りんごの木の下で 明日また逢いましょう
たそがれ赤い夕日 西に沈む頃
楽しく頬よせて 恋を囁きましょう
真紅に燃ゆる想い りんごの実のように
映画の中で、カラオケで歌う倍賞千恵子さんを観て思い出す。
親戚のよこちゃんに頼まれて、倍賞千恵子のCDをカセットテープにダビングして送ったことを。「下町の太陽」とか「さよならはダンスの後に」とか、耳にしたことはあったはずだけど、こんなに本格的な歌手だとは思ってなくて。昭和歌謡や唱歌、フォークソングまで清潔な優しい声で歌うのをあらためて聴いたのだった。
借りてきたCDに「あなたが歌えば抒情があふれだす」みたいなキャッチコピーがあったけど、ほんとうにみんなが愛した昭和の柔らかさが声になったようだった。
倍賞千恵子さん。81歳。
女優さんとしてはやっぱり寅さんの妹のイメージが強くて、というより、それしかなくて。
プロフィールを見るとたくさんの映画にほぼほぼ主役で出ているのだけど、山田洋二の監督作品が多くてやっぱりさくらのイメージから大きく抜け出すことはなかったのかな。
だけど一昨年のコンサートの様子見ると、79歳でこんなに声がでてるの素晴らしいし、歳を召して格好よいひとだなぁと思う。ビンボ臭い日本映画界じゃ無理だけど、シャーロット・ランプリングみたいな大女優になれたひとのように見える。あ、いまも大女優なんだけどね。
*
「PLAN 75」
何年か前に友人3人で話していて。
3人同世代で、子供いないし、どうやって死んだらいいんんだろうねぇとなって、「選択死」があっても良いよねという結論になった。
尊厳死って大仰だし、安楽死って貧困な感じだし、自分の意志で「選択死」がいいよね、って。
まあね、つまりみんな同じようなことを考えてるわけで。
この映画も、この国で生きて老いていくことの不安が根底にあるんだよね。
いまでも、年老いて動けなくなってただベッドで生かされるだけにはなりたくないと思うけれど、いまの日本の政府がやる選択死なら、なんとも受け入れがたいよなぁ。
AmazonPrimeで観始めて、前半の身寄りのない年寄りのありがちなリアルになんだか気持が塞いでしまって途中で止めた。PLAN75を選択せざる得ない老人たちの描写が続くのは観てて辛くて。でも、こういう内容では真ん中あたりで止めるって一番のBadTimingだよねぇと思い直し小一時間のインターバルの後、続きを再生する。
主人公がPLAN75に踏み出すと、まあ、まあ、、う~ん、「話が動き出した」という意味で観られるようになったというか、なんというか。。。
しかし希望がない。映画に?現実に?どちらにも。
主人公のミチが、PLAN75の途中で抜け出してしまっても、それは救いじゃないもんね。
♪またあした会いましょう、、、いちにち生き延びただけ。
映画は良いよなぁと思うのは、そこでエンドマークだしてしまえば観客へ丸投げ?で余韻を醸したテイになるのかもしれないけど、現実のミチはあのあとどうすんの?ホームレスの老女がひとり誕生しただけじゃん。
それがリアルなんだな、日本の現実なんだなというふうに落ち着くところが、ああもうこの国厭だってなる。
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