ここにアップロードはしない日々の備忘録のような日記があって。
あそこ行ったのいつだった? あれはどこで買ったんだっけ?みたいな、忘れちゃってもどうってことない、でも残しておくと記憶のタブになるようなことを書いている。
一年前の春先のことで確かめたいことがあって開いてみたんだけど、ちょっと驚いた。
去年は特に、自分のことではない、でも書き残しておいたほうが良い行動記録とか買い物とかが多かったし、それに付随して波立つ感情も大きかったのであれこれ書き殴るような言葉が残してあった。
それを読んで、うわぁ、こんなに私辛かったんだぁ、と驚いたんだよね。
読んで驚くほどに、忘れていたってことなの。
ヒトは忘れて生きていく。忘却万歳!
もちろん、今現在、ああ、嫌だった、清々したっていう気持ではいるんだけど、それはほんと「去年嫌だったこと」っていうラベル程度の感情。毎日あったはずの不安、嫌悪、疲労、腹立ち、徒労感、八方塞がり感みたいな感情、リアルに心臓や皮膚感覚に現れるような感情はもうすっかり私の中から消えていた。
だから、備忘録をチラ読みしたら思い切り蘇ってきて、ゲゲっとなって慌てて閉じた。
忘れるって、素晴らしい。
嫌悪の実体がもうここにはいないんだから当たり前なのかもしれないけれど。
いまでもまだ「あ~腹立つ~」と思い出すこともあるけれど、観念的な感覚だけで、心身で実感するほどの痛みはもうない。
回復するってこういうことか。傷はない。傷に残してたまるもんか、とも思うけど。
忘れたことは忘れていいようなことで、忘れたままにしとけば良いんだな。
それとは逆のことも思う。
自分の人生で大切だった人との間で感じた痛みは傷として残ればいいと。
うん、ちゃんと残るよな。
その時は痛みが強くて、後には悔いに苛まれたようなことでも、大事な人との間にあったことは忘れようとしても忘れないし、傷になって残る気がする。でもそれは、たぶん優しい傷。指先でそっと撫でて、そこにまだあることを確かめたくなる傷。
そんな傷で満身創痍だったら、それはそれで良い人生かもしれないね。いや、そこまで切り刻まれたくはないけれども(笑)
忘れたいことも忘れたくないことも、忘れたんなら忘れていいようなことで、ほんとに大切なことは、忘れたようでいて深い記憶の水脈の底からでもふっと浮かび上がってくるんだろうな。
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