2024年5月19日日曜日

「蝶のゆくえ」自作解説

 


スイバ・スカンポ・ギシギシ





図書館の文庫の棚に、橋本治の「蝶のゆくえ」を見かけた。

あ、そうだ。文庫版の自作解説を読もうと思って読んでなかった。
と思い出す。
棚から抜いて図書館のソファで解説ページを開く。
いや、橋本治の面目躍如よねぇ。ほんとに、ふるってる。




『蝶のゆくえ』の構造自体が、「Aによって観られるBと、Bを見ることによって現れるAの姿」合わせ鏡構造になっている…(中略)…そのように『蝶のゆくえ』の諸篇は、主人公を通して別の主人公へ至るという構造になっている。つまり、「普段はあまり意識されてはいない関係が浮かび上がる物語」でもある。 


合わせ鏡。
そうだった、主人公Aの、Bへ向かう感情が、時空に呑み込まれるように歪んで、当の主人公の背中から刺さってくるような痛みのある話ばかりだったな、だったはずと思い、記憶をなぞるようになんとなく本編を読み始める。
はぁあああ。エグイ。ぱら読みだけで辛いわ。

前に読んだ時よりキツク感じるかも、と思い。
読んだのいつだっけ? DNの花風をたどる。

えええ?2019年5月18日??
そんな前だっけ?
コメントもらって、これは自作解説も読まなくちゃ、、、とか言ってから。あっというまに5年経ってるって。怖い。ビックリ。

橋本治が亡くなった時に、けっこうショックで「残りの人生は短い、うかうかしてられない」と思い、ちょっと焦ろうかなとか言ってたのに。これだよ。

いろんなことが怖すぎる。
変な汗出てきたわ。







2024年5月18日土曜日

芽は出る、卵は孵る。

 




ヒマラヤスギの子。


ここ数日どこからか雛鳥の鳴く声が
ずっと聞こえていた。

ジャッジャッジャッジャッジャッジャ…
ジャッジャッジャッジャッジャ…
        ジャッジャッジャッジャッジャッジャ…
ジャッジャッジャッジャ…

なかなか賑やか。
これが5分おきくらいに続いてた。

移動する様子はなかったので
たぶん近くに巣があって
親鳥の帰還にメシくれくれと
叫んでるんだな、どこだろう?

鳴き声が止んだら親鳥が飛んででるかな
と眺めていたら
斜め裏のお宅の雨戸締め切りの
2階の戸袋からムクドリが出てきた。

鳴き声が大きく力強いので
そろそろ巣立ち間近なのかもしれない。


ちょっと離れて見てる分には面白いけど
鳥の巣、ダニや虫の揺りかごにもなるから
ウチも気を付けないとな。
それでなくても野生の王国なんだから。

2024年5月17日金曜日

「森林通信 鴎外とベルリンに行く」






 伊藤比呂美が大学の招聘プログラムでベルリンへ滞在した3ヵ月の話。

森林通信の“森林”は森林太郎からなのだろうけど、話の大半は、自宅のある熊本の森を歩き回る時のようにベルリンの森に潜り込んであれこれ嗅ぎまわって見て知ったことのあれこれ。この人は、あいかわらずケモノ的な逞しさにあふれているな。
クリやトチの花が、春のケモノのように生々しく匂うような、伊藤比呂美の言葉。
産む性を持つひとで、産み育てて生きてきたひとで、さらに詩作し創作して生きてきたひとの、生臭さ(褒めてます)を遠くから嗅ぐ。

 *
ペーター・ヴォールレーベン(樹木たちの知られざる生活)への言及あり。



2024年5月16日木曜日

Víkingur Ólafsson ヴィキングル・オラフソン

 



2日後にチバの訃報が降りてきて
ちょっとどっかに飛んじゃってたんだけど。

12月3日に、すみだトリフォニーホールで聴いた
ヴィキングル・オラフソンのゴルトベルクが
とてもとても良かったのだった。




この日は
ピアノのゴルトベルクと
サキソフォン&コントラバスのゴルトベルクの
2ヴァージョンをフル演奏という贅沢な公演で
休憩挟んで3時間超えだったけれど
飽きることなく聴いた。

サキソフォンのほうは
9人編成の、出だしの音を合わせるのに
間合いが開いてしまって
ちょっとつまづくような感覚があったんだけど
こういうゴルトベルクもあるんだなと面白く聴いた。

オラフソンのピアノは
ヴァリエーションの間の無音の2秒半までも
ゴルトベルクの音にしているのが
ほんとうに素晴らしくて
フル演奏もあっという間だったな。

ピアノ、とてもピュアな音に聴こえた。



いまちょっとチバ界隈のロックな音を
敢えて聴く気にならないので
対極にある感じのヴィキングル・オラフソンを聴いている。

図書館がなかなか優秀でV・オラフソンの3作品を所蔵していた。

「バッハ・カレイドスコープ」
「バッハ・ワークス&リワークス」
「ドビュッシー/ラモー」




クラシックはまったくなんにも知らないので
リストを眺めながら聴いてたんだけど
「ドビュッシー/ラモー」は
ふたりの作品がランダムに演奏されてて
なんだろうと思ったんだけど。
作曲家の作品をまるまる通しで演奏するんじゃなくて
いろんな作品の中から“選曲”したオラフソンMIXになってるのが
面白く気持よく聴けた。
バッハも、膨大な作品の中からの選曲。
タイトル通りカレイドスコープ。

そしてドビュッシーが好きだなぁと思った。

そうね、美しいんだけど
うーん、いまは、バッハじゃない。
どんなに密やかなヴァリエーションでも
当然ながら宮廷音楽風で
いまはそういうエレガントは欲してないなと。

盛り上げたカツラむしり取って
コルセットもバニエも脱ぎ捨てた音が聴きたい。
今は、バロック、無理。


ゴルトベルクは、ちょっと異質なんだろうか。
ピアノは良い。
チェンバロは耳障りで苦手。
チェンバロの音、不眠症の頭の中をぐちゃぐちゃにしないか?







(Flow)

YouTubeでみつけたこれも良い。
ピアノの音も、映像も。






2024年5月13日月曜日

すべて太陽フレアのせい。





5月11日

最高気温26度、湿度40%、風3~5
清明な5月のいちにち

樹々も草も、キラキラと輝く緑色
緑の風、緑の光
木漏れ陽
ずっと覚えておこうと思うような
美しい日だった






5月12日

スイカズラ
ハニーサックル
忍冬

川縁の、この場所も覚えておこう
美しき五月の匂い



5月13日

しかし、お天気ジェットコースター
昨夜半からの雨
明け方頭が痛くて目覚める
午前10時 気温22度、湿度85%
怠い、頭重い、眠い

いっそ完全雨装備で
雑木林を歩きに行こうか、どうしよう
眠い。






 


2024年5月11日土曜日

あの日のミニバラ





ミニバラがたくさん花をつけた。

昨秋、虫にやられたのか葉が縮れてしまったので
思い切って枝をすべて切り戻した。
切りすぎたかな、枯れちゃうかなって
思うくらいまで。

春が来たら、とても健康そうな葉を出して
次々につぼみが上がってきた。



スーパーマーケットの鉢植えコーナーの
300円くらいのミニバラなので
花が開ききるとあんまり美しくはない。

遠目で見ると
丸めて捨てられたティッシュペーパーみたい。





開きかけはちゃんとバラっぽくて
キレイなんだけどね。
後半、気が緩みすぎ。




あんまり世話もしてあげてないんだけど
なんだかんだ毎年咲いてくれてるこのミニバラは
青い目の猫のバラ。

何年になるかなぁと思って
DiaryNoteの花風を見る。

2018年10月13日の
イ・ランと旅人のライヴの帰りに買ってた。
…という日付を見ていきなり落ち込む。

このミニバラを買った時は
まだチバを知らなかったんだ、と。

まったく、どういう思惟の流れなんだよ
と思うけど
チバユウスケ以前か以後か
ここ何年かの思い出を自分に語るときの
読点のような存在なんだよね、チバは。

チバを知るのはもう半月ほど後。
2018年10月30日。

そこから5年半経って
ミニバラが爆発するみたいに咲きだした春に

なのに、チバがいない

と思ってしまう。


馬鹿みたいでしょ。
なんでもかんでも、チバ。
青い目の猫も
ミニバラも
イ・ランも旅人も
何の関係もないじゃん。

そうなんだけど、さ。