一時的なサーバーの不具合といっても
サーバーメンテナンスが終了して、もう3年経つので
このまま
Not Found になってしまうのかなと、思ったけど
ちゃんと表示されてて、良かった。
DiaryNote。
あそこは、私の記憶の外付けメモリーみたいなもんだから。
*
上巻650ページ終わって
話がほとんど進んでないのだが…。
毎度まいど迷路のような病院の中を歩き回って
誰かを探し回ったり逃げ回ったりしているのは
なにかの暗喩なのかとも思わなくはないけど。
650ページ全部、伏線なの?
*
認知症の進行具合をトレースした音楽作品。
6枚組、6時間超。
とても気になるし
聴いてみたい気もするのだけれど怖いよね。
聴きながら
共鳴して認知を持っていかれてしまったらどうしよう
なんて考えてしまう。
たぶん、近々、聴くと思う。
*
この音楽のことを教えてもらったあと
思い出したブログがあって、久しぶりに訪ねてみた。
若年性アルツハイマーになった奥様を介護している方のブログ。
数年ぶりに訪ねたら、昨年、奥様が亡くなられていた。
発症から20年。
まだご自宅にいて、奥様の人生のいろいろが失われつつある頃の記事を
ご本人はどれほどの恐怖だろうか、と慄きながら読ませてもらっていた。
右手に持つモノがコップだということも
それが水を飲むモノだということも
水を飲むというコトさえも
思い出すことができなくなってゆく。
家を出て街をさまよい歩き
部屋で叫び、窓を破り、暴れて泣く。
怖かったんだろうな、逃げたかったんだろうなと思う。
消えてゆく自分自身が、まだ見えて、わかる状態にあるひとの
恐怖は想像を絶する。
The Caretakerはそれを
どんな“美しい”音楽にしえたんだろうか。
*
"Everywhere At The End Of Time" がたどり着く空白は
『航路』が描いたあの極致にも似ている。<引用元不明>
「Everywhere At The End Of Time」のレビューの中で
触れられていた小説「航路」を読んでいる。
ものすごい遠巻きなアプローチだな。
*
Lifeって、記憶のことだよ。
出来事やそれにまつわる感情といった“思い出”だけではなく
立ち上がること、歩くこと、飲み込むこと
排泄すること
生物に備わったそれらの生理的な動作でさえも
“記憶”が支えている。
Lifeが消えてゆく日々の
呼吸することさえ忘れてしまうまで続く“人生”
波打ち際に築き上げた城を侵食する波にあらがうように生きても
勝ち目はまったくないのに。
言葉に残してきたような“記憶”だけで
生物としての わたくし は生きているわけではない。
Lifeのすべてをバックアップできる日もくるんだろうか?
できたとして、それは誰の、どういう人生だってことなんだろう。
人生のページを開こうとして
Not Found と表示される日もあるのかな。
自分の記憶がNot Found と認識してしまうって
矛盾してる?成立不能か。
なんかサイバーパンクSFの世界みたいだ。
とりあえず「航路」の続きを読もう。