2025年1月17日金曜日

回復するこころと辛辣な感情




いつかの散りモミジ。


 

年明けてモミジもすっかり葉を落として、いまは庭にふかふかの落ち葉の小道ができている。もう二、三日踏んで楽しんでから掃こう。

落葉樹の枝だけになった冬姿も好きだ。
せいせい、すがすが、すっきりとして。



かの人を施設に送ったあとも、12月は、ともかく気配を消し去りたくて後始末を急いだので落ち着かなかったけれど。
いまは、すっきりしてきた。すっきりと、平穏。

6月に心療内科に行った時には、心身の不調の原因はわかっていて、どうすれば良いかもわかっていて。そして、そうするしかないことをして、こうして、回復している。



 *


かの人について。

昨年の後半は、もう生理的に無理っていうくらいの嫌悪感で苦しかったけれど、元々は普通の庶民のおばちゃんだ。忌み嫌われるような鬼畜なひとではないんだよ。
無知で愚かだとは思うけれど。だから誰かに依存しないと生きてゆけない人で、父も、信頼してた友人たちも亡くなって寂しさと不安が老いを加速させたとは思う。
同じ屋根の下で小さく歪んでいた気持をリセットしたから思えることでもあるけど。

家人のほうが私よりも辛辣で、だから同居してた15年、家人と私とでかの人を話題にできなかった。
私は、母と呼んできた時間が長いし、父には良くしてくれてたところも見ているし、みんな元気で家族として上手くまわっていた時間も過ごしてるから、だから家人に容赦なく断罪されてしまうと、父のことも責められてるような気がしてしまって、いやいやそこまでは、、とブレーキかけたい感じになってたように思う。
いまは物理的距離も心理的距離も遠くなったので、心底どうでもいいひとになってしまった。


結局、曲がりなりにも家族として過ごせてた時が終わったのは、やっぱり5年前の件で。
もともとかの人に愛などなかったけれど、それでもなんの縁なのかここに暮らす3人で家族していこうと思ってた。でも、そういう気持もなくなる出来事だった。そっからの5年は結構苦しかったけど、それも98%片付いた。
2%は、保証人になっていることで。40年を過ごしてしまった縁が、流れてきた蜘蛛の糸くらいに残ってしまっているけれど仕方ない。愛は微塵もないけど、薄い縁が育てたなけなしの情かな。こういうのを柵(しがらみ)というんだろうな。

あ、書いてて段々嫌になってきたわ。

つくづくね、無知で愚かで寂しいひとが嫌いです。
私も相当辛辣ですかね。いいんだ。ここでだけだから。



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