2025年5月30日金曜日

ナンテンの葉の数

 




ナンテンの枝を眺めていて
わけもなく
葉の数を数えていたら

主枝から対生する小枝の葉の数が
素数だった。


3と5と11。
7はないけど、1はある。


世紀の大発見かと庭に出てほかの枝を数えてみたけど
結論は、「たまたま」ですかね?w

小枝の先が3で
その下につく対生葉が1と1
または3と3とか
そういうつき方の組み合わせで素数になりやすい、とか?

だけど
この枝の上から二番目の右側の葉が
ちゃんと3枚出てたら
この枝全体で47になるから
それも素数なのに、、、惜しい!!

つぎに枝切したら数えてみるかな。

……って、んなことにハマるなよw

年寄りは暇なのよ。
くっだらないわぁ、、、でも退屈はしないww


そういえば
このあいだ河原でクローバーの野原を
四つ葉探して歩いてるおばあちゃんがいたっけ。

なんか、似てるね。

ナンテンの小枝の葉が素数だって確認する遊びを
流行らせようか?(無理w




2025年5月27日火曜日

歩く、を始めました。

 


この道を。




一階の部屋を読書部屋として模様替えしたら
居心地が良すぎておやつも食べ放題で
ボクサーなら階級上げようかって感じになっており。
階段の上り下りがキツイなぁ歳かなぁと思ったけど
たぶんペットボトル2,3本背負って歩いてるからだと気づき。

人間、歩けなくなったらどうなるかは
去年のHを見ててゾッとしたくらいなので
「歩くの嫌い」とか言ってる場合ではないな、と。

危機感覚えて、歩く、を始めたという次第。

まぁ、普通は“ウォーキング”と言うのだろうけど
なんというか引き籠りが過ぎて
歩き方を忘れてしまったか、というほどの
足萎えぶりで。
いきなり張り切るとヤバそうなので
歩き方を思い出そうというレベルから。


川縁の道なんだけど、車は入れないので
まあ安心して歩ける道です。
なので爆音でチバを聴きながら
歩くことに集中している。

60分弱のプレイリストが今のところちょうどいい。
5曲くらい聴いたら折り返す。
ここ数日は気温も高くなく曇りがちなので
気持よく歩いた。






秘密の庭につづく扉、かも。





クサフジ





コメツブツメクサ


定点観測樹のカラタネオガタマは
今年はもう散ってしまって見れなかったけれど
河原はまだまだ花盛りで
足元を見てそぞろ歩くの楽しい。

でもなぁ、緑がキレイで
広い空があって、大きな水の流れがあって
気温21度、湿度58%薄曇り。
鳥は鳴き、チバが歌う…
気持ち良すぎておやつが欲しくなる、、けど我慢。



木陰のベンチで休んでたら
誰かの鼻歌が聞こえてきて、良く通る声だなぁって見たら
20mくらい離れたベンチでサックス吹いてる男性がいた。
サックスの音色って声帯に近いって聞いたけどほんとね。
誰かのスキャットだと思ったよ。
良い声の人だな、って。



引き籠るのも良いけど
もうしばらくは川縁をせっせと歩こう。
太陽が本気出す前に。






2025年5月25日日曜日

スイカズラ

 



去年の今頃、川縁で摘んできたスイカズラ。
挿枝しておいたら根を張って蔓をぐんぐんと伸ばして花が咲いた。








去年の8月、挿枝が根付いたころ。


花が咲くとしても再来年かなぁと思ってたんだけど
100均で売ってる蔓植物用の支柱を
あっという間に這い登って。


花数は少ないし
ハニーサックルの香りに包まれるほどにはならないけれど
とても良い匂い。

初夏に香り立つ花は多いけれど
スイカズラほど美しい匂いはないような気がする。
甘さは少なめで、フリージアのようなひんやりとした
清潔な香りに気品がある。





シェイクスピアの「真夏の夜の夢」にでてくる。
妖精の女王タイタニアのセリフ。

「おやみなさい、わたしの腕でだきしめてあげるから。
ヒルガオが甘いニオイニンドウにやさしくからみつくように」

ヒルガオとスイカズラが絡み合うのは
ずいぶんと野放図な絵柄では?



気品はあるが、忍冬のエネルギーは獰猛だな。
そういえば蔓植物を挿枝して失敗したことがないな。


スイカズラ、忍冬
ツキヌキニンドウ、ハニーサックル。

どの呼び名も好きで
こんな短い文章の中でもひとつ選べない。

なんだろ、物語が浮かんでくるんだよね。






ウイリアム・モリスのデザインも
このハニーサックルが好き。




2025年5月19日月曜日

消息

 




あの人は、どうしてるかな
そう思うとき
その人は、遠い。
遠くて、静かで、静かで。
どこか幻のよう。


消息っていう漢字のイメージかな。

「消」は死ぬこと、「息」は生きること。


しょう そく【消息】
どのように・(何をして)暮らしているか。
新明解国語辞典・第三版





ひと月ほど前に
古くからの友人二人と会った時に
共通の知人が亡くなっていたことを知り
後頭部、ぼんのくぼあたりに
その消息がじんわりと残って消えない。

教えてくれた友人二人も
直接の付き合いは途切れていて
亡くなったことは人伝に聞いたのだという。

友人二人と私と、その亡くなった彼女と
そのほかに5人、6人の顔ぶれで
笑いあって過ごした日を思ったけれど
その日々からもう20数年経っていて。


その“消息”としか言えない距離感に
流れた年月の量が実感できなくて
気持がうろうろする。


じつはもうひとり
訃報を目にした方がいて。

ちゃんとした学会誌の記事で
そこで同姓同名などたぶんないだろうと思うので
ちょっと息が浅くなる感じなのだけど
確と知るすべもなく
いや、なくもないのだけど
その目にした記事がもう2年ほど前のものなのもあり
それを私がしてどうするというのかと思えて
ただ霞のような消息に
薄い溜息が出る。


もっと近しい関係性の中で
生きるの死ぬのを知らされるのもしんどいけれど
この漠々とした距離で届く消息の
とらえどころない薄い寂しさも
なんだか手に余る。

押し入れの奥から出てきた
色褪せた写真を手に取ってしまい
さて、どの引き出しにしまったらいいのか
思いつかなくて困ってる時みたいな。

でも、たぶん、この先
こういう気分になる消息が増えていくんだろうな。
もう輝きも消えたAfterglowのなかを
闇に向かって歩いてゆくような時間。



そして逆もあるんだなと思う。
誰か遠いところにいる知人のところに
消息として私のことが届くことも。
いや、私は、誰のところにも届かないかもしれないけど。
それはそれで、むしろ、それでいいけど。





2025年5月10日土曜日

庭のいきもの

 


ちいさなカタツムリ。

カタツムリはあまりみかけないので
ようこそ、なんだけど
どうやって、ここにいるんだろう。

こういう地を這ういきものが
地上160㎝のオミジャの葉にたどり着くまでの
旅の長さを思う。






もうすぐ成虫かな、という
テントウムシ。

今年はテントウムシの幼虫を
いっぱい見る。
枝を切ってたら袖にくっついていたので
アブラムシがついてるモミジの葉のそばに放したら
さっそく食べに行ってくれた。Good!

テントウムシは大歓迎です。







常連のナミアゲハ。




もうすぐ蛹化の旅に出るくらいかな。
この間まで、たぶん越冬組だろうなと思う
ちいさなナミアゲハが飛んでいたので
このこたちはその次の世代かな。
大きくなるね。
実生の山椒の木はナミアゲハに開放しています。






カナヘビ。
カナヘビとニホントカゲの違いが
よくわからない。
けど、これはカナヘビらしい。