懐かしい匂いを嗅いだ。
どんな、と説明すればいいだろう。
生きているひと、から発する匂い、だ。
生きて、病を得て、適切な医療を受けて街に戻ってきた、ひと、の匂い。
図書館で本を選んでいた。
その匂いに気づいたとき、8人掛けの閲覧席には私ともうおひとり、年配の男性がいるだけだったから、たぶんその方。
父の匂いでもある。
亡くなってもう12年経つのに覚えていたのが不思議だけれど、匂いってそういうものだね。
父は70歳になった年に、最初の癌を患った。
膀胱癌。手術をして膀胱を全摘出して人口膀胱を作った。
右下腹部にストーマと呼ぶ尿をためておくパウチを常に装着して暮らした。
皮膚をケアする塗り薬やパウダー、消毒剤、それから飲み薬。それぞれ微量だけれども、知っている人にはわかるオストメイトの気配になっていた。
その匂いを私はイヤだとは思ってなかったので、図書館でその匂いに気づいて、あ、お父さんって思った。
父は足掛け8年、ストーマを使った。
器用だったので3日ごとの取り替えやケアも難なく覚えてやってた。
入院中でも自分でやらないと按配が悪いと言って看護師さんの交換を断って自分でやっていた。
父がもっと老いて手先がきかなくなったら私ができるように覚えておかないとなと思ったこともあったけど、結局私が手を出すことはなかった。
ハイデガーゼという医療用のガーゼの購入をネットでやって届けるのと、ストーマの購入に補助が出るのだけれど、購入に独特の点数があってそのわかりにくい計算を一緒にやったくらいか。それとストーマを着けて楽に穿ける下着のパンツやスラックスを探したり、外出先で利用できるオストメイトトイレを設置している施設や駅を探したり。それくらい。
父が亡くなって3か月ほど経った頃。
あ、ちょうど今ぐらいの時季だったかな、ストーマを購入していた代理店のひとから電話があった。定期的に購入していたのが発注が止まったので、在庫は余分にありますか?という電話だった。販売店を替えることはないし必ず必要なものだから、ね。
ひとが亡くなれば、あちらこちらに連絡してそれを伝えて手続きしてもらうのは当たり前で、あれこれ事務的に片づけ終わってたんだけど、ストーマのことは念頭になかったので、不意を突かれて電話口で絶句してしまったっけ。
その電話の後で、ストーマがふた月分くらい、20セットほど使わず仕舞いになってることに気が付いて、こちらから電話してどうすればよいか尋ねて、引き取ってもらうことになった。
お父さんの一部だったストーマを箱に詰めながら、死んじゃったんだなぁとしみじみ、思った。
………というようなあれこれを、図書館の閲覧席で思い出してた。
お父さんと同じストーマの方かな、一応断っておくと、決してひどく匂ったわけではないのです。ほんとにストーマを知らなければ、病院の匂いくらいにしか思わないと思います。
私は知ってるから気が付いて懐かしい気持になって、そうだこの建物にはオストメイトトイレが2階にありますね、ご存知かな、なんて思ったりしたのでした。