幼年期のさなか、美しい夢から目覚めた私は
その素晴らしさを母に語った。
母は優しく耳を傾けてくれたけれど
少し物悲しい表情になり
「その夢のことも、だんだん忘れてしまうのね」
とつぶやいた。
こんなに美しいものを忘れるわけがない。
首をかしげる私を見て母は微笑んだが
もしほんとうに夢が消えてしまったらどうしよう。
時間の果てしなさにぼんやりと思い至り
ほんの少しだけ恐ろしくなった。
その日、鮮やかな光景を失う恐れと
母の物悲しい顔が気にかかり
私は毎日この夢を隅々まで思い出すことにした。
<美術家・福田尚代>
そうして福田尚代さんは高校生の頃まで
その夢を思い出すことを毎日続けたという。
*
夢の中で
大好きな声が歌うのを聴いた。
遠くの山並みまで視界の開けた
広いルーフバルコニーのベンチに座っていると
右後ろから声が聴こえてきた。
知り合いの子どもに
いまこんな曲を作ってるんだ
次のアルバムに入れるよと話し
メロディーを歌いだした。
隠れていたわけではないけれど
歌う鳥の邪魔をしない時のように動かず
でもリラックスしてその声を聴いた。息をのんで。
ああ、その歌は間に合わなかったねぇ
と思いながら。
目覚めてシアワセだった。
やっぱり、姿は見なかった。
私にとってのチバは、声だから。
もちろん姿も見れれば嬉しいような気もするけれど
声が私にはいちばんのリアルだから。
しっかりと思い返して忘れないでいようと思ったけれど
それはやっぱり無理だった。
夢の中で聴いた声を、どうやって記憶したらいいのか。
歌う声のそばにいて聴いた、その時の感覚を
どうやったら留めておけるのか。
目覚めて、反芻しはじめた瞬間に
声も、鼓膜の震えも朝霧のように消えてゆくのに。
これを書いているいまなんて
もうなんにも残ってない。
哀しいくらいに儚い。
*
何年も何年も、毎日思い出すことのできる夢。
それは、良いものなのかな?
芸術をやるひとならではの、資質なのかな。
自分の中で昇華させたイメージなのかな。
10数年にわたる反芻に耐えうる、それは、夢なの?
*
夢で、聴いたという
微かな愛おしさだけが残ればいい。
それだけでいい。ね。