徒歩5分、車椅子押してゆっくり行っても10分の整形外科へヒアルロン酸の注射を一本打ちにいくだけのことが、なんで一日仕事みたいな疲労感になってしまうんだろう。
今日は朝から雨なんです。
天気予報を見ると午後から上がりそうだったので「今日は午後からにしようね」と伝える。
T整形の午後の診察は3時からだから、夕方行くよと言っているのに、もう注射打ちにいくことで頭がいっぱいになって着替えを始める。
だーかーらー。
まだ昼前だってば。
まだ雨降ってるし。
いいけどさ。
もともとせっかちで、買い物でもなんでも思いついたらすぐ出かけていきたいひとで。
よくお父さんにも、「まだ行かないって言ってるだろ!」ってイラつかれてたの見て、その時は笑ってたんだけど。これか。
まぁ、ここまではいいよ。
午前の受付に間に合いそうなタイミングで雨あがれば、さっと連れていけるからね。
でも雨は止みそうにない。
今日は行けるかなぁ…と思っていると、階下から呼ばれる。
はいはい。
「T整形の診察券がないのよ。あんた知らない?」
「先週帰ってきて、Tさんは毎週行くからお財布に入れとくって自分で仕舞ったでしょ?」
「ぜんぶ見たのに、ないのよ。どこそこやるわけないんだけど」
「受付で言って作り直せばいいよ」
と言ってるのに、そこから、大捜索。
「あれ見て、そこ開けてみて。 どこやったんだろう?」
たった一枚の紙ペラ探して、押し入れまで開けさすんかい。
30分くらい探し物につき合ってイラついてきたところで
「いいよいいよ、作り直せばいいよ」
だーかーらー、最初からそう言ってるでしょー。
失くしものはいいよ。仕方ない。
(私もつい最近、診察券より大事なモノ一式失くしたしさ)
あれ、見つからない、どこやっちゃたんだろ、まいっか、作り直してもらおう。
と自分の中で解決しないんだよね。どうしようどうしように囚われちゃうのが「老いる」ってことなのかもしれないけど。ひと騒ぎしないと収まらないのね。
こうやって書きだしてみると、ほんとどうでもいいこと過ぎて、私もそんなイラつかなくてもと思うけど、そのどーでもいいことにいちいち付き合わされてしまうことにイラついてしまうんだな。
困りごとを聞いてあげて、安心させてあげて、、、という上手い付き合い方があるんだろうけれど、そもそもこのひとには付き合いたくない、時間をさしだしたくないので、名前呼ばれた瞬間にどよんとする。
呼ばれれば行かないわけにもいかないので「なぁに?呼んだ?」って部屋へ行くけど、そこで始まるのはたいてい何度も繰り返した解決策のない心配事と彼女の願望ばかりで、こっちは「またか」と鬱な気分に染まる。
だーかーらー。
ひとの話を聞け。
聞いて理解しろ。
理解して諦めろ。
そして忘れるな。
ああ、どれも無理ね。
はぁ~鬱陶しい。
*
私もあと20年もすればこうなるんだろうか。
話が理解できなくなって、自分の不安に頭がいっぱいになってぐるぐるぐるぐる。
私はならないよとは言い切れない。だから余計彼女を疎ましく思うんだよね。
幸か不幸か、呼びつけて繰り言を聞かせて「だーかーらー」と言わせてしまうひとは、私にはいない。「だーかーらー」は「何度おなじこというの?ボケてんの?」っていう憎しみがいっぱい詰まってるので言われたくはないけど。彼女見てると、老いることがほんとうに怖くなる。どーしたらいーんだろー。