韓国の首都、ソウル。貧困層が住む最底辺の住宅「チョッパン」を取材する記者が苦心の末にたどり着いたのは、「見えない」富裕層による貧困ビジネスの実態だった―。チョッパン街住民の声、自身の貧困経験や徹底した調査をもとに、新自由主義がまかり通る社会に問いをつきつける迫真のルポ。
チョッパン(チョッ房):割れた部屋の意。本来あった部屋をいくつかに小さく分けて、一人、または二人が入れるように作っている。ホームレスになる前のぎりぎりの住居。
チョッパン街:ソウルの中心にある古くからのものは3平方メートル前後の小さな部屋で、保証金はなく月極家賃制。中高年以上~老人が多い。電気は通っているが暖房設備はなく、炊事場・トイレは共同。“ハチの巣”と呼ばれる。生きて入る棺桶。
ここは、単純に「都市の発展から取り残されたスラム街」というわけではない。首都の商圏内にあって再開発の可能性はいくらでもあって、それが富裕層の投機と搾取の場になっている。チョッパン街を所有すれば再開発の手が入るまでの数年も、定期的な現金収入がある。住宅として登録された正式な賃貸物件ではないから、脱税的現金収入になる。平米当たりの収入でいうと、高級タワーマンションの4、5倍の収益になる。物件のメンテナンスなどの義務からも逃れている。間に管理人を置いて集金させるだけの美味しい物件。
新チョッパン街:ソウルの大学周辺のワンルーム。地方出身の学生のためのワンルームを、家賃収入を上げるために幾つにも仕切って改修して貸し出す。キッチン・トイレ含めて12~3平方メートル程度。窓のない部屋も多い。それで保証金(デポジット)100万~400万円に+月極家賃1~4万円。安いわけではない。
*
途中だけど。メモ書きするだけで草臥れた。
*
韓国日報の若い記者が書いているのは「貧困は隠されている」ということ。「貧困は恥ずかしい」と考えられているということ。記者自身も学生の頃「住居貧困」で取り繕って生きていたと。若い時の苦労は買ってでもしろと言われるけれど、窓もない黴だらけの半地下の、寝台を置くのが精いっぱいの、シャワーを浴びて体を横たえるだけに潜り込む巣で20代の6年、7年を暮らすことが意味のある苦労なのか。
韓国のトップ3に入る大学の学生でさえそうなる。大学院を修了して企業のインターンを始めた男性の「計画」が、窓があって台所と部屋が分かれているいまより何坪か広い部屋を手に入れること。それは計画したり希望したりすることではなく、最低限の権利として保障されるべきことだと記者は書く。チョッパン住みの彼に「住居貧困だと思うか?」と聞くと、不快そうな顔をして「いや、思わない。貧困ではない。今だけのことだから。ぼくには計画があるから」と答える。こうして貧困は当事者の意識からさえ隠される。そして、チョッパンから抜けられるのは記者やこのインターン学生のような上位5%にはいる層くらいだ。
地方からソウルに来た若者や、旧チョッパンの老人たちが貧困なのは自己責任ではない。人生を怠けていたからではない。彼らが貧困なのは彼らのせいではなく貧困であることを強いられて来たからだ。
恥の意識が貧困を隠し、それに隠れて富裕層が貧困層から搾取し続ける。
メンタリティが近いせいもあって他所事とは読めなかった。見えない(見ない)だけで、日本にも同じようなことがあると思う。今住んでいる部屋に来月もいられるかどうか気に病まなきゃならないとしたらそんな不安な辛いことはないだろう。
太郎さんが「住まいは権利」と言い続けるのは正しい。
Webちくまの書評。
0 件のコメント:
コメントを投稿