2024年3月13日水曜日

バイバイ、RDJ。

 



この左の小母さんは誰なの?
と思ったらサリー・フィールドだった。

さすが
紡績工場で労働組合をつくる主婦と
大恐慌時代に黒人と協力して綿花栽培をする主婦という
社会派映画2本で主演オスカーを獲った女優だ。

1990年代は一番映画を観ていた頃だと思うのだけど
記憶に残ってる映画の多くに彼女が出演している。
で、ハリウッドの栄誉のその先に歩み出したひと。


あの酷いアカデミー賞の舞台で
あのように動ける人がいるというのも
アメリカらしくもあると感じて慰められる。








10年くらい前にロバート・ダウニー・Jr.にハマっていたので
最初に受賞のニュースを読んだ時には
ああ、良かったねぇと思った。
そのあと流れてくる動画を観て
ものすごく嫌な気持になったけれど

いや人柄はとても良い人で
みんなに愛されてるし
演技を評価されながらオスカーに
手が届かなかったから
念願かなってさすがに浮足立っちゃったのかも

などなど
弁解を試みて宥めてた。
ファンだった自分への正当化というか
ファンだったことへの言い訳というか。

だけど、あれはやっぱり
どう贔屓目に見ても非礼だ。
前年の受賞者の “プレゼンテーターとしての栄誉” を
踏みにじっているよね。
キー・ホイ・クァンをボーイか何かのように扱っている。


彼を根っからのレイシストだとは思わないし
(ファンだったことを汚点にしたくなくて思いたくないだけか?)
常々善き人であろうとしている人なんではないかと
思ってはいるけど
たぶん、やっと手にしたオスカーに我を忘れて
そういうぱぁーんと弾けたところで現れる振る舞いは
まあ、たぶんその人の素で。


アジア人は透明な存在にされる
パーティ会場の家具のように扱われる、と
SNSで欧米在住の日本人が書いてたけど
まあ、そういうことなんだろうな。

ポリコレ的に正しい振る舞いも
礼を尽くした態度も
結局は白人&準白人&名誉白人の
仲間内に向けられる敬意で
ロバート・ダウニー・Jrも例外ではないって事だね。

だから
ミシェル・ヨーの ”プレゼンテーターの栄誉” を
守ろうとして(そう思える・思いたい)
浮かれる若い女優のドレスを引くサリー・フィールドの
オスカーのその先にいるひとの振る舞いは
忘れないでいようと思った。


振り返って。
自分の中にだって
隠された差別的な“線引き意識”ないとは言いきれないから。
テンパった時こそ危ないぞ、と。
いや、隠しておければいいって話じゃないけどね。


まあ、この件は
ロバート・ダウニー・Jrじゃなかったら
こんなにショックは受けなかったと思う。
誰かを、何かを好きだと思う気持って
プラスにもマイナスにも大きく感情を揺さぶるよね。






4 件のコメント:

  1. まさに留学した時「透明になった気がする」って思った。誰からそのフレーズを教えられた訳でもなく、自然にその言葉が湧いてきたんだよね。

    日本でそれなりに過ごしてきた時の自分とアメリカ人の学生達と一緒に過ごす時間や自分の存在意義みたいなものの差が激しすぎて(留学生同士はまた別の話になるけど)。

    それなりには英語も話せたせいか、あからさまな差別を受けた記憶は殆どないけれど。いない存在扱いみたいなものは、やっぱり最初はショックだったねー。まぁだから大学院辞めて帰ってきたわけではないけれど。

    なのであのスルーされる感じはすごくよく分かる気がする。

    なので(なのかな?わからんが)何となく飲食店やコンビニの外国人店員さんには日本人の店員さんに対してよりも、よりフレンドリーに感じよく振る舞う癖みたいのがついているかも。それが殊更良いことなのかは別として。

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  2. あのRDJのステージでの態度は酷かった。
    おまえ、トニー・スタークかよ?ってww
    アイアンマンとして目覚める前の、ね。
    トニー・スタークの演技絶賛されてたけど、素だったのかと。

    植民地時代のようにアジア人が“仕える”側のイメージのままなんだろうけど、それってどうやって受け継がれてしまうんだろうな。植民地時代なんて、実体験として知ってる層なんてもういないだろうに。やっぱり映画などのフィクションの描き方の功罪は大きいかなぁ。

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  3. うーん、多分ねぇ。単純に本当に目に入らないんだと私は思ったなぁ。

    誤解を招きそうだけど、ものすごく単純化すると。白人にとっては白人は無意識に目に入る。黒人は少し用心して接しなくてはと思って目に入る。アジア人は興味もないし区別もつかないし目に入らない。という感覚がまずあって。

    そこにアジア人蔑視がある人もいれば別に蔑視してるつもりはないけど興味ないから注意が向かないしスルーしてしまうという感覚のまま生きてきた人、沢山いるんじゃないのかなぁ。

    本当に同じ人種で固まってるケースが多いしねぇ。

    アメリカの場合は「植民地時代」なんて長い歴史もないし、自分の好きなものだけ追っかけて生きてきたから、「素」でああいう対応になっちゃった!って感じなんだろうなぁと思って見てた。

    仮にも「公人」でもあるわけだから酷すぎるけどね。

    もちろん私も彼のこと結構好きだったからがっかりじゃんーって思ったけど、受賞に興奮して先方にいる白人の友人たちが見えて素が出てしまったのねぇ、あーなんか分かるわと思う自分もいたって感じかなぁ。あの白人友人を見つけた瞬間ないがしろにされるってのもよく分かるのよーw

    非常に残念ながら、だけどね。

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  4. >あの白人友人を見つけた瞬間ないがしろにされる

    ああ、、なるほどねぇ。。
    大きなParty内の個々の人間関係で、親密度? 身内・非身内意識?が残酷な形であからさまになる瞬間ってあるねぇ。ひとが無自覚に抱えてるヒエラルキー意識が出る感じ?
    あんな多様な人種の集まる大きな舞台じゃなくても。


    >アジア人は興味もないし区別もつかないし目に入らない。

    う~ん、もう、胸に凍った風が吹いてゆくような。。
    なんかすごく痛いわぁ。。。

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