2025年8月22日金曜日

青葉市子@すみだトリフォニーホール

 




市子ちゃんのライヴ、いつ以来だろう。
浅草公会堂以来かな。

花風を辿ったら、2019年の2月のqpツアー以来だった。
5年半ぶり、、、そんなかぁ。




相変わらず、金縛りの市子は健在。
ほんとに耳以外の感覚がレベルを落としていって
曲終わりの拍手とか手を動かすのも億劫で。
すみだトリフォニーホールのパイプオルガンには
万華鏡の光が投影されていて
会場中をたくさんの光の玉が揺蕩っていたけど
それも全部は見ていられず。

新しいアルバムからの曲中心の演奏は
市子ちゃんの声も含めたインストっぽいものが多くて
それでも、5つの弦楽器、パーカッション、管楽器、キーボードに紛れることもなく。
市子ちゃんの声は、強いなぁと思う。
声を張ってるわけではないんだけど。

一曲、赤いエレキギターを弾く曲があったんだけど
聴きながら
フルシエンテのソロギターで歌わせたらどんなかなぁ
なんて想像してた。聴いてみたい。

立ち上がって、ハンドマイクで歌う曲も一曲あって
珍しいねぇ、踊りだしたらどうしようとか思ったり。
(踊りません)








普段は青葉市子を聴くことは、ほぼない。
Mixに編まれているものは別だけど
音源、持ってないんだよね。
ライヴでしか聴く気になれなくて。
と言うか、ライヴで金縛られたいのかも。
強制的な瞑想、なのか?
市子ちゃんは巫女っぽいからな。


そういえば「市子」って梓巫女のことなんだね。
本名は公開されてないけど
自分でこの名を選んだのかな。



このホール公演は秋冬まだまだ続くようで
日本中を回ったあとは、南アメリカへ。
昨年もヨーロッパを回ってたし。
10年前の赤羽の12畳くらいの小さなライヴハウスの
丸椅子で聴いた初市子が、なんだかお伽噺みたいに思える。






Luminescent Creatures World Tour
2025.8.20
すみだトリフォニーホール

2025年8月15日金曜日

お盆、ですね。

 



家に籠っている間に
川縁の空気が変わっていた。

夏の花も盛りを過ぎて
種を結ぶ季節が来ていた。











草っ原に踏み込むと
バッタが四方に飛びだして
トンボは番でハネムーンの風に乗っている。

秋、というにはまだ早いし
きっとまだ暑さにうんざりする日々は続くだろうけど
気がつくと季節は動いていて
ほっとする。



2025年8月9日土曜日

誰かの日記





NHKでたまたま観た
「誰かの日記を開くとき」という番組が面白かった。

この日記は、なぜ、ここにあるんだろう?
NHKの番組の中で、開かれて読まれて感想を語られる
無名の、たぶん健在の、一個人の、手書きの日記。

手帳類図書室という私設図書室があって
そこに2,000冊の日記が寄贈されて保存されていると知る。
日記を書いた本人が持ち込んだものが多いようなんだけど
書き続けた日記を手放そうと思ったのはなぜなんだろう
その動機が気になるなぁ、と考えながら観てた。



日記というなら、私も「花風」というダイアリーを
20年書いてるわけだけど、でも番組内でも触れてたけれど
誰かに読まれるのを前提のSNSと紙の日記はやっぱり別物で。
手書きの日記の赤裸々感はSNSとは比べものにならなさそうだしな
とか、つらつら考えてて
あ、これは「日記供養」みたいな感じなのかなと思った。

お札とか人形とか、とても濃く近しい感情を持って
ある時間を過ごして捨てるに忍びないものを
供養するみたいに手放す。
大事に大事に握りしめて向き合ってきたものでも
ふっと、フェーズが変わって役目を終えるものってあるじゃない。

SNSやブログだってそうだけど
ネット上にあるものはそのまま放置してもいいし
サクッと削除するのも簡単だけど
あんがい紙の手帳とかノートとか質量の実体のあるものって
処分に困るものね。
生ごみと混ぜて燃えるゴミに出すのもなぁ、って。
引き出しの奥に10年分くらいのスケジュール帳があって
めくってみると断片的に記された日付や場所からでさえ
ある日の記憶が呼び覚まされるようなこともあって
なんとなく捨てそびれてたりするし。

捨てるかわりに供養するんだね。



あと、岸政彦がやってる聞き書きの生活史のことも
連想的に思い出して。
自分以外の誰かに語る言葉と
自分だけに記す言葉と。
そこに立ち現れる「自分」はきっと別の者だろうとも思ったり。
ひとひとりの人生って多面的、重層的、あんがい複雑よね。
どんなに平凡な人生でも。
なんか「鬱陶しいもんだな」ともチラと思ったりも。


2000年代を生きている無名の日本人の日記も
数百年経てば文化資料になるんだろう。
万葉集の詠み人知らずのように。
手帳類図書室の主催者の仕事は文化事業だよね。







なんだか人が生きているって、ふと
キモチワルイね。












NHKオンデマンドで観ていたので、流れで
坂本龍一「Last Days」を続けて観る。
ここにも日記が。
有名な、名前と顔のわかる日記。









世の中には
言葉を記そうなどと考えることもなく生きる人もいっぱいいるよね。
私のお父さんがそうだったように。
不思議だよね。なにが違うんだろう。
別に違わないか。どうだっていいことだね。



2025年8月2日土曜日

コロナ罹患した。

 



逃げ切るつもりでいたんだけどなぁ。
5年半、気を付けて暮らしてきたんだけどな。
追いつかれて捕まってしまった。

Covid19。





定番の喉風邪とは違う違和感があって
すこし熱っぽくて。
そんな辛いわけじゃないけど
掛かりつけの耳鼻科に行っておくか
明日は休診日だしな、というのが良かった。

S先生、いつもちゃんと治療してくれるので信頼してるんだけど
問診して、喉を診て
「いつもの喉の炎症はないわね」
で終わらずPCRしてくれた。


くっきりと「T」にラインが浮き出てた。


薬の処方の説明があったんだけど
通常の咽頭炎の対症療法薬みたいなラインナップを言ってくるので
「コロナの治療薬は処方できますか?」と訊いた。

「あ、そっちにする?」って、そっちがデフォルトじゃないんかい?
「9,000円くらいかかるけど、いい?」って、へでもねーわ。


コロナの抗ウイルス薬開発されてるのに
5類になって、自費になったから?
こっちから言わないと出さないのかな。

でも、すぐ薬局に確認してくれてゾコーバと
今後出るだろう症状の対処薬を処方してくれたので良かった。

ハルシオンを処方してもらってる近所のクリニック行ってたら
たぶんPCR検査もなかったと思うから。



病院の待ち時間に家人にlineして
一階の読書部屋に寝具を下ろしてもらった。

家人に感染するのは避けたいので。
私よりずっとリスク大きいのでね。
というか、私がウイルス持ち込む羽目になるとは
ううう、不覚。


というわけで一階で自主隔離している。
今年でよかったわ。
一階の部屋が空いてなかったら、家人の道連れ必至だったよ。

もともと気密性皆無の木造住宅なので
動線の重なるトイレや洗面所の窓開け放して
サーキュレーター、扇風機総動員して換気してる。

会話はline。
襖越しに会話はするけど、数日、顔見てない(笑)
私は医師の指示による隔離安静なので
読書部屋に籠ってごろごろしている。快適。

コロナ確定した日と翌日は少し辛かったけど
熱も7度3分まででそれ以上は上がらず落ち着いたし
5年前に戦々恐々としてたほどの症状はなかった。
まだゾコーバ飲まないといけないので要注意だけど。

クシャミ、鼻水と咳が出てきた。
いっぱいウイルス放出してる気がして嫌だ。

今日は気温が上がらず過ごしやすかったので
掃き出し窓開け放して、喚起しつつ過ごした。



本読みながらうとうとして
目が覚めた日没頃の窓の色。







遺伝研の川上先生がコロナ罹患された時
毎日PCRやって、ご自分の検体を解析して
ウイルス量を測ってツイートしてらしたけど
抗ウイルス薬を飲み切って自覚できる不具合もなくなった頃にも
(発症2週間過ぎくらいだったかな)
まだウイルスが検出されていて
その頃指示されてた隔離期間過ぎても安心はできないとおっしゃってた。

仕事や学校に戻ることを焦って見切り発車すると
ぶり返したり、感染させたりすることもあるだろうな。

明日明後日、来週の予定を気にしなくていい隠居なので
ゆっくり読書部屋に籠って養生しよう。


当然、家事炊事はできないので
(動き回って家人に感染させてはならぬゆえ 笑)
食事は美味しいものを買ってきてもらって食っちゃ寝ライフ。
家出してホテル滞在するのと変わらないね?
どんな時でも楽しみは見つけますよ。


まあ、治療スムーズで、症状軽くて済みそうだから
そんなこと言ってられるんだけど。

それにしても、どこでもらったんだろ。
人混みは避けてるけど、いま、マスクしてるひとホント少ないもんな。
いま、第13波なんだよね。まだ毎月3,000人亡くなってるのに。




2025年7月29日火曜日

「わたしの叔父さん」

 



  1. クリスの部屋 
    目覚ましが鳴る。

  2. 洗面所
    身支度をするクリス。デオドラントを塗り、長い髪を結う。

  3. 叔父の部屋 
    カーテンを開けるクリス。叔父の着替えを手伝う。
    シャツを着せ、靴下を履かせる。

  4. 食卓
    割って焼いた丸パンにバターとスプレッドを塗って食べる叔父。
    珈琲とミルク。
    本を読みながらシリアルを食べるクリス。
    テレビが朝鮮半島のニュースを伝える。

  5. 牛舎
    牛に干し草を与えるクリス。
    歩行カートに飼料の入ったバケツを積んで運んでくる叔父。

  6. 倉庫
    叔父が梯子に上って建物のネジを締めている。
    トラクターで通りかかるクリス。

  7. 同じ倉庫
    クリスがネジを締めなおしている。
    カートに座ってそれを見る叔父。

  8. キッチン
    手を洗うクリス。
    叔父が入って来たのに気づきソープのパックを彼に見える場所に置き換える。
    ソープで手を洗う叔父。

  9. 食卓
    叔父は丸パン。クリスはシリアル。
    叔父はテレビ、クリスは本。
    難民のニュース。

  10. 居間のソファで昼寝をする叔父。

  11. 牛舎
    トラクターで干し草を運ぶクリス。

  12. 農場
    二人でシーツの両端を持ってシワを伸ばしながら洗濯物を畳んでいる。
    シーツを持つクリスのほうにカートに座る叔父が引っ張られて寄って来る。
    クリスの小さな笑い声。畳んだシーツで叔父の頭をポン。

  13. 自家用車
    運転は叔父、クリスは助手席。

  14. スーパーマーケット
    買い物カートを支えに歩く叔父。食品をカートに入れてゆくクリス。

    叔父「ヌテラを」

    ヌテラをカートに入れるクリス。


ファーストシーンから最初のセリフ「ヌテラを」まで8分?9分?
そのあとも会話と言えるようなものはないまま一日の暮らしが過ぎていく。
風呂を使う叔父の様子をドア越しに気に掛けるクリス。
着替えに手を貸し、食卓で夕飯を取る。
皿にはソーセージが見える。朝昼よりは料理っぽいものだけれど質素で、叔父がテレビ、クリスが本(夜はナンプレ)を開いている様子は変わらない。特に会話はない。
食事の後は居間でふたりでボードゲームをする。スクラブルというのだっけ、駒を並べて単語を作っていくゲーム。
駒を並べて作った単語「かがやき」と言うのが、クリスの初めてのセリフ。

ここまで、何分だろう。寡黙な映画だ。
でも、これが二人の暮らしで二人の間柄なのが良く分かる。
20代の娘とたぶん70歳過ぎの老人とで、会話が弾むはずがないのだから。
だからと言って関係が冷たいわけではない。ふたりがたがいを気遣っているのはよくわかる。若く健康なクリスと、老いて身体が利かなくなっている叔父で、暮らしの大部分をクリスが担っている不均衡も見えるけれど。

このあと、ちいさな変化の兆しが訪れるのだけれど、ヌテラを塗った丸パンとシリアルを食べながら過ぎてゆく日々というものが「生活」なんだと、人の暮らしなんだと思う。
良いでも悪いでもない。そうやって生きて過ぎてゆく。

ドキュメンタリーを観ているのかと思うような、嘘のない映画だなと思う。




寡黙、というのでは生活音の他に音楽もなく一時間進むんだけど、だからふいに流れた「音楽」が印象に残った。たぶん知ってる音楽で余計にハッとしたんだけど。

ちょっとアレンジが違うのかな、自信がなかったので調べたんだけど出てこない。
初めてChatGPTに質問してしまった。
「映画 わたしの叔父さん で使われた曲のタイトル教えて」って(笑)

ところがなんど質問変えて訊いても
「わたしの叔父さんに音楽は使われていません」とか言いよるのじゃ。
ChatGPT使えねぇ。

ググって映画評とかブログとか見ても「一切音楽も流れず…」とかみんな言ってて。
あの曲に言及するひといなくて、逆にびっくり。
ずうっと生活音とぽつりぽつりとした会話だけで進むから、逆にあの曲が記憶に残らないってそんなのある?って思った。
いや、ファンファーレが鳴り響くわけじゃないよ。この映画に似つかわしい密やかな曲なんだけどさ。公開時とアマプラで違うバージョンなのか?な、わけないよね。

自力で、そうよね、これよねと言う曲名探し出したけど。
なんでこんなに謎なのか、不思議。

映画のクレジットにComposerフレミング・ベルグとあって、え?オリジナルなの?   
私の勘違い?(ありうるけど) 謎だわ。



2025年7月14日月曜日

花の骸

 



木槿の花殻。









朝の花、木槿は
次々と咲いて
午後になると萎れてしまう。


薄い花びらを綺麗に巻き戻して
花首を落とす。
あまりに行儀よく花仕舞をするので
美しい骸のよう。

そのままにするのが忍びなくて
毎夕、拾っている。










2025年7月9日水曜日

望月の風

 



探しにいくよ 内なる花を♪





なんじゃぁ、この人懐っこさは。


きらっきら、ふわっふわの
でっかいゴールデンレトリバーが突然やって来た。

悪戯小僧みたいだが聞き分け良くて礼儀正しく
にっこにこしながらじっとこっち見てる。
しっぽがぶんぶん振れてる。
若くしなやかな筋肉に軟かなエネルギーが満ちてるのがわかる。
ボールが投げられる瞬間を待ってる。

いやいや、待て、まて! Stay!





しわしわに萎れた花束 小わきに抱えて♪





おばちゃんには、君は眩しすぎます。
私の6畳間に君の存在はデカすぎる。
日産スタジアムも満杯?
はいはい、ヨーロッパまで翔んで思う存分駆け回ってこ~い。






真っ白な心に惹かれ 真実をさまよえば♪





先週、久しぶり何年振りかで熱を出して
(といっても7度1分の極微熱)
熱はすぐ下がったのに眩暈に襲われて
4日もだらだら寝付いていた。

気分はそんなに悪くなかったんだけど
横になると眠れてしまうので、まあ、なにか不調な感じ。

でその眠ってる間
頭の中で藤井風がず~~~っと歌ってくれてて。
鬱陶しかった(笑)


でっかいレトリバーが枕元に座って
耳元でハッハッハッってやってる感じ。
めっちゃ良い子なんだけど存在感デカすぎ、という。





おっと罪の香り 抜き足差し足忍び足♪






藤井風を聴いている。


なんだろね、この才能は。

声が良い。底に厚みがあって柔らかい。
顔が良い。濃い、でも粗削りな清潔感のある男前。
表情が良い。自然体でチャーミング。たぶん、性格良いんだろうな。
タッパがある。実際の身長以上に空間に映えて大きく見える気がする。
歌詞が良い。言葉の音。岡山弁の威力。
楽曲の良さは、彼の声と、彼の言葉の音と、彼のメロディの融合。


ナチュラルボーンなのよね。
どれもこれも、努力では手に入らないもの。

いまの彼は、欠けたることのない望月のような存在。
世界を明るく照らす満ち満ちた月の輝き。
太陽に例えても良いくらいだけど
太陽よりも優しいかなぁと感じる。

いまの風くんには(あ、ついでに名前が良い)
好きにしてくださいって思う。
呆れてものも言えねーわ、みたいな(賛辞です)





手を放す 軽くなる 満ちてゆく♪





ずっと聴いてはいられる曲ばかりなんだけど
頭の中に満ちてメモリを食われてしまって
ちょっと邪魔だったので
(やっぱりハマるには、私にはちょっと眩しい)
上書きしとこうと思って選んだのは
坂本慎太郎でした。

このひとも十分中毒性あるんだけど
ふいに頭の中に流れてきても私は馴染むことができる。
こういう暗さや毒性は気持ちいい。

満月の裏側の影がゆらゆら