喫茶「ぽえむ」
ぽえむといえば阿佐ヶ谷、中央線と思うけど
こんな私鉄沿線にもお店あったんだね。
スターバックスで寛げない私には
このオールドファッションな“喫茶店”は良い。
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こういう懐かしいものをみつけて
カナシミが湧いてくるのはなぜなんだろう。
歳を取ったから?だよね。
歳取ったことを哀しいとは思ってないけれど
でも、これは歳を経たいまだから感じるんだろうし。
胸の中にそっと吹くちいさな風のような感覚が不思議。
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岸政彦が聞き書きを続けている生活史について「生活史とは、個人の生い立ちと人生の語りである」とある雑誌に書いていて。
それを読んで去年、なんだか辛くて中断した「大阪」を思い出した。
去年は、「個人の生い立ちと人生の語り」の、その先の終焉を常に見させられている感じで、好きな作家の文章であってもなんかもう今は“お腹いっぱい”なんなら吐きそうという精神状態だったんだよね。
去年はキレイごとではない「老い」がすぐそばにあって、日々、老いと関わる些事にうんざりしながら、反対に頭の中では「老いるということ」をずうっとずっと冷ややかに見て考え続けてた。いずれはこうなるのか、という人生への諦めみたいな感想抱きながら紙パンツをゴミに出した日々。
生活史かぁ。
生活史と思い出話は違うとわかってるけど、言葉で語れるうちが花だし、生活史は他人の観賞に耐える物語だね。
ぱんぱんになるLサイズのオムツ専用ゴミ袋、どうすんのこれ?こんなもん語る言葉浮かんでこないわよ。老いのリアル。語れなくなった先に来るもの。
ツギ ワ ワタシ ダ。
ひと息ついてから。「大阪」も読み通すことができるようになったし、「人生の語り」のその先も意識の上では他人事に戻りつつある。身体は確実に、そこに向かって歩をすすめているけれど、見ないふりする。執行猶予。
取り留めないんだけど。
他人事にしないと関われないことってあるよ、あるんだよ、そうでしょ?ってなにかモヤっとする。なにが「生活史」だぁー?!みたいな(笑)
いや、岸さんの書くもの好きだし、なんなら社会学って私の専攻だったし、興味あるんだけど、そう、興味ある範囲で(他人事で)いたいって話。
ん~なに言ってんだろ、わたし。
ただの書き散らしです。
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