2023年8月31日木曜日

Conan Lee Gray

 




ここしばらく
繰り返しくりかえし聴いてる曲。

声、甘すぎるかな?
でも、いま、とても好き。
メロディも鳴ってる音も。






この曲を教えてもらったのは冬で
それから結構聴いてたのに
深堀してなくて。
なぜか昨日ふと
歌詞やアーティストを検索してみて。

曲調から
メロウなラブソングなんだろうとは
思ったけど
ジェンダーレスなコナン・グレイのことを知って
歌われてる関係性を知って
せつなさが増したかな。





日系アメリカ人だけど
アイルランド人の骨格のせいか
英語発音者だからか
声が空気を抱くような発語が良い。
日本語話者には滅多にいない気がする。

喉を締めて
口蓋の奥にまあるい空間を湛えて
発音するような?

24歳。
これからまだ歌声は変わってゆくんだろうけど。
甘い歌唱の割に
スレてない清潔な声色が
遠い遠い日々を呼び覚まされて良い。



2023年8月26日土曜日

半七老人とキッチンカー

 



ジュズサンゴ

結実して
赤くなってきた。
すこしすつ季節は動いている。







とはいえまだまだ日中は暑い。
2階の南向きの自室は光が入ると空調が負けそうになる。
太陽は空の高い位置にあって直射ではないのに、硝子戸の外に溢れる光のエネルギーがあまりに強くて遮光カーテンを開けられない。
薄暗い部屋で日暮れを待つ。


     *


本を読むには暗すぎる(明るい光を遮断して点灯するのはなんだか抵抗がある)
ネットに上がっている朗読を聴く。作品で選んで聴き始めるのだけれど、声に馴染めなくてすぐに止める。落ち着いた男声だと耳馴染みが良いのだけれどなかなかいない。


時代物の朗読はいろいろ上がっているのだけど、このひとの朗読が聴き良かった。
「半七捕物帖」を朗読でって、、、隠居生活っぽい~(笑)
だけど舞台が神田~上野界隈で、土地勘があるので聴いていて面白い。
半七捕物帖が、隠居した半七老人に<わたし>が話を聴きに行く(たぶん岡本綺堂が)という体で書かれていて、語っている時点では明治と元号が変わっていて、話は江戸の末期。
事件の謎解きの面白さというよりも、江戸八百八町の市井の人々の暮らしや風俗を話してもらって面白く聴いてる。
途中で寝ちゃったりもするのだけれど、なんとも正しい隠居暮らしではある(笑)


     *


午後6時を回って、半七風に言うと暮れ六つ、ようやく陽射しが和らぐので買い物に出る。
西陽は眩しくて空はまだ青々と明るい。でも案外空気は柔らかで自転車を漕いでゆくと気持が良い。いつもの東京の夏のじめじめした湿度がない。
今年は気温が高すぎて空気中の湿度も蒸発してるんじゃないかしらん。

昨日は駅前の広場にキッチンカーが出ていて、香ばしく焦げる匂いに釣られて焼き鳥を2本買った。茜色に染まる雲を眺めながらベンチで食べた。美味しかった。下戸じゃなきゃビール行くよね。
密ではないけど、三々五々のんびり歩く人たちがいて。
むか~しに行った台湾の宵の町並みを思った。陽が落ちて過ごしやすくなった時間に街に出て屋台やテラスで食べて飲んでおしゃべりして散歩して帰る。夕暮れから宵闇までの時間を楽しむようなそんな暮らしになればいいのにと思う。東京ももう亜熱帯の気候になりつつあるんだから。
と隠居は暢気にボンジリとつくねを食べながら思うのだ。
ああ、買い食い楽しい。下戸はつまんないけど。











2023年8月16日水曜日

「襲撃」

 




 飢餓の冬と呼ばれた1945年、オランダ・ハールレム市で対独協力者の警視が殺害される。12歳の少年アントンの家が報復として<襲撃>され焼かれ無実の両親と兄を失う。伯父夫婦のもとで成長して医師となり事件とは距離を置き暮らすが、その<襲撃>の夜に関わる人物と邂逅し事件の全貌がすこしずつ立ち現れてくる。


オランダの小説家の作品って、初めて読んだかな。
1945年の冬のヨーロッパ。第二次世界大戦が終結しようとしている頃かな、くらいの認識だったけど。ノルマンディー上陸、パリ解放は1944年のことで、オランダの王家と政府が国外に逃げイギリスで亡命政府を維持していたというようなことはまるで知らず。オランダの解放は45年春にドイツが降伏するまで実現しなかった。飢餓の冬…厳しい闘いだったらしい。

第二次世界大戦といっても、西部戦線といっても、国で地域で街で村で、東隣の家で西隣の家でアントンの家族で、味わう苦しみはあたりまえだけどひとつひとつ異なっている。


作者ハリー・ムリシュの父親は第一次世界大戦時にはオーストリア・ハンガリー帝国の軍人で、母親はベルギー生まれのユダヤ人。
父親は第二次世界大戦の頃にはユダヤ人から没収した財産を管理する銀行の頭取をしており、戦後は対独協力者として投獄されるが、その父親の職業のおかげで母親とムリシュは強制収容所を免れることができた。
ムリシュは生前「私が存在するのは第一次大戦のおかげだ」と語り「私が第二次世界大戦だ」とも言っていた。


「誰もが有罪であり、無罪であるのか?有罪は無罪で、無罪は有罪なのか?」
<襲撃>の全貌を知ってアントンが抱いた想い。
600万人のユダヤ人が殺され、3人のユダヤ人とふたりのオランダ人が死を免れ、3人のオランダ人が代わりに死んだ。

父親の<罪>ゆえに、死を免れた母親とムリシュ。戦争犯罪人の息子でありホロコーストの生き残りでもあり、、、10代の思春期にWWⅡを過ごしたアイデンティティ。

「この世界では、良い事柄にもかならずや悪い面が含まれている。だがそれ以外にもまた別の面もあるのだ」

世界は複雑だけど、戦争はそれをさらにさらに複雑にする。




2023年8月14日月曜日

ジョンか、チヂミか。

 



野菜プランターのミョウガが
ぽつりぽつりと
花芽をのぞかせてくれる。

ちいさな花芽を
ひとつか、せいぜいふたつ。

冷ややっこやカツオの薬味
汁の実にはちょうどよい。



時々土砂降りになる天気に買い物に出そびれて、冷蔵庫の残り物でジョンを焼く。

モヤシふた袋と豚ひき肉、シュレッドチーズ。 
豚ひき肉は塩コショウして炒めて火を通す。
モヤシに片栗粉をまぶしてひき肉とチーズを合わせ混ぜる。薄くのばして焼く。
だけ。簡単。

シュレッドチーズがカリカリで、トッピングした韓国海苔と肉汁が良い味付けになって美味しかった。

チヂミは好きでよく焼くんだけれど、生地にレンコンやジャガイモ、ダイコンなんかをすりおろしたり寝かせたり、具材もエビ、イカ、豚肉、ネギ、ニラ、キムチなどなどなど、わりと色々入れた豪華版になってしまうので切って混ぜて焼くだけの割には手間かかってたりする。
モヤシのジョンはほんと簡単だった。生地でまとめない分、火の通りが早くて一度ひっくり返すだけでOK(チヂミは何度も返してカリカリにするので、時間がかかるし、夏は暑い。3枚も焼くと汗びっしょり)
生地がないので口当たり軽いし、おかずにもなるかな。野菜のかき揚げ的な?かき揚げよりずっと簡単で失敗もないと思う。あり合わせ料理だったけど思いのほか美味しくて好評でもあった(家人が、これはビール飲まなきゃ料理に申し訳ないと言って、ノンアル2缶開けていたw)

(思い付きで作ったものって忘れてしまうので書き留めておく。たぶんまた作る)




さて、ジョンとチヂミの違いはなんでしょうね。
正確には知らないんだけど、チヂミを焼く時いつもハルミさんを思い出すんだ。

ハルミさんはアジア料理全般に詳しくて韓国料理は教えるレベルで。
私が作るチヂミの作り方を言ったら「それはチヂミじゃない」って一蹴されそうだなぁと思って尋ねてみたことがある。

「チヂミは朝鮮半島南部の郷土料理で、韓国料理としてはジョン。粉はなんでもいいのよ、元が賄い料理だからね」

とのことだった。怒られなかった(笑)
そっか、なんでもいいのか。安心してテキトーに作ってる。
今回のモヤシは、シンプルで正しく美味しい賄いって感じがするのでジョンと呼んでみた。



ハルミさんの、まったく忖度のない斬鉄剣のような物言いが私は大好きで。
チヂミのレシピを尋ねてみる前。
別の友人が通りがかった店を指して「ここの焼き小籠包が美味しいんだよ」と言ったら、「焼き?それは小籠包って言わないわね」と反応して、会話が止まった。
私は後ろで聞いてて可笑しくて痛快で、「ほらね、これこれ、ハルミさん好きだわー♪」ってなった。

キツイ物言いとか空気読まないとか、そういうんじゃないんだよね(そうとるひともいるかもしれないけど)、なんだろうなぁハルミさんの気持のよさ。スパっとやって血も流さぬ斬鉄剣の切れ味だわね。

東京を離れてしまったので随分会ってないけど。元気かなぁ。
美味しい料理とともに記憶に残ってるひと。


2023年8月10日木曜日

「バビロン・ベルリン」






めずらしくテレビ・ドラマを観ている。
うっかりアマプラで観はじめたらハマった、ん、だ、け、ど。

1929年のワイマール共和国時代のドイツがどういう世界なのか、あまりに知識がなくて1話を観て検索に走る。

20世紀で最も魅惑的で退廃的な時代 ベルリン黄金の20年代


 ………以下メモ

第一次世界大戦の後、世界大恐慌前夜。
莫大な戦争賠償金に苦しむドイツ。
ソビエト連邦は存在している。
スターリンとトロツキーの政争。
文化芸術の爛熟期を迎えるベルリン。
終焉へのカウントダウン。








登場人物も誰が誰やら。敵なの?(誰の?)味方なの?(誰の?)
そんな有様。
3話まで観てようやく話の流れがつかめてきた。

2話の終わり、クラブで男装の麗人の歌が意味深長。
このドラマのエンディングにも流れる。




「灰に、塵に 」(Zu Asche, Zu Staub)


灰は灰に 塵は塵に

光は奪われたが 終わりではない

最後に奇跡はきっと起こる

灰は灰に 塵は塵に

光は奪われたが 終わりではない

奇跡はきっと起こる

終わりではない

最後に奇跡はきっと起こる

絵空事かもしれない

雲をつかむような話だけれど

結末は誰にもわからない

壁の時計をごらん

砂に埋まって止まっている

その手を私に委ねて

共に永遠になろう


バビロン・ベルリン - 灰へ、塵へ (Zu Asche, zu Staub)


「灰は灰に 塵は塵に」出典ありそうだなと探したら聖書の言葉らしい。
1929年、このあと経済崩壊してヒトラーが登場するドイツの、その後の「歴史」を知っているからついつい深読みしてしまう歌詞。




バビロンの名の通り「混乱」して今にも崩壊しそうな街と人と社会の歴史ミステリ。
息苦しい。
いまのところ幸せな人は一人も出てこない。


バビロン・ベルリン Wiki 










https://psbr.hatenablog.com/entry/babylon1sum

https://liaison11.exblog.jp/27820571/

https://stoica.jp/columns/aphorists/10

2023年8月8日火曜日

立秋






立秋、といっても
最高気温33度。

先週の36度、37度の熱暑よりはましだけど
さすがに外歩きは躊躇われて
最近見つけたお気に入りの緑地へも
行けずにいる。

裏庭にも小石川にも
しばし足が遠のいている。

お盆過ぎたら行けるかな。
緑が恋しい。






ベランダの鉢と庭に
朝夕たっぷりと、ほんとうにたっぷりと水を遣る。

ベランダには庭の水栓から
ホースを上げているのだけど
朝8時前で
ホースから熱湯が噴出してくる。
夏はお湯になるのはわかってるから
最初の30秒でベランダの床や植木鉢を
洗ったりするんだけど
今夏はマジで熱湯で
びっくりする。


台所の水道もお湯が出る。
うちは混合水栓じゃないのに。

で、流し続けても
冷たくならない。
お湯、というほどではないけれど
水、というには温すぎる
そんな感じ。

茹で上がった素麺や蕎麦を
水で締めたいんだけど
流水だけではいまいち締まらない。
仕方ないから氷水を使うけど
こんなことは初めてかな。
上水道管の埋まってるところまで
相当温められてしまってるんだろうな。

冷たい水の感覚忘れそう。



2023年8月6日日曜日

ガラクタを積み上げる










朝、ベランダの鉢植えに水遣りをして洗濯物を干していたら、道の向こうのアパートにトラックが横づけされて作業着姿の男の人たちが4人降りてきた。
近所に住むアパートのオーナーが来て、2階の一番手前の部屋のドアを開けて作業が始まった。

部屋から段ボールを次々と運び出し、階段脇に寄せて停めたトラックの荷台に階段の途中から放り投げてゆく。
引っ越しではない。2トントラックの荷台はオープンで荷の嵩上げ出来るように両側にコンパネが張ってある。廃棄物の荷だし。

段ボールの蓋は開いていて、投げ落とされたはずみに中身が荷台に散乱する。ざっと中を見て分別はしているらしい。途中から軽トラックがもう1台来てスチール製の棚のようなスクラップで売れそうなものは別に積んでいた。たいした量はなかったけど。

落ちた衝撃で散らばるCDやDVDが立てる騒雑音。ゴミ袋に突っ込まれた服や靴、放り投げやすいように袋に入れてるだけなんだろう。中身が入ったままの衣装ケース。ゴルフバッグや洗濯機、座椅子、どかんどかんと音を立てて荷台に積みあがっていく。



     *



洗濯物を干し終えるまでの間、眼の端に見ていたモノに軽く沈む。


エアコンの効いた自室に戻って本棚や机の上に並んだモノを見る。
わたし、という、ひとりのひとの、好きなモノで埋まった部屋。
何年もかけてここに集まって、わたしに愛でられてきたモノ。

(この部屋の住人は、種と 葉っぱと ガラス瓶、そしてチバが好きらしい)

頭を回して部屋をぐるりと見まわす。
服もバッグも、寝具も家具も、ブランド品なんてひとつもない。部屋の主が愛着を加味して査定してさえお金に換えられそうなものなんてないんだから、他人が見たら廃棄物以外の何モノでもない。

部屋の外では、誰かの日々のお気に入りだったモノたちの放り出される音が続いている。



     *



6月の終わりだったか。
夕方帰宅するとパトカーとワゴン車が停まっていた。アパートの2階から制服の上に半透明のPPEを着た警察官が3人降りてきた。ブルーシートに包まれたものを下ろしてワゴンに乗せていた。なんでわかっちゃうんだろうね、見た瞬間わかっちゃう。まあ、わかるか。。
規制線は張られてなかったし事件性はないようだったけど。タイミングよく目撃したくなかったな。

そのアパートは単身者用ワンルームで、複数棟あって住んでる人のことはなにも知らない。
そこの住人だった人が部屋で亡くなったらしいことはわかったけど、詳細は知らない。知りたいとも思わないし。ただ、道に面した窓のカーテンがなにかに引っかかって捻じれたままなのが見えて、それが直されないまま日々が過ぎるのが、突然無人になってしまった部屋のリアルのようで気になってた。

オーナーはちゃんとした人で、管理会社も大手が入っているのでそのうち片付くんだろうとは思ってた。


     *



午後になっても、荷物の落下音は続いている。
部屋の片づけをしてるひとたちは、産廃業者とアルバイト、なのかな。
36℃を超す酷暑のなかで疲れてくるんだろう、どんどん雑になりフザケ半分の掛け声も聴こえてくる。彼らになにか問題があるわけじゃない。主を無くしたモノの行き着く先はお台場の向こうの処分場、いまは夢の島とは言わないのかな。どんな運び出しかたをしようと東京湾に沈む結末は同じだし。

それにしても。
20平米ほどのワンルームに、ずいぶんたくさんモノがあるもんだな。
ひとひとり、何十年か生きてみても、最後に積みあがるのは廃棄物なのかと思うと無常感が湧いてくる。



もし私が明日死んだら、この部屋のモノたちも、こんな音を立てることになるのかもしれない。それでも、目の前にある取るに足らないつまらぬ、わたしの断片を愛でずにはいられない。ガラクタのモザイクでわたしは出来上がっているのだから。




2023年8月3日木曜日

くだらないこと

 







くだらない:語源

江戸時代に、灘など 上方 かみがた で醸造された酒のうち、良い物は大消費地であった江戸へ 下 くだ るが、悪い物は主に当地で消費され「下らない」ことから、つまらない、できの悪い物を指し「くだらない」といった。




お風呂を沸かして入る、という日常のなぁーんでもないことから躓くやりとりひとつとっても、3人いれば三者三様、それぞれ違う感情に囚われている。やだやだ。もう、ほんとにくだらない、どーでもいいよ、、と思う。
やだもう、くだらないくだらない、くだらな過ぎるとぐるぐるするうち、ふと「くだらない」ってなんだ?と思う。

へぇ~そういうことだったのか。

灘の酒なら、くだらないとしても、庶民の膳にあがって、呑んで酔わせて喜ばれるからいいよね。

日々のことのくだらなって、くだらなさって、、んんん~ほんとつまんないことばかり。
ん?「つまらない」ってなに?なにが詰まるの?詰まらないの?

んん~~もういいや。。