2022年3月24日木曜日

ヒメウズ


 

ヒメウズ:キンポウゲ科

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A1%E3%82%A6%E3%82%BA



細い茎、裂のある葉、うつむいて咲く白花。繊細な姿。

家の裏へ行く通路にたくさん咲いていた。

踏みたくなくて戻って家の反対側から裏へ。

お米ふた粒くらいのちいさな花だけど、薄暗がりに可憐な白がくっきりと。


ちいさくて細くて風に揺れて、写真撮るの難しい。



2022年3月1日火曜日

「雨の島」

 




「雨の島」呉明益

結局のところ人類の文明はどの段階を取っても(フィクションを生み出す能力と想像力を含めて)自然環境と私たち自身の生物的本質との関係から切り離せない  <作者あとがき>

 

ネイチャーライティングという言葉を知らなかったけれど、ヘンリー・ソローの「ウォールデン 森の生活」やレイチェル・カーソン「沈黙の春」「センス・オブ・ワンダー」が代表的な作品といわれて、私が呉明益の作品に惹かれるのはだからなのだなと思う。

呉明益は自然誌やエッセイといったノンフィクションに寄りがちな思弁を物語に昇華させようとしている。それを私は心地良く読んだ。

森に踏み入らなくても、海に身をゆだねなくても、生身の身体という“自然”を私たちは生きている。「闇夜、黒い大地と黒い山」「人はいかにして言語を学ぶか」「アイスシールドの森」「雲は高度二千メートルに」「とこしえに受胎する女性」「サシバ、ベンガル虎および七人の少年少女」の6編の登場人物はみな自然を感応している。大きな自然を怖れていない。いいなぁ。

舞台は太平洋の西の縁にある島、台湾。時は、ほんのすこし先の未来。

AIやクラウドネットワークさえも森と山と海に抱かれて存在して違和感がない。前作の「複眼人」がそうだったように、自然環境は持続可能性の引き返し不能点を踏み越えて人新生に入っている。そんな時代。だけど、人の営みは素朴で土俗的でもあってまだ自然の懐は深い。



太陽に敗けない肌を持ちなさい

潮風にとけあう髪を持ちなさい

どこまでも 泳げる力と

いつまでも 唄える心と

魚に触れる様な

しなやかな指を持ちなさい

海へ来なさい 海へ来なさい

そして心から 幸福になりなさい

    

陽水の「海へ来なさい」の歌詞を思い出す。

人類全体がそんな風に進化したらいいのに。


 

2022年の戦争

 



2月22日 ロシアが、ウクライナ東部2地域の独立を承認。
     それがどういうことなのか、わかってなかった。まるっきり。
     モニターの向こうの世界がざわざわしているのがわかるだけ。
     こういう時、英語すら解さない私は世界から取り残される。

2月24日 ロシアがウクライナへ侵攻。
     東部でのローカルな戦闘の開始かと思ったら、複数の国境線を越えて
     あっというまに首都キーウへ。



ロシアの侵攻が始まるまえにも、恒常的に世界のあちこちで戦闘は起こっていて。
シリアやアフガニスタンやパレスチナやミャンマーや、あと、あとどこ?どうなってるんだっけ?ほらもう忘れかけてる。新しいよりインパクトのある戦争に#NO WARが踊る。

いまウクライナで起きてることに震撼するのは、プーチンだからだ。
20年以上ロシアに君臨して、やりたいようにやってきて。プーチンがやり残したことってもう戦争しか残ってなかったんじゃないの。権力に倦んで、9割がた組み上げたパズルをざらっと捨てるみたいな。あと残ってるのは、禁断の兵器の使用くらい、か。。





2月最後の日。晴れて乾燥している。
小さな川の畔を歩く。
Twitterのタイムラインを流れてくる戦闘とNO WARとコロナと、政治屋の半可通なコメントを眺めながら。ときどき#をつけてRt する。
そうだキャベツを買って帰ろうなんて考えながら。
頭と手と足がばらばら。

無力だなぁ。あいかわらず。
でも生活は続く。ありがたいことに。