セイヨウニンジンボク
葉に触れると菊のような匂いがする。
以前、家庭用の殺虫剤に添加されている匂いがライラックだって気が付いてから、その匂いがとても苦手になった。
ライラックはルームフレグランスなどでよく使われてるんだけど、その香りがすると息止めてしまう。脳内で殺虫剤とイコールになってしまっているので無理。
ライラックの花樹は美しいし、たぶん生の花を嗅いだら違うのかもしれないけれど。
香りって、ほんとうに生理の奥に届いて留まるんだと思う。
一度イメージがついてしまうと、上書きできないんだよなぁ。
*
最近、洗濯洗剤を無香料のものに変えた。
洗濯洗剤には特にこだわりもなくて、極々普通の量販品を使ってたんだけど。
香りも、これと言って特徴のない薄いフローラルで、何の匂いとも言えないようなものだったんだけどね。
2階の自分の部屋にいた時、ふっと鼻をかすめた匂いに「ん?お母さん?」と思って。
なんでだろう、って。階下のひとが2階に上がってくることなんかないし、私の部屋に入ったこともすくなくとも13年ないと思うのに。
つまりね、洗濯洗剤の匂いだったの。洗濯自体は別々だけど同じ洗剤使ってるからね。
彼女は洗剤を結構使うみたいで、そばにいると服から香ってた。まめに洗濯してるんだからそれは良いことなんだけど。
でも、その洗剤の匂い、イコール階下のひとの匂いになってしまってたみたいで。
自室でふいと香ったのは、私自身が着ているシャツからだった。
気づいて、生理的な嫌悪感が湧いてしまった。
階下のひとは後期高齢者だし、以前ほど身ぎれいにできなくなってるから年寄り特有の匂いはある。でも、それはいいの。好ましくはないけれど、そういうもんだと思うから。
でも、洗剤の匂いは、すごく嫌だと思った。自分の身に着けている物から匂うの、いやだ。
もう何年も同じ洗剤使ってきてるんだから、いままでだって“同じ匂い”を嗅いで暮らしてたはずなんだよね。でも、それに気づくくらい、いまの私は彼女を拒否してる。
暮らしの匂いを我慢したらものすごいストレスだから、同じ匂いを纏わずにすむように、無香料の洗剤に変えた。
使ってた洗剤の詰め替え用ストックがまだ結構あるので、階下のひとにはそれをそのまま使わせてる。洗濯機は一台なので、洗剤の使い分けで大丈夫なのか判らなかったけど、とりあえず自分の服やタオルから薄いフローラルは匂ってこなくなった。ほっとした。
*
いまね、自分がすごくナーバスになってる自覚、ある。
こんなのも、きっと今だけ、って思わなくもない。
だけど、匂いの、イメージを喚起する力ってすごいと思った。
好悪の感情にダイレクトに働く。で、コントロールができない。
映画「パフューム」を思い出してすごくリアルに感じる。
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