2024年2月24日土曜日

両手がふさがっている









このあいだ、家人が一週間ほど留守にすることがあって。
階下のひととふたりだったんだけど、なぜだか普段よりも心平らかに過ごせて。


なんでかなぁと考えて気がついた。


私の右手は家人と繋がっていて、左手は階下のひとと繋いでいる。

つまり
両手がふさがっているんだ!と。

だからこの家でイライラするんだって。
両手ふさがってたら
なんにもできないじゃないか!


もともと
パーソナルテリトリーが広大なタイプなんだから
手を繋ぐなんて
どー考えたって安らぐわけない。




家出はやめられない。




2024年2月23日金曜日

東京

 






東京に生まれ育つって
それだけでアドバンテージもらってるんだよ
君は気づいてないと思うけど




結婚した頃かな
道東の海沿いの街に育った家人に
優しい口調で言われた。

それはどういうことなのか
ずっと考え続けてる。
気づいていないと言われて
そんなことないって
返せなかったから。

そっか…
としか言えなかったからね。






2024年2月18日日曜日

青い森に降る雪は

 






青森県立美術館には行ってみたいなぁと思ってた。
奈良美智の「あおもり犬」を見たいと。
真冬に雪帽子を被ったあおもり犬をぼぉっと眺めてたいと思ったのだけど、その雪ゆえになかなか遠いなぁとも。

その青森で奈良さんの個展が開かれているのを高橋茅香子さんのコラムで知って、なぜか衝動的に強く行きたいと思ってしまったのだよね。コロナ禍以来、飛行機・新幹線のリスクが怖くて遠出する気にはなれなかったんだけど。
でも、行きたい!と強く思う気持がひさしぶりで、それが嬉しくてその衝動に従った。




青森は雪に埋もれてはいなかった。
あおもり犬も雪帽子被ってなかった。





美術館の白い建物が降りしきる雪に溶けて、あおもり犬も森の子も半分雪に埋もれて眠ってるんだろうな、いやそれこそが観たいのよと意気込み先行し過ぎました。

雪降ってなかったので市内は歩きやすくて助かったけれども、北国って雪があるから美しく見えるんだなぁと、東京からの観光旅行者の私は無責任にがっかりしたりするわけでした。
そして、そんな私は青い森の雪に、翌日仕返しされることになりました。

予約していた羽田行きの飛行機、欠航になった。

夕方降り出した雪が勢いを増して、まず羽田からの到着便が上空待機になり、その便の折り返しに乗るはずの私は空港でなすすべなくアナウンスを待つしかなく。
昨日一昨日、青空が広がって厚いコートを脱いで汗ばみながら頬に受ける涼風が気持よかったりという小春日和だったのに、見る見るうちに滑走路に雪が積もり、フル稼働で走り回る空港除雪車の苦闘も虚しく到着便は降り立つ大地を失い羽田へ引き返し。

雪、すごかった。除雪車が除けた雪の何倍もの雪が空から落ちてくるんだもん。ほんとに果てしない雪の量。
雪国で暮らす人はひと冬こうやって雪を相手にしてるんだな…。雪なくてがっかりとか思ってごめんなさい。

航空券を翌日午後便に振り替えてもらって、さてホテル探し。
県庁所在地で良かった。ホテルはいっぱいある。
21時まわってホテル確保できなかったらさすがに泣くけど。
あれ、でもスマホ以前はこういう時どうしてたんだろう?空港内の旅行案内所とか開けてたのかな?

そういえば今は空港で夜明かしして振り替え便を待つとかできないらしい。
震災後に保安上の理由で禁止になったとか。(まえはできたってのも知らなかったけど)

飛行機欠航になりました、帰宅一日遅れますとLINEして、あ、そしたら明日もう一回あの美味しいホタテバター焼き定食食べられるな、、となんか嬉しいw
翌日出勤とかの予定のない隠居はこういうとき強いな。



そうそう、ほんとにホタテ、美味しかった。








2024年2月17日土曜日

奈良美智 「The Beginning Place ここから」






青森県立美術館へ。


奈良美智は
THE BIG ISSUEの表紙でよく見かけるし
スタンディングにフリーバナーを提供してくれたりと
奈良さんの描く女の子は
よく知ってる子のように感じてるけど

印刷物と原作とでは
あたりまえだけれども
ちがうんだ、と。
あたりまえだけど勘違いしがち。





色味からして違う。
あたりまえだけど。
そして写真に撮ってここに上げてるものは
また全然ちがう。





今回の個展にあわせて昨年描かれた
「 Midnight Tears 」

瞳の奥深さとか
涙の成分まで想像できそうな
複雑で透明な薄緑色とか

雪国の冷えたほこりっぽい匂いがしそうな
薄っすら紅いリンゴのほっぺの質感とか。



やっぱり
原作を観る機会があるのなら
不精しないで
観に行った方が良いんだよね。
あたりまえだけどさ。







2024年2月11日日曜日

「The Man」

 






キム・ジヨンの物語のことをUPしたすぐあとに
これを見つけた。
ちょうど来日してたからかな。





パリ公演のアコギ・バージョン。
良いな。


テイラー・スウィフトについては
なんにも知らない。
曲もちゃんと聴いたことはないけど
なんだか小気味良い子だなと思う。









恵まれた育ち方して
才能に溢れて成功して
それでも女だってことで
理不尽にバッシングされて
そりゃ
私が男だったら?
って言いたくもなるよね。




The Manの歌世界は
キム・ジヨンと重なる。
心病んでしまうひともいれば
高らかに歌うひともいる。






Womanの語源。
妻となりうるひと。
〇〇の妻
〇〇の母
おおもとの言葉からして
求められる役割あっての女なんだね。

アダムの肋骨から生まれた性なんだから
そんなもんか。


テイラー・スイフトがいて
キム・ジヨンが生まれて
Me Tooが繋がって
そういうタイミングだったんだなと思う。
それがここ7年8年のムーブメントで終わらなければ
良いな、と思うけど。

思考、想念をカタチにする
言葉が
こんななんだから
なんか千年の呪縛を解くのは簡単じゃないね。






2024年2月10日土曜日

「82年生まれ、キム・ジヨン」

 






名前があるから、あれ、どういう関係性のひとだったっけ?と
人物の性格が気になったりする。
逆に言うと名付けられていない人物は「同僚」とか「弟」とか関係性だけで記述されてそのまますんなりとそこに納まる。けれども個性はなくのっぺらぼーのままだ。

この小説の中で男性に名前が与えられていないことに気づいたのは解説を読んだときだ。



     ・・・・・

 この小説の特徴は、キム・ジヨンをはじめ、母親のオ・ミスク、祖母のコ・スンブンをはじめ、女性が皆フルネームで登場することだ。これは特別な意味を持つ。韓国社会では結婚と同時に女性は名前を失い、「〇〇さんの母」と単に家族の機能のように扱われる。これに関連して、小説の中では、オ・ミスクがほんとうは先生になりたかったといった時、とても驚いたというキム・ジヨンの回想が出てくる。
「お母さんと言うものはただもうお母さんなだけだと思っていた」
 家族の中だけに限らず、ママ友やご近所同士でも、女たちはたがいの苗字も名前も知らないことが多い。この小説では、それぞれの女性にきちんとした名前を与えることで、彼女たちを家族の機能から切り離し、独立した一個の人間として、リスペクトする態度を見せている。
 それだけではない。この小説では、夫のチョン・デヒョン以外の男性には名前がない。父親も祖父も名前は書かれず、すべて親族名称のみで記されている。キム・ジヨンの姉キム・ウニョンや義妹チョン・スヒョンにまで与えられている名前が、弟には与えられない。ずっと「弟」のままだ。さらに職場の同僚も、病院スタッフも、女性だけが名前を持っている。
 男たちに名前など必要ない――強烈なミラーリングである。 <解説:伊東順子>

     ・・・・・

強烈なミラーリング。
名で呼ばれることのないひとたちは、主人公に近しく関わってきていてさえも、重要な人物とは認識されることなく曇った背景の奥から時折登場してまた後ろに沈んでいくだけ。とるに足らないモブとしてしか意識されないんだということを、小説を読みながら私自身が体験していて、そしてそれに気づきさえしない。言われるまで気づかないってとこまで含めて、上手い仕掛けになってるんだな。

〇〇さんの母、か。

蜻蛉日記の藤原道綱母とか思い出すけど、すごいよね。
最高の日本文学とされる源氏物語や枕草子でさえ、紫式部、清少納言と役名で残ってるだけで本名はわからないんだもんね。
女の名前は残らない。千年前からかわってない。

女にも、もちろん男にも、のっぺらぼーの人間なんかいないって、ちゃんと気づかなくちゃいけないよなー。




書かれた時期が「n番部屋」ともリンクしていて、ここ10年ほどのフェミニズムの状況がよくわかる。
フェミニズムが、上記のような千年の呪縛を踏まえて女の側から起こる異議申し立てになるのは当然だと思う。でも、気がつくと男と女の対立構図になってしまって、そうなの?と思う。
問題意識でいうとフェミニズムって女の問題と言うより男の問題と思うし、もっと言うと女の問題・男の問題と言うよりヒューマニティの問題だよね。なぜそこまで視点を上げて考えられないんだろうな。

震災の避難所で生理用ナプキンを欲しいと言ったら、不公平だ男にもなにか用意しろとか、マジで言ってんのか、ネットの落書き的言動とわかってて言ってみてるだけの幼稚なバカなのかわかんないけど、そういうレベルだからどーしよーもないよねー。



とりあえず「〇〇ちゃんママ」と呼ばれる人生じゃなくて良かったとは思う。たまたまでしかないけれども。



2024年2月6日火曜日

雪おこしが鳴る






雪おこしが鳴る…
という言葉を見かけた。


予報通り今日の東京は雪。
正午まわった頃に
重たい霙が降り出して雪に。

夕方、どろどろどろどろどろと
灰色の空のうえをなにかが転がるような音。
雷と気づくのにしばらくかかった。
ドーンと落ちないでずっと転がってた。

こんな風に鳴る雷を
雪国では「雪おこし」と言うらしい。


東京でも雪おこしが鳴ってる
と、雪国出身のひとがつぶやいていた。
基本的には北陸から東北の日本海側の気象現象だそう。

雷鳴が寝ていた雪を起こすようで「雪おこし」
こういう日本の表現、いいなぁ。

でも雪おこしは大雪の前触れでもあるらしい。
明日は雪掻きかなぁ。

あ、いまベランダに屋根から雪が落ちた音がした。
東京の重たい雪は木の枝を傷めるんだよなぁ。
昼間、降りしきる雪を
窓から眺めてるのは愉しいけれど
雪慣れしてないから後始末が大変。



ローズマリーの花のシャーベット。







歌舞伎で雪が降る場面に打たれる
大太鼓の音があるらしいのだけど
今日聴いた雪おこしの音がこんなだった。







 

2024年2月2日金曜日

もっとひかりを

 


寒い日のオステオスペルマム。

正午の気温が4度の今日。
鈍色の曇り空。

花は、昨夕に閉じてからずっと
今日はいちにち眠っていた。

太陽の光を受けるために開くパラボラ。


光さえあれば。





なぜこんなに嫌なことしかないんだろう。
私がイヤなニュースしか見てないから?

政治経済社会のニュースで、明るいもの希望を感じられるもの、良かったと思えるようなものがあるかな?
日本国内はほんとに惨憺たる有様でしょ?
この10年、このままじゃヤバいって感じてきた不安が、いまや恐怖に近いものになってるんだけど。

世界もなんだかオカシクなってきてるよね。
日本語のニュースがちゃんと機能してないのでイマイチちゃんと理解できてないんだけど、トランプが返り咲きそうとか、ホントなの?前評判だけで終わるとしても、バイデン爺ちゃんも危な過ぎない?
パレスチナで起こってることも、なんで止められないのか。というか、こんなにリアルタイムに可視化されてるのに、怖すぎる。
イスラエルが火種で中東もなんだかキナ臭いよね。
スエズ運河の航行量が激減とかホルムズ海峡封鎖とか。輸入頼りのエネルギーや食糧は大丈夫なのか不安になる。どう考えても物価高騰するでしょ?もうすでに目に見えて物の値段上がってるし、電気水道の値上げも予定されてるし。絶望的に円安だし。
なによりこの辺の世界情況の解説をしてくれるメディアが見当たらないことが不安。
たとえば「ホルムズ海峡封鎖」とかググってもちゃんとした解説に行きあたらない。記事にみあたらない=そんなことは起きてない、なの?私がフェイクニュースに惑わされてる?
ほんと英語でニュース読めないのが悔しくてならない。



なんで私が世界の心配をしなきゃならないの?
のんびりのほほんと隠居生活できるんだと、20世紀にはそう思えてたのに。


中途半端にしか見えてこなくて不安ばかり増幅させる日本語ネットから離れてしまったほうが良いのかな。



昨日、エンタメの世界をアマプラでちょっと覗きに行ったんだけど。
ドームツアーをソールドにするKing Gnuとか、世界ツアーで40万人を動員したBTSとか、なんならお馴染み昭和のビッグアーティスト、サザンとかドリカムとか観に行ってももうぜんぜんまったくときめかなくて。
ほんとーに、比喩でなく世界が終わりそうな2024年に、気を紛らわせるものがみつからない。チバロスで悲観的になってるだけと思いたいけど。


ひかりが、みつからない。