2023年6月25日日曜日

退職セレモニーのような。




カフェ飯。


 6月は毎週誰かと会った。
退職をきっかけにラインやメールでやりとりして
ご飯でも食べようと言ってもらって。

4人と別々に会って
そのうち3人は
15年間同じ職場にいたけれど
外で ふたりで 会うのははじめて。

それくらいの距離感で
職場の人間関係を保ってきたので
知らなかった(知らなくて良かった)
職場の相関関係図が一気に流れ込んできて
疲れた。


いろいろあるんだよ~
と言われ
そりゃそうだよね、ないわけないよね
と思いつつ

つくづく
誰と誰がどーしたこーした
という話に興味持たずに過ごして良かった
と思った。





2023年6月13日火曜日

去る者は日日に疎し

 






最終出勤は先月の29日。

4月から休職状態だったので、そのままフェードアウトしちゃいたいなぁとも思ったのだけど、まあ、それなりにオトナなのでそうもいかないかと担当していた仕事の後始末をつけに出勤して、あっちこっちにご挨拶して(メンドクサイ)、花束なんか頂いちゃって(メンドクサイ)面倒くさかった。
ラウンジに挨拶がわりに置いたお菓子、これもね、案外セレクト悩むんだよね(メンドクサイ) メッセージカードに、さてなんと書こうか。これはもう悩まなかった。

―――15年間 ありがとうございました。 

それだけ。

“思いの丈”とやらを、綴って綴れないこともなかったけど、まあ、ね。
それがなにほどのものか、という、ね。
全社員に向けて切々と綴ってもね。

割と長いメッセージを置いて退職された方たちもいたし、読めばしんみりしたりもしたけれども、去る者は日日に疎しっていうのはホントウで。チョコレートがひとつ残しになって空箱を潰す頃には、不在であることも忘れられる。そういうものだ。
そうやって、私も何人も見送ってきた。

去るひとと残るひとと。淋しいのは残るひと。
去るひとになってみたら、会社への不満とかは雲散霧消して(もうどうでもよくなって)、人間関係はフラットで働きやすかったな、みんな人柄の良いひとばかりだったな(例外もいるけど)となり、最後に残ったのは「ありがとうございました」だったから、それだけ書いた。



一週間後。
返却しなければならないものがあって出かけた。
業務が落ち着いた頃合いを見て19時過ぎに顔出した。
入館証を返却してしまっていたので来館者用パスをもらって入った。
通用口から入ってエレベーターのボタンを押して待つ。扉が開いてエレベーターに張られた鏡を見る。15年間出社する自分の姿を映した鏡。事務フロアで降りて、左に行けばラウンジ、右に行けば事務室。ラウンジにも灯りがあって誰か知ってる顔が休憩をとっているんだろう。右に向かう。ラウンジの灯りにアウェイ感。懐かしさはなかった。

事務室にはMさん、Hさん、Tさん、Uさんの4人。
僥倖かって思うような、すごく好いメンバー。
ここにソノさんがいれば私の押しが揃ったんだけど。

挨拶して、Mさんに就業規則などを渡して
「これで終わりです」
と何気なく言った自分の言葉に一瞬「え?」となる。
お返ししないといけないものはこれで全てです、という意味で言ったんだけど。
「え?…サビシイ、かも?」ってなった。刹那、ね。

Mさん、Hさんには業務のこと勤務形態のことで相談に乗ってもらうことも多くて、ここ3年で一番お世話になったのもあって、改めて「有難かったなぁ」と思ったし、仕事のことを離れて話をして楽しい人たちだったし。仕事の手を止めて来てくれたMさん、Hさんと話しながら、ああほんとにこれが最後なんだなとすこしだけ後ろ髪引かれて、チリリと去りがたい想いが湧いたけど、私はもう既に“去った者”なのだった。
この瞬間の感傷は、My Best & Brightest と思うひとたちが揃っていたからなのだろうな。ここで過ごした15年への感傷だったかもしれない。なにも残さなかった、なにも残らなかった15年への。


もう一度、「お世話になりました。ありがとうございました」と言って事務室を出た。


初夏の夜を駅に向かって歩きながら、感傷はもうどこかに溶け始めていて、駅までの道を清々しく歩いた。




キノコの庭

 




これはいったいなんだ??


ベランダのピラカンサの鉢の中に見つけた時は
ちょっとギョっとした。
5ミリくらいのカップの中に
鉛の粒のようなものが収まってる。

画像検索が簡単にできるのありがたや。


コケって名前付いてるけどキノコだそうです。
黒い粒の中に胞子が入っていて
雨滴に弾かれて粒を飛ばす、らしい。





左のカップから飛び出した粒があるね。
蓋された状態のカップも。

それにしても。
いったい、どういうきっかけで
こういうカタチに進化したんだろうか?
落ちてくる雨粒の勢いを利用するのに最適なカップ型。
神さまが遊びで作ってるようにしか見えないよ。


このハタケチャダイゴケ、悪さはしないらしい。
畑に漉きこまれた籾殻や堆肥の分解を助ける、らしい。






こちらもこの春からのニューカマー。
サルノコシカケの仲間。
梅雨に入ってなんだか瑞々しい。





ベランダに置いている木製の椅子が朽ちてきて。
引っ越して15年雨ざらしで
ここ数年はレモンの鉢の台座になってた。
よくアシナガバチがとまっている。
巣材にするのかな、熱心に齧っては
どこかへ飛び去ってゆく。




しかし、いま時分の雨上がりには
面白いものが登場するなぁ。
この間のミミズとかね。


2023年6月4日日曜日

大雨の後の庭で






丸一日降り続いた雨に
庭の緑も打たれ疲れたようだったけれど
翌日には瑞々しさを増していた。


土が柔らかくなったので
雑草を抜いた。




家の前の塀際に生えてきたハナビグサを抜いていたら
目の前に大きなミミズがいた。

ミミズって大雨の後、なぜアスファルトの上に出てくるのかしら?
自殺行為じゃない?

と思ったらお答え、あった。


なるほど。
溺れそうになってたのかぁ。
捕まえて(ゴム手袋してたから平気)うちの庭に戻した。




裏庭に移動して草むしりをしていたら
裏の家のおばさんが出てらしたのでご挨拶。


“今日みたいな日は雑草が抜きやすくていいわね”

“前にシルバー(人材センター)に頼んだら
残して欲しい草まで根こぞぎされたから
もう頼むのやめたの”

とおっしゃるので
わかります~そうなんですよね~
とひとしきり雑草談義。
あなたの雑草とわたしの雑草は違うの
という話。



80代半ばでヤキモチ焼きのテリアを飼って
ひとり暮らしされている。

我が家のベランダで咲くハゴロモジャスミンは
おばさんの庭からウチの2階にまで伸びてきたのを挿し芽して増えた。
ユズが豊作の年には半分ずつ分け合っている。
フェンスを越えて裏の敷地にまで枝が伸びてしまっているので。
植物に境界線はない。
隣人が植物好きだとほっとする。


昨年末、立ち枯れていた大きな棕櫚の木を
息子さんが来て切り倒していた。
切り倒されて横たわった棕櫚を指しておっしゃる。
“今度片付けるって言って、それきり来ないのよ”
怒ってる風でもなくしょうがないわねの諦め口調。

似たような話を聞いたような聞かないような?

手慣れた動作で土をシャベルで掘り起こし始める。

“ここ畑にして野菜植えたいの。
わたし、あと10年、生きようと思って”


ああ、ミライの私かなぁと思ってふふふとなる。






2023年6月3日土曜日

「北極のラクダ」





原題:THE ARCTIC CAMELS
2019年製作/作品時間75分
撮影地:ノルウェー、モンゴル
製作国:ノルウェー


2頭のラクダをペットに迎えたノルウェーの家族が、ラクダに乗るためにモンゴルの調教師を訪ねた。雄大な自然と数百頭のラクダの群れに圧倒されたが、調教に対する考え方のギャップも肌で感じる。ノルウェーに帰国後、モンゴルの名人を招いて自分たちのラクダの調教を依頼。しかし「モンゴル流」のハードな調教は、彼らの心を傷つけた。「家畜」と「ペット」の違い、ラクダが持つ役割の違い、生活環境の違い……異文化との出合いから生まれる不協和音を、彼らは乗り越えていけるのか。憧れだけでは成り立たない、人と人、人と動物それぞれの信頼関係の大切さを訴えかける作品だ。

 
監督:カール・エミル・リカルドセン  
脚本:ボディル・カジャエルホウデ、テリ・アウリン  
撮影:ヴィゴ・クヌーセン  
音響:ヨナス・イェッセン  
編集:クラウス・ハイネッケ  





幸せなラクダ?

まあ
いずれにしたって
ひとの都合。