2025年3月19日水曜日

美貌の青空

 


土方巽 「美貌の青空」 1987年





この文字の連なり。

この5文字だけで
推敲の余地のない完成された詩だし
大理石から掘り出された貴い人のような質量を感じる。

Bibo no Aozora.
美貌を び ぼ う と声に出したことなどあったかな。
圧倒的で人の世界ではほぼほぼ使い途がない。

青空に冠することでやっと発語できたね、と思う。





坂本龍一の作った曲の中で
Bibo no Aozoraがとても好きだ。
ヴァージョン違いをプレイリストに入れて聴いてたりする。
昨日の映画でもオーケストラヴァージョンが演奏されてた。
これは持ってないからそのうち手に入れよう。
でも、どんどんシンプルになって今は「Opus」のピアノが美しいと思う。

オリジナルの、坂本さんが歌ってるやつは入れてない。
大貫妙子ボーカルのも、入れてない。
大貫さんの歌はちょっと苦手なんだけど
「美貌の青空」というフレーズをどう歌ってるのかなぁと
コワいもの聞きたさで聴いてはみた。
坂本さんのピアノで歌うノーブルな感じは歌詞がよく耳に届いたけど。
何回もは聞けない。

この曲には美貌の青空という題名さえあれば
歌詞はいらない。


坂本・大貫のヴァージョンを聴いてて
ピエール・バル―のBoule qui rouleを思い出した。
この曲も大好きで繰り返し聴いてた時あった。
この曲もいろんな人が歌ってるようだけどバル―のが好き。
女声がそっと滑り込んでくるんだけど
この声の主はバルーの日本人の奥さん。
日本語詞だけど違和感なく良いなと思う。

渋谷にバルーの事務所があって
そこで雑貨とカフェをやってると知って
覗いてみたいなと思ってたんだけど
バルーが亡くなってお店も閉じてしまってた。
何年前のことだろう。


あれ、花風でピエール・バルーのこと書いた気がすると思って
過去日記を掘ったらあった。

あら、この曲のピアノ&アレンジは坂本龍一なんだね。
耳の記憶にリンクするはずだね。




『Ryuichi Sakamoto | Playing the Orchestra 2014』

 



2014年。サントリーホール。
この日、坂本龍一もすこし若かったし
デビット・ボウイもまだ生きてたんだよな、と思ったり。




遅い朝に、ネット巡回してたら
上映してるのに気が付いて。
上映時間を観たら12:10からで、この時間の上映は今日だけで
ちょっと迷ったけど、まだ十分間に合うかなと
支度して出かけた。

新宿の109シネマズプレミアム。
去年の夏前かな、『Opus』の上映が始まった時は
映画に4,500円かぁと、気になりながら見送ったんだけど。
最近階下の部屋でスピーカから流して音楽聞くようになったら
どんどん大きな良い音への渇望が嵩じてきて。
オーケストラなら音響の良いとこで聴きたいよね、
ゆったりシートでくつろいで聴けるなら良いな、
坂本さんがこだわって監修したシアターだし、
などなど、4,500円が気にならなかった。

こういうのも不思議よね。
同じ条件同じ値段なのに。




このソファチェア一脚、階下に欲しいわ。
これにオットマン付けたら完璧。





そして
自宅のスピーカーでは再現できない質量で
イヤホンでは聴けない音圧で
聴けてとても良かった。

ラストエンペラーや
戦場のメリークリスマスの音を
オーケストラが響かせる瞬間は鳥肌が立つ。



それと。なんだろう。
いまはもういないひと、の
そこにいた日の記録がなぜこんなに胸に迫るのかなと思う。
坂本龍一の曲はとても好きだし
よく聴くけれど
坂本さんというひとに沸き立つ感情があるわけではない。
なのにとても慕わしい気持が湧いてくる。
美しい和音に刺激されて涙がでる。
坂本龍一の作った音楽と、それに紐づく物語に涙が応える。
これは感動というのでしょう。

たぶん物語がないと感動しない。私は、ね。
物語は、30年前には存在しなかった。
歳をとって、自分の中の物語が
今日、坂本龍一の音楽と交じり合って心が動く。
歳をとったこと、年月生きてきたこと
それを、良かったんだな、と思える。



2025年3月13日木曜日

閉館する美術館へ行く






3月末に閉館するという
川村記念美術館へ行ってきた。



もうほんとにさ、閉館する、というのが
出かけていくモチベーションになるってなんなんだろう。


「なぜひとは、閉店する団子屋に行列を作るのか?」
BKNビジネス新書、読んでみようかしら?

散り始めた桜にそわそわしてしまうのと一緒だろうか?
桜はまた来年咲くけどねぇ。

閉店を惜しむ気持ち?
惜しむ気持があるんだったらもっと早く行っとけだわよね。
ずっと、そこにあったんだから。
行っとけば無くならないですんだかもしれないのにね。

前回来たのがピカソ展の時。
えっと、20年ほど前だわ。
美術館の作りも、広々とした庭も気持よくて
また来たいなぁと思いつつ、20年ですよ。

その間、どんな展覧会やってるのか
チェックすらしてなかったかも。

どんな新商品、新企画の広告より
閉店のお知らせのほうがまっすぐ届くんだよね、不思議。

そんですっとひとを動かす。
まあそれは、デッドラインが引かれているからでもあるんだけど。
締め切りないと宿題やらないもんね。
え?宿題みたいにやりたくない行きたくないとこなわけ?
違うのにね。なんなんでしょ。
まあ、ずっとあると根拠なく思ってるからだけど。
またいつか、はないんですよね。

閉店セール詐欺が有効なわけです。









すごい、アリバイっぽい写真だわw

当たり前だけど混んでて
滞在3時間半のうちの大半を庭で過ごす。

ロスコルームだけはゆっくりしたいと思って
午後なんとなくひとなみが引いたあとに入室。
それでもぽつぽつひとの出入りがある。
ここはひとりかふたりでぼんやり赤に染まりたい場所なんだけど。
(だから、10年前に来ておけと…w)








冬枯れの庭は良かった。
曇天だけどさほど寒くもなく。





なにしに行ったんだか、って感じだけど。

途中の、千葉の景色を見ながら思ったけど。
混みあって乱れた竹林や雑木林がそこここにあって
この綺麗な広大な庭も
ひとの手が入らず放置されたらあっという間に
侵食されて荒れ果てるんだろうな。

千葉の原野に還る前の
庭が庭であるうちに歩いておきたかったんだよね。
仮に市の管理公園として残ることになったとしても
行くことはないと思うし。

うん、ほんとに自分の行動の真意がよくわからないww
暇な隠居のやることだからさ、いいの。









注:BKNビジネス新書は存在しません。
BKN=BAKANANO?の略。




2025年3月5日水曜日

ひとは、忘れる。

 






ここにアップロードはしない日々の備忘録のような日記があって。
あそこ行ったのいつだった? あれはどこで買ったんだっけ?みたいな、忘れちゃってもどうってことない、でも残しておくと記憶のタブになるようなことを書いている。

一年前の春先のことで確かめたいことがあって開いてみたんだけど、ちょっと驚いた。
去年は特に、自分のことではない、でも書き残しておいたほうが良い行動記録とか買い物とかが多かったし、それに付随して波立つ感情も大きかったのであれこれ書き殴るような言葉が残してあった。
それを読んで、うわぁ、こんなに私辛かったんだぁ、と驚いたんだよね。
読んで驚くほどに、忘れていたってことなの。
ヒトは忘れて生きていく。忘却万歳!

もちろん、今現在、ああ、嫌だった、清々したっていう気持ではいるんだけど、それはほんと「去年嫌だったこと」っていうラベル程度の感情。毎日あったはずの不安、嫌悪、疲労、腹立ち、徒労感、八方塞がり感みたいな感情、リアルに心臓や皮膚感覚に現れるような感情はもうすっかり私の中から消えていた。
だから、備忘録をチラ読みしたら思い切り蘇ってきて、ゲゲっとなって慌てて閉じた。

忘れるって、素晴らしい。
嫌悪の実体がもうここにはいないんだから当たり前なのかもしれないけれど。
いまでもまだ「あ~腹立つ~」と思い出すこともあるけれど、観念的な感覚だけで、心身で実感するほどの痛みはもうない。
回復するってこういうことか。傷はない。傷に残してたまるもんか、とも思うけど。
忘れたことは忘れていいようなことで、忘れたままにしとけば良いんだな。




それとは逆のことも思う。
自分の人生で大切だった人との間で感じた痛みは傷として残ればいいと。
うん、ちゃんと残るよな。
その時は痛みが強くて、後には悔いに苛まれたようなことでも、大事な人との間にあったことは忘れようとしても忘れないし、傷になって残る気がする。でもそれは、たぶん優しい傷。指先でそっと撫でて、そこにまだあることを確かめたくなる傷。
そんな傷で満身創痍だったら、それはそれで良い人生かもしれないね。いや、そこまで切り刻まれたくはないけれども(笑)


忘れたいことも忘れたくないことも、忘れたんなら忘れていいようなことで、ほんとに大切なことは、忘れたようでいて深い記憶の水脈の底からでもふっと浮かび上がってくるんだろうな。







「ペンギンの憂鬱」






何が起こっているのか知らないほうがいい。
自分もその謎を作りあげた張本人なのだから――。
欧米各国で絶大な賞賛と人気を得た、不条理で物語にみちた新ロシア文学。

恋人に去られ孤独なヴィクトルは売れない短篇小説家。
ソ連崩壊後、経営困難に陥った動物園から憂鬱症のペンギンを貰い受け、
ミーシャと名づけて一緒に暮らしている。
生活のために新聞の死亡記事を書く仕事を始めたヴィクトルだが、
身辺に不穏な影がちらつく。他人の死が自分自身に迫ってくる。
<新潮社HPより>






タイトルと表紙絵に惹かれて借り出す。
作者も知らなくて、読み始めてから、ここはどこだろう?あ、そういえば図書館の本棚の一番最後のほう、ロシア文学のところにあったっけね。ロシア?時代はいつ?と確認する。
そっか、無くなった国の云々とあるのはソ連の事か、主人公が住んでいるのはキエフ。最近はキーウって表記するよね、そっか、ウクライナ建国は1991年、ソ連邦崩壊の年。



「ペンギンの憂鬱」なんともそそるタイトル。
舞台がニューヨークだったら洒落たストーリーが展開しそうだけど、1996年のキエフではそうはならない。
どでかい事件が起こるわけではないけれど、主人公に訪れるちょっとした転機がゆっくりと謎めいた気配を醸してくる。じわりじわりと、そうとは意識しないくらいの、でも明らかに「恐怖」に属する感情が自覚されてくる。
素朴な優しい文体が描き出すペンギンの不思議な存在感と不穏な空気。
当時のウクライナの社会状況への風刺や批判のように深読みできないこともないし、この小説を読みながら近現代史のおさらい――いや、初めて知る事柄だけど――したけれど、純粋に読めて良かったなと思う読書でした。

新潮社のクレストブックはほんとにはずれがない。


2025年3月2日日曜日

フキノトウ、冬~春




ふきのとう。

さっと洗って細かく刻んで米油で炒めて
味噌、砂糖、味醂加えて
蕗味噌。

小さなジャムの瓶に七分目くらいだけど
結構食べではある。

蒸したサトイモ、風呂吹きダイコンのトッピング。
昨日は、厚揚げに切り目入れてチーズと詰めて焼く。
どれも美味しいけど
炊き立てご飯で蕗味噌お握りにするのが好き。
握りたて、最高。



今年はキンカンの生りがよくないので
収穫しなくても良いかな。
そしたら、冬~春の庭ご飯はこれでおしまいかな。

今日は暖かいけれど
今週はまた寒波が来るらしいから
それが過ぎたらベランダのセイヨウニンジンボクを
庭に下ろそう。
夏から秋に、階下の部屋から眺められるように。

先月、モミジの剪定をしてもらった。
昨夏まったくモミジに手をかける余裕がなくて
夏の徒長枝がほんとうに情けない姿で。
今年は忘れず梅雨頃には剪定に入ってもらおう。

ヒメコブシの花芽が膨らんでいる。
あ、昨日は買い物の途中で沈丁花が匂った。
冬にはまだ終わってほしくないんだけどな。

ヒメコブシが咲きだすと冬をあきらめる。




この家はもう手放すのだと思いながら
階下の部屋の模様替えをしたり
庭に木を植えようとしたり。
なんだか中途半端だなとは思うけど
時が来ればたぶん一気に進んでゆくだろうから
その時まではゆるゆると庭を愛でよう。











2025年2月20日木曜日

石油ストーブ




石油ストーブ。
火がある、歓び。
冬が好きな理由のひとつ。




レモンの砂糖煮。

うちのレモン、大きいばかりで
白いワタ部分が多く果肉もなかったので
食用にしようと思ったことなかったんだけど。
今年、切ってみたら果汁がたっぷりになってて。

皮をピーラーで薄くむいて
細い千切りにして果汁だけで砂糖煮にしてみた。

レモンの皮はエグ味が強くて
たっぷりの水で3回茹でこぼした。
こんなに茹でてしまってたら
香りとか飛んでしまうんじゃないかなって思ったけど
コトコト煮詰めてたら甘酸っぱい匂いが立ち上がってきた。
食べてみたら、レモンの香りが濃くて
とても美味しい。
(砂糖の量はちょっとコワいけど)

柑橘類の皮ってどこにどうやって匂いの成分を蓄えてるんだろう。
素晴らしい。

でっかいだけの役立たずレモンとか、思っててごめん。
いや、鮮やかな黄色い大きな実は
唯一の冬の彩で、充分に存在感あるし
ずっと愛してるよ、ごめん。




昨日は寒かったので参鶏湯(モドキ)
昔は水炊き用に鶏の骨付きぶつ切りを売ってたんだけど
最近はみないね。
骨付き手羽を買ってきて冷凍庫のモモ肉、ムネ肉
クコの実、松の実、レンズ豆、もち米、干し椎茸
葱ショウガ、ニンニク、一夜干しダイコンなどなど
ぶち込みまして肉がほろほろになるまでストーブに放置。
コチュジャン味噌、柚子胡椒、ポン酢の味変で。




そして焼き芋。
安納芋は甘い幸せな匂いをたててあっという間に焼きあがる。

焼き芋には軍手。



ストーブのある冬の日々が好き。





灯油18ℓ・2,680円(2025冬)
店頭価格より300円ほど高いのは
トラックで売りに来てくれてるから。

月に5,000円くらいになるのかな。
安くはないと思うけど、付加価値がいっぱいあるから良いか。
ガスストーブつけっぱなしよりは安いのかな?
エアコンだって暖房は安くないよね?
う~む。。
光熱費の損得計算がいまいちちゃんとできない。


2025年2月10日月曜日

みのむし






庭に蓑虫をみつけた。


いつのまに。
庭であまり見た記憶がないのでしげしげと眺めてしまう。
蓑の材料は、モミジの葉や細枝の枯れたもの。
これ、地面でせっせと蓑を編んで
それを背負ってここまで登ってきたのかな。
陽当たりの良い場所で中は暖かいだろうな。



蓑の大きさ5㎝はあって
ぷらんとぶら下がっているのでオオミノガかな。
オスかなメスかな?







寺田寅彦に「蓑虫と蜘蛛」という随筆があったのを思い出した。
「柿の種」だったか随筆集だったかわからなくて検索してみたら
青空文庫に見つかった。

庭の楓に鈴成りの蓑虫。鈴なり?!



自分は冬じゅうこの死んでいるか生きているかもわからない虫の
外殻の鈴成りになっているのをながめて暮らして来た。
そして自分自身の生活が
なんだかこの虫のによく似ているような気のする時もあった。



蓑虫って、眺めてると
なんだか身につまされてしまうのかもしれない。
高名な物理学者も例外でなく。
そこから、一掃して観察して生物進化に思いを馳せるのは
科学者らしいけれど。






庭に蓑虫を見た時
一番に思い出したのは三浦哲郎の短編で。
読んだのは、たぶん30年位前だけど
なんだかずっと胸に残ってて。
話は忘れてないんだけど
短編って、言葉のひとつひとつ、間合いの一拍一拍が大事だから
もう一度読み返そうかなと思った。

文庫を持っているんだけど
ここに引っ越すときに段ボールに詰めて
そのまま押し入れに収まってて探すのがちょっと難儀で。
楽天の電子書籍のクーポンがあったので
それで購入して読んだ。

三浦哲郎は、死や滅びに向かうひとの
気配が色濃い小説を書く人で。
「みのむし」もそうで。

三浦哲郎の作品に惹かれる気持や
「みのむし」の感想はちょっと言葉にならないんだけど
でも「白夜を旅する人々」を読み返したいと思った。
ずいぶん前に再読してるんだけど、もう一度。

去年までだったら三浦哲郎を読み返そうと思わなかっただろう。
小説も、随筆も。
「みのむし」を読む気になれたこと、よかった。


2025年2月7日金曜日

キレイゴトと他人事





喫茶「ぽえむ」


ぽえむといえば阿佐ヶ谷、中央線と思うけど
こんな私鉄沿線にもお店あったんだね。

スターバックスで寛げない私には
このオールドファッションな“喫茶店”は良い。







こういう懐かしいものをみつけて
カナシミが湧いてくるのはなぜなんだろう。

歳を取ったから?だよね。

歳取ったことを哀しいとは思ってないけれど
でも、これは歳を経たいまだから感じるんだろうし。
胸の中にそっと吹くちいさな風のような感覚が不思議。







岸政彦が聞き書きを続けている生活史について「生活史とは、個人の生い立ちと人生の語りである」とある雑誌に書いていて。
それを読んで去年、なんだか辛くて中断した「大阪」を思い出した。
去年は、「個人の生い立ちと人生の語り」の、その先の終焉を常に見させられている感じで、好きな作家の文章であってもなんかもう今は“お腹いっぱい”なんなら吐きそうという精神状態だったんだよね。

去年はキレイごとではない「老い」がすぐそばにあって、日々、老いと関わる些事にうんざりしながら、反対に頭の中では「老いるということ」をずうっとずっと冷ややかに見て考え続けてた。いずれはこうなるのか、という人生への諦めみたいな感想抱きながら紙パンツをゴミに出した日々。

生活史かぁ。
生活史と思い出話は違うとわかってるけど、言葉で語れるうちが花だし、生活史は他人の観賞に耐える物語だね。

ぱんぱんになるLサイズのオムツ専用ゴミ袋、どうすんのこれ?こんなもん語る言葉浮かんでこないわよ。老いのリアル。語れなくなった先に来るもの。


ツギ ワ ワタシ ダ。


ひと息ついてから。「大阪」も読み通すことができるようになったし、「人生の語り」のその先も意識の上では他人事に戻りつつある。身体は確実に、そこに向かって歩をすすめているけれど、見ないふりする。執行猶予。

取り留めないんだけど。
他人事にしないと関われないことってあるよ、あるんだよ、そうでしょ?ってなにかモヤっとする。なにが「生活史」だぁー?!みたいな(笑)
いや、岸さんの書くもの好きだし、なんなら社会学って私の専攻だったし、興味あるんだけど、そう、興味ある範囲で(他人事で)いたいって話。



ん~なに言ってんだろ、わたし。
ただの書き散らしです。



2025年1月30日木曜日

夜空の青

 




ステンドグラスを買った。


最初は「黄色い実」という
レモンをモチーフにしたステンドグラスを見かけて
衝動買いしそうになったんだけど
(檸檬トラップw)
結構いい値段してたので一拍置いて。


それに考えたら
光射す窓って、二階の私の部屋しかないんだよね。
一階に置いたらただの色ガラス。

それでも
どーしてもなにか欲しくって。
お値段十分の一のこれを買ってみた。


上の真ん中の硝子
夜に向かう空のような青が気に入ってる。






I SAW THE LIGHT.


2025年1月26日日曜日

本は読んでいた。

 



本は読んでいたんです。
本を読んでいる時だけが良い意味で現実逃避の時間だったから。

10月の中頃は、手詰まり感が極まって
なのに自分のこと以外でやらなきゃいけないことが押し寄せて
家族がいるということ
なんなら父のことまで呪いたいような気持になったりしてた。
頭の中に煤がこびり付いたような気分で
図書館に駆け込んで在庫してた池澤夏樹をまとめて借り出した。

美しい言葉、透明な思惟だけを頭に入れたかった。

「きみが住む星」
「虹の彼方に」
「星に降る雪」
「異国の客」

題名だけで気持が鎮まる気がした。
助けられた。




「うつくしい列島」
これは諸々片がついてから引き続き読んでいた本。
自分の住む「日本列島」という土地について
ほんとうに何も知らないと思い知らされる静かな感動。
なかの一章「立山砂防 百年の計」は
なんかちょっとびっくりした。
砂防の意味も初めてちゃんと分かったし
立山連峰と格闘する日本人に動揺する。
いや闘いにはならなくて、圧倒的な山塊に
ただただ鎮まりたまえと祈るような事業を続けている。
終わりはない、完了することのない事業。
日本ってこういう国土なのだなと
知らなかったし自分の想像の域を超えてることに
愕然としてしまう。






「ヨン博士の航星日記」
中学か高校の頃に読んだSF。
10代の頃からシリアスな作風が好きだったので
こういう奇想天外なSFには手を出さなかったんだけど
なぜか気まぐれにこれを読んだらすごく面白くて。
ずっと記憶に残ってたんだけどタイトルも作者も忘れて探せなかった。
ネット時代の有難さで見つけ出せて
10代で読んだ版を借りて読んでみた。
「ソラリス」の作者、巨匠スタニスワフ・レムの作品でした。

早川から改訂版が出ていたんだけど
訳者も違うし昔ので読みたくて都立図書館から取り寄せてもらった。
本自体が“貴重な資料”ということで自宅へは持ち帰れなかったので
地元の図書館へ通って読んだ。
ちょっと面倒くさかったけど、おかげでちゃんと読めたかも。
こういう時間も家から逃げ出すための現実逃避。

まあまあ、まあ、面白かったかな?
10代で読んでおいて正解(笑)

このへんからSFを続けて読む。
「マーダーボット・ダイアリー」の2作目、3作目。
拗らせボットのモノローグですすむ話は
なんか安心して読めるのが良い。
えっと、ストーリーは既に忘れつつあるけど(笑)
4作目の新刊「システム・クラッシュ」が出たので予約入れた。
現実逃避したい気分が訪れた時用に取って置いてもいいかも(笑)






何年か前に話題になってた
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」
写真は続巻のほうだけど、これとても良かった。

緊縮財政下のイギリスのブルーカラーの家庭で育つ
ジャパニーズ(イエロー)とアイリッシュ(ホワイト)の両親を持つ少年の
ときどきブルーだったりする日々。
ブレイディみかこのタフで繊細でロックな語り口が良い。
ほぼ日本の状況とリンクするんだけど
日本人にはパンクな精神やロケンローな矜持が欠けてるんだなと思ったりした。
ブレイディみかこ、続けて読んでいる。













etc.



2025年1月19日日曜日

Mさんへの手紙

 

M 様


ご無沙汰しております。
お手紙ありがとうございます。

Hさんの施設入所の件、お知らせが遅くなってすみません。
いつお知らせしようか考えていたのですが、Hさん本人が直前まで友人も含め誰にも伝えていないようでしたので、入所して落ち着いてからお知らせしようと思っていました。
正直、私は入所準備に追われて余裕がありませんでした。

Hさんは、11月〇日に〇〇県〇〇市にある「〇〇〇〇」という老人施設に入所いたしました。


今年2月に左膝を悪くしてほぼ歩けなくなり、家の中で杖や手すりを使ってトイレに行くのがやっと、という状態でした。トイレに間に合わないこともあり紙パンツを使うようにしていましたが、8月ごろにはベッドから立ち上がるのもままならないくらいになりました。
トイレを汚すことも多くなっていました。
車イスがなくては家から出られない状態で、古い日本家屋の家から車イスの置いてある車庫まで出るのにも一苦労でした。

もちろん自分で車イスを動かすことなどできるひとではありませんし、リハビリや治療をして少しでも動けるようにしようとも考えもしないひとです。
一日座ったままご飯を食べてテレビを見て、トイレに行く。
それだけで半年過ごしました。

毎日お風呂に入らないと嫌だと言っていたひとが、億劫がって一週間も10日も入らないで過ごすようになりました。デイの入浴サービスも行きたくないというので入浴用車椅子を買ってみましたが入浴介助がこんなに大変なものとは思いませんでした。
トイレとお風呂、身体を清潔に保つことができなくなると、あっというまに暮らしが荒むんだとびっくりしました。

この先、良くなるとは到底思えず、以前よりの本人の希望もあり施設探しを始めました。私も、これ以上の同居は無理と思いました。

ケアマネと老人施設紹介所の方とでHさんの意向を確認してもらい私が5か所ほど見学に行きました。

Hさんが、Tさんの住む〇〇に近いところが良いというので、〇〇で2件ほど見学に行きましたが、彼女のリウマチを看られる施設ではなく断られました。

実際、Tさんの家の近くで見つかるわけもないですし、Tさんもご高齢で面会などそうそう来られるとは思えないのですが、従妹が近くにいるという安心感が欲しかったのかもしれません。
ご姉妹の住む〇〇や〇〇と言い出さなくて助かりました。

結局、金額面や介護の状態などの条件から、いまの〇〇の施設に決まりました。
「そんな遠いところ」とHさんは言いましたが、〇〇は電車乗り継いで2時間半くらいここからTさんの住む町までと同じくらいです。

年寄りひとりが施設に入所するのに、こんなにいろいろ手続きやらなんやらやることがあるのかと、驚き疲れましたが、どうにか入所に漕ぎつけました。

Hさんの施設入所にあたっては、私が「保証人」となっています。
なにかあれば私に連絡が来ますので、残念ながらこの後もご縁は切れません。
それでも、同居を解消できて正直ほっとしています。


Hさんが入所する施設はこちらになります。

〒000-0000
*******************

上記住所にH宛で荷物などは届きますが、ただ果物などふくめ生モノを個室内に置くことはできないとのことです。
遠く〇〇からお訪ねになることもないとは思いますが、面会される場合は保証人の私から前もってお名前などを施設に伝えて許可をもらってからとなります。施設内での面会時間も30分程度です。いまもまだコロナはじめ感染症が怖いので、面会や荷物送付はかなり制限されています。
施設に送った日も、熱を出した入所者がいて私は個室へは入れませんでした。

携帯電話は持って行ってはいますが、かなり耳が遠くなっており着信に気が付かないことが多いです。
また、自室以外では携帯の使用はできないので、デイサービスや食事で部屋を出ていると出られないかと思います。
着信画面の確認なども、気が回らないようです。

何十年もこの家から出たことがないのですから、Hさんにも不安不満はいろいろあるだろうとは思います。思いますが、もうこの家で暮らすことは彼女にも私にも無理なので、納得して過ごしてもらうしかありません。
「施設に行きたい」は何年も前から彼女が言っていたことです。
CMで見るような素敵な高級老人ホームではありませんが、部屋は十分な広さがありトイレとミニキッチン、収納もあり、なによりバリアフリーで介護スタッフが手を貸してくれるので安心して暮らせる環境です。


Mさんには、Hさんとの間に入って、私にもいろいろお気遣いいただきました。
愚痴やら憤りやら、あれこれ聞いていただきありがとうございました。
妹さんの立場からは、ご心配もあるかと思いますが、施設費用の管理などは保証人としてきちんと行いますのでご安心ください。


2024年11月〇日


追伸:
Hさんの娘さんふたりに、入所の件と住所をお知らせだけはしておきたいのですが連絡先をご存じでしょうか?
Hさんにたずねても、どこかにメモしてるはずだけど、というばかりで見つからないのでご存じでしたらお教えてくださると助かります。

2025年1月17日金曜日

回復するこころと辛辣な感情




いつかの散りモミジ。


 

年明けてモミジもすっかり葉を落として、いまは庭にふかふかの落ち葉の小道ができている。もう二、三日踏んで楽しんでから掃こう。

落葉樹の枝だけになった冬姿も好きだ。
せいせい、すがすが、すっきりとして。



かの人を施設に送ったあとも、12月は、ともかく気配を消し去りたくて後始末を急いだので落ち着かなかったけれど。
いまは、すっきりしてきた。すっきりと、平穏。

6月に心療内科に行った時には、心身の不調の原因はわかっていて、どうすれば良いかもわかっていて。そして、そうするしかないことをして、こうして、回復している。



 *


かの人について。

昨年の後半は、もう生理的に無理っていうくらいの嫌悪感で苦しかったけれど、元々は普通の庶民のおばちゃんだ。忌み嫌われるような鬼畜なひとではないんだよ。
無知で愚かだとは思うけれど。だから誰かに依存しないと生きてゆけない人で、父も、信頼してた友人たちも亡くなって寂しさと不安が老いを加速させたとは思う。
同じ屋根の下で小さく歪んでいた気持をリセットしたから思えることでもあるけど。

家人のほうが私よりも辛辣で、だから同居してた15年、家人と私とでかの人を話題にできなかった。
私は、母と呼んできた時間が長いし、父には良くしてくれてたところも見ているし、みんな元気で家族として上手くまわっていた時間も過ごしてるから、だから家人に容赦なく断罪されてしまうと、父のことも責められてるような気がしてしまって、いやいやそこまでは、、とブレーキかけたい感じになってたように思う。
いまは物理的距離も心理的距離も遠くなったので、心底どうでもいいひとになってしまった。


結局、曲がりなりにも家族として過ごせてた時が終わったのは、やっぱり5年前の件で。
もともとかの人に愛などなかったけれど、それでもなんの縁なのかここに暮らす3人で家族していこうと思ってた。でも、そういう気持もなくなる出来事だった。そっからの5年は結構苦しかったけど、それも98%片付いた。
2%は、保証人になっていることで。40年を過ごしてしまった縁が、流れてきた蜘蛛の糸くらいに残ってしまっているけれど仕方ない。愛は微塵もないけど、薄い縁が育てたなけなしの情かな。こういうのを柵(しがらみ)というんだろうな。

あ、書いてて段々嫌になってきたわ。

つくづくね、無知で愚かで寂しいひとが嫌いです。
私も相当辛辣ですかね。いいんだ。ここでだけだから。



2025年1月3日金曜日

レモン鏡餅




鏡餅は大きなレモン。






床花はシダ、カニクサ、千両。
今年は南天が実らなかったから
赤味がすこし足りない。




掛け軸はインド綿の布。

2025年のお正月の設え。




壁の古び具合がなかなかで。
畳や襖は簡単に替えられるけれど
壁は簡単には手を出せない。
土壁なので拭き掃除もできないし
ハタキをかけて
マキタのハンディ掃除機でホコリとって。



手持ちの布と庭の草木を飾って遊ぶ。

そんな正月。