午後6時過ぎ。もうあと1時間遅ければキレイに開いていたかな。
ヨルガオ(白花夕顔)
小学校2年の夏休みを、母方祖母の住む久留米で過ごした。
私の「夏休み」の原点。
特別なにかがあったわけではないのだけれど、思い出すなにもかもが懐かしい。
昔の日本家屋の、和室がみっつくらい繋がった造りで、襖を取り払った夏の設えでとても広かった。祖父母と伯父の家族、独身の叔父が暮らす家。
祖父は一番奥まった和室の床の間を背に座っていた姿しか記憶にない。薄暗い床の間には骨董品がいっぱい並んでいて、煤けた古い泥人形や掛け軸なんかが不気味で、無口な爺様もコットウのひとつみたいだった。
「お船のおじちゃん」と呼んでいた伯父は貨物の船乗りで、夏の頃はアルゼンチンかチリか想像もつかないような遠くに行って留守だった。
従妹にあたるちいさな女の子がいたのだけど、病気だから2階で寝てると聞かされて姿を見た記憶がない。
年若い叔父と日曜日には蓮池に泥亀釣りにいった。泥池にハマった。ツキボシに勤めている叔父が運動靴をくれた。
毎朝、祖母と一緒に祖母の畑へ行った。
四角い草地で、ぐるりと背の高い樹に囲まれていた。昔はここまでお城だったというそのひと隅に夏野菜を作っていた。ナスやキュウリが生っているのをちゃんと見るのはそれが初めてだっただろう。教えてもらって収穫した。そうだ思い出した。昔トマトは美味しくなかった。酸っぱいばかりで、砂糖をかけて出された。ちゃんと食べたのかな?
トンボがいっぱい飛んでいた。草を踏むとバッタが跳ねた。追いかけて遊んだ。
井戸に落ちた。刈った草を放ってある空井戸で、ただ落ちただけだったのだけど、出られなかった。背が足りなかった。よじ登れそうな取っ掛かりもなかった。仕方なく祖母を呼んだ。祖母では引っ張り上げるのが無理だった。祖母がひとを呼びに行った。男の人が飛び降りてきて私を放り上げた。麦茶を飲んでおにぎりを食べた。
野菜を持って帰ってスイカを食べた。昼寝をした。
熱を出した。祖母と病院へ行った。帰りにミルクセエキを飲んだ。粉薬はオブラートで包んでくれた。
午後、祖母は手仕事をした。
厚手の和紙に墨書きするのを眺めた。墨をするのを手伝った。お寺へ届けた。水菓子をよばれた。
糸掛け毬を作った。糸の掛け方を教えてもらった。リリアンを解きながら掛ける子ども向けのやり方で色糸の偶然の重なりでそれなりにキレイな模様になったけれど、祖母の手の中で生まれる柄が綺麗だった。
お茶を点ててもらった。作法も何もなく縁側に腰掛けて飲んだ。甘かった。砂糖を入れてくれていた。
毎日祖母の側にいて、祖母のすることを眺めていた。
久留米の家のお風呂は母屋と路地を挟んだ向かいにあった。
夕ご飯をすませて祖母と一緒にお風呂から上がって勝手口に向かうと、正面に白い大きな花が咲いていた。台所の灯りは点いていて、勝手口の扉の外は暗くて。宵闇に浮かぶみたいな丸い白花。祖母に名を問うと「ユウガオ」と教えてくれた。
ユウガオは久留米のおばあちゃんだ。
ユウガオの種や苗を見つけるたびに育ててみたい思いが湧くんだけど、そのたび祖母の家のユウガオを思い出し、どう設えてもあの姿は再現できそうもないなぁと思い直す。
祖母 峰子