朝、ベランダの鉢植えに水遣りをして洗濯物を干していたら、道の向こうのアパートにトラックが横づけされて作業着姿の男の人たちが4人降りてきた。
近所に住むアパートのオーナーが来て、2階の一番手前の部屋のドアを開けて作業が始まった。
部屋から段ボールを次々と運び出し、階段脇に寄せて停めたトラックの荷台に階段の途中から放り投げてゆく。
引っ越しではない。2トントラックの荷台はオープンで荷の嵩上げ出来るように両側にコンパネが張ってある。廃棄物の荷だし。
段ボールの蓋は開いていて、投げ落とされたはずみに中身が荷台に散乱する。ざっと中を見て分別はしているらしい。途中から軽トラックがもう1台来てスチール製の棚のようなスクラップで売れそうなものは別に積んでいた。たいした量はなかったけど。
落ちた衝撃で散らばるCDやDVDが立てる騒雑音。ゴミ袋に突っ込まれた服や靴、放り投げやすいように袋に入れてるだけなんだろう。中身が入ったままの衣装ケース。ゴルフバッグや洗濯機、座椅子、どかんどかんと音を立てて荷台に積みあがっていく。
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洗濯物を干し終えるまでの間、眼の端に見ていたモノに軽く沈む。
エアコンの効いた自室に戻って本棚や机の上に並んだモノを見る。
わたし、という、ひとりのひとの、好きなモノで埋まった部屋。
何年もかけてここに集まって、わたしに愛でられてきたモノ。
(この部屋の住人は、種と 葉っぱと ガラス瓶、そしてチバが好きらしい)
頭を回して部屋をぐるりと見まわす。
服もバッグも、寝具も家具も、ブランド品なんてひとつもない。部屋の主が愛着を加味して査定してさえお金に換えられそうなものなんてないんだから、他人が見たら廃棄物以外の何モノでもない。
部屋の外では、誰かの日々のお気に入りだったモノたちの放り出される音が続いている。
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6月の終わりだったか。
夕方帰宅するとパトカーとワゴン車が停まっていた。アパートの2階から制服の上に半透明のPPEを着た警察官が3人降りてきた。ブルーシートに包まれたものを下ろしてワゴンに乗せていた。なんでわかっちゃうんだろうね、見た瞬間わかっちゃう。まあ、わかるか。。
規制線は張られてなかったし事件性はないようだったけど。タイミングよく目撃したくなかったな。
そのアパートは単身者用ワンルームで、複数棟あって住んでる人のことはなにも知らない。
そこの住人だった人が部屋で亡くなったらしいことはわかったけど、詳細は知らない。知りたいとも思わないし。ただ、道に面した窓のカーテンがなにかに引っかかって捻じれたままなのが見えて、それが直されないまま日々が過ぎるのが、突然無人になってしまった部屋のリアルのようで気になってた。
オーナーはちゃんとした人で、管理会社も大手が入っているのでそのうち片付くんだろうとは思ってた。
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午後になっても、荷物の落下音は続いている。
部屋の片づけをしてるひとたちは、産廃業者とアルバイト、なのかな。
36℃を超す酷暑のなかで疲れてくるんだろう、どんどん雑になりフザケ半分の掛け声も聴こえてくる。彼らになにか問題があるわけじゃない。主を無くしたモノの行き着く先はお台場の向こうの処分場、いまは夢の島とは言わないのかな。どんな運び出しかたをしようと東京湾に沈む結末は同じだし。
それにしても。
20平米ほどのワンルームに、ずいぶんたくさんモノがあるもんだな。
ひとひとり、何十年か生きてみても、最後に積みあがるのは廃棄物なのかと思うと無常感が湧いてくる。
もし私が明日死んだら、この部屋のモノたちも、こんな音を立てることになるのかもしれない。それでも、目の前にある取るに足らないつまらぬ、わたしの断片を愛でずにはいられない。ガラクタのモザイクでわたしは出来上がっているのだから。