦時下の犯罪行為に私は関わってはいなかったけれど、それでも私には二度と繰り返さないようにする責任がある」
そう顔を上げてはっきりと清々と言えることが羨ましい。

日本人には、差別者と後ろめたい人々しかいない。









メモ:



2023年9月2日土曜日

「チェスの話」

 



シュテファン・ツヴァイク
1881年ウィーン生まれ。

第一世界大戦から第二次世界大戦の間の
インフレと政情不安定な時代を生きたユダヤ人作家。
1942年没。






「バビロン・ベルリン」や「襲撃」に続いて、戦争の時代の空気を反映した作品を続けて観たり読んだりしているけど、テーマを持って選んでるわけじゃない。たまたま。


ツヴァイクは名前だけは知ってたけど、“昔の作家”括りで読まずにいた。
いま公開中なのかな「ナチスに仕掛けたチェスゲーム」という映画。
原作が「チェスの話」と知って、映画タイトル(日本版の、だけど)に違和感あって読んでみた。なにが手に取るきっかけになるかわかんないわね。面白い。自分が、ね。


1942年に書かれた「チェスの話」が、「ナチスに仕掛けた」というようなエンターティメントになりやすい復讐劇的な話だとは思えなかったので。
原作は、ナチスの人道への犯罪行為と、それを生きのびた主人公の精神の闘いと崩壊の話だった。ナチスに仕掛けたりはしていない。ひとりの人間を壊してゆく戦争というものを静かに伝えているだけだ。


一緒に収録されている3篇も良かった。

「目に見えないコレクション」
「書痴メンデル」
「不安」

“読みやすい”とか“良くできた”という言い方って、ちょっと低く観た評価の言葉っぽいけど、そうじゃなくて。ひさしぶりに小説らしい小説を読んだなぁと思った。





ツヴァイクが「チェスの話」を書いた背景は映画「ナチスに仕掛けたチェスゲーム」の公式が分かりやすい。



     *





1881年生まれー1942年没のツヴァイクの人生は戦争ばかりだと気づいた。

第一次世界大戦:1914ー1918

第二次世界大戦:1939-1945

ふたつの大戦の間もオーストリアには安住できずスイスに住んだり、イギリスに亡命したり、ブラジルに渡ったり。


そして。第一次世界大戦で日本はどうしたんだっけ?と今更のように思う。
第一次世界大戦の連合国に「大日本帝国」名を連ねてるんだもんね。
やばい、ほんとに歴史知らない。…ってことを知る。
……が、wiki「第一次世界大戦下の日本」読んでもイマイチなにしてたんだかわからん💦